
ロブ・ダン/著 今西康子/訳 「ヒトという種の未来について生物界の法則が教えてくれること」読了
生物が世代を重ねて生きてゆくことができるための法則とその法則が導く未来を語っている。著者は応用生態学という分野の科学者だそうだ。訳者は僕が初めて図書館で借りた本の共訳者だそうだ。
生物の多様性については、環境の変化に対応するためには必要であるが、人間が考えているような多様性は絶対的に必要なものでもない。生物の種類は「アーウィンの法則」からすると、人間が推測している種類よりもはるかに多くの種類がある。「アーウィンの法則」とは、昆虫学者のテリー・アーウィンが熱帯地域での昆虫の種類調査の結果によるもので、1本の樹冠に生息する昆虫の種類から推測できる昆虫の種類が従来の50万種に対して300万~400万種あるのではないかという考え方だ。とにかく目に見えないところに驚くほどの数の種類があるのである。人間が知らないだけであるというのである。これだけの種類の生物がいればすべての生物が生き残れなくともかならず残ってゆく生物がある。人間の想像以上に生物相多様性の層は厚いのである。
ということは、逆に言うと多様性が乏しいほど生物が絶滅する確率が高いということになる。そしてそこには、「種数-面積関係の法則」というものが存在しているという。島を例にとると、島が小さいほど生物種と個体数が少なるのでそこに生息する種の絶滅率は高くなるのである。
これは島に限ったことではなく、都市部を見てみると、道路やビルで分断された自然環境は小さな島が点在した状態に似ている。そうったところではコリドーを作ってやることで生物の移動が生まれ、多様性が維持される。
病気による絶滅に対しては「エスケープの法則」がある。これは生物の移動が捕食者や感染症、寄生体、または環境の変化から生物種の絶滅を守っているというのである。
人間もかつては逃げる側の立場にあった。捕食者から逃げ、感染症や寄生体から逃れるために高温多湿の地域から飛び出し、乾燥した場所、寒冷な気候の場所に広がった。
中東の砂漠で暮らす人や北極圏で暮らすイヌイットたちはなんであんなに暮らしにくい場所で生きるのだろうと思っていたが、こんな事情があったということだ。コリドーを作るということも、「エスケープの法則」を利用した多様性の維持の方法法のひとつなのである。
しかし、人間は移動の代わりに知能というものを武器に捕食者を駆逐し、感染症にも対抗してきたのである。
知能のある生物、人間はもちろん、知能が高いと言われるカラスなどは移動をする代わりに発明的知能によって気温の変化や食料が枯渇に対処しているという。これは「認知的緩衝の法則」と言われている。
対して、それぞれのニッチに特化した進化を見せるのは自律的ノウハウと呼ばれる。そこには脳の介在というものはない。ある環境では完璧な対応をすることができるが、その場所の環境が変化してしまうと対応することができない。絶滅をするか自分自身の体を変化させるか「エスケープの法則」にしたがって移動をするかという選択肢を選ばなければならない。
生物の多様性が必要なもうひとつの理由は「依存の法則」にあるという。人間の腸の中には人間の細胞の数以上の細菌が棲んでいるというが、他の生物でも、白アリをはじめほとんどの生物の消化管の中にたくさんの微生物を棲まわせて栄養分の吸収に役立てている。これが「依存の法則」だ。生物と細菌だけでなく、ミツバチと花の関係も依存の法則だ。様々な生物がお互いを支え合うという構図があるから生物は生きてゆける。
そして、その微生物であるが、地球上の生物種の大半は微生物であるという。その中には人に害を与え、人類がそれに対抗しようとすればさらに耐性を高めて対抗しようとしてくるものもあるけれども、それさえも自然界の多様性(バクテリオファージというもの)を使って乗り越えられるのではないかと著者は考えている。
地球温暖化や環境汚染は悪であり、直ちにやめるべきであるというのがどんな書物やメディアでも語れることであるが、著者はそうではない。紹介されている法則に則って多様性を維持していれば生物は生き延びてゆくのだと著者は考えている。
暑くなれば涼しいところへ、湿度が高すぎれば低いところへ、それぞれの生物が好むニッチへ移動する。必要があれば少しだけ人間が手助けすればよい。また、多少頭脳が明晰な人間やカラスはその場所で知恵を絞ってニッチを維持しようとする。ただ、それだけのことである。
著者の論旨の特徴は、ここにある。地球の生物界は人間が存在しようがしまいがそこに存在する。人間が住まない世界は自然環境が破壊されてしまった死の世界だというのはまったく放漫な考え方であるというのである。それは「人間中心視点の法則」に陥ってしまっているからだというのである。そうなのである。「生物」は絶対に生き延びるのである。人間が生き残るかどうかというのはまったくここでは問題にされていないのである。
ここからは著者の妄想なのかもしれないが、人間の絶滅後、他の霊長類が知性を持って地球を支配するのか、それとも賢いカラスなのか、それとも自己複製するコンピューターなのか・・。いやいや、アリやミツバチのような分散型知能なのか・・。
そして最後はこんな文章で結ばれる。
『しかしやがて、宇宙に何らかの異変が生じ、地球の環境条件が微生物すら生存できないほど極端なものになる。こうして、地球は沈黙に包まれて、再び物理と化学の法則だけで動く惑星に、つまり、生命を支配するさまざまなルールはもはや適用されない惑星に戻るのである。』
なんともクールだ。人間だけが特別ではないということなのだろう。
大体、こういうテーマの本を読むと、「人類が生き延びるためには。」とか「こうなると人類は絶滅する。」というように人間中心主義で書かれていることが多いが、この本はそうではなかった。内容としてはどこかで読んだり見たりしたことがあるようなものであったが、人間中心主義というしばりを外すとまた違った見え方がするというのが面白かった。
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