イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「ホモ・デウス 上: テクノロジーとサピエンスの未来」読了

2019年02月21日 | 2019読書
ユヴァル・ノア・ハラリ/著、柴田裕之/訳 「ホモ・デウス 上: テクノロジーとサピエンスの未来」読了

この本は、前回に読んだ、「サピエンス全史」の続編になる。認知革命、農業革命、技術革命を成し遂げた人類は飢餓、疾病、戦争の危機から解放された。その後、人類は何を目指してゆくのか。著者は不死と幸福と神性を目標とする可能性が高いと予測している。それは人類をアップデートし、神の領域に足を踏み入れることである。「サピエンス全史」の最初に出てくる年表の、未来の項目には「知的設計が生命の基本原理となるか?ホモ・サピエンスが超人たちに取って代わられるか?」と書かれているけれども、タイトルの通り、ホモ・サピエンスからホモ・デウスに変貌を遂げるのである。デウスとは“神”という意味なのである。

すでにその兆候は表れている。とくに不死について、疾病を治す手立てであった治療法が人間そのもののスペックを高める行為に応用されている。整形外科は戦争なので体に損傷を負った人に対しておこなう治療であったけれども美容整形というものに発展し、バイアグラはもとは狭心症の治療薬であった。グーグルでさえも死を解決するための会社を設立している。
幸福についてはどうだろうか。前書では幸福とは絶対値ではなく相対的なものであると説明されているけれども、本書ではもっと具体的に、「不快感のないとき」と定義してる。そしてその不快感というものは人間の体のなかでの化学的反応に過ぎないのであるからコントロールが可能であるとしており、これも現実の世界ではすでに麻薬であったり、兵士の戦意高揚に使われたりしている。

現代の経済は生き残るためには絶え間なく無限に成長し続ける必要がある。既存のレベルでの経済効果(効用といってもいいのかもしれない。)には限界がある。さらに永続な成長のためには、不死と幸福と神性を追い求めることが必然となってくる。
そして神性を追い求めることがいちばん難しいと著者は思っているようだ。この本のそのことについてかなりの部分を割いている。人と神の関係の分析。これを階層をひとつ落として家畜と人間の関係からっスタートしてアプローチしようとしてる。将来はこれはアップデートされた人類と既存の人類の階層になぞらえているかのようだ。
宗教を含めた社会の規範というものは前書にも書かれていたように認知革命で獲得した、「目に見えないもの」を信じることができる能力が作り上げたものである。そしてその認知能力も現代科学では化学的反応の作用の結果であると解明されている。
そういった証明が様々な実例を上げて行われている。科学書でもあり歴史書でもあり、哲学書でもあるような複雑な内容になってきた。

なんだか堂々巡りのような様相を呈してきた。人間は、「目に見えないもの」を信用することによってこの巨大な社会構造を支えている。しかしそれは“化学的”という目に見えるものであった。

しかし、人類のアップデートは科学革命が支えようとしている。そのとき、宗教や社会的な規範はいったいどうなってしまうのだろうか。僕が読む限り、著者はそういった宗教や社会的な規範に対してはネガティブなイメージを持っていうように感じる。人類のアップデートを妨げている大きな障壁だと考えているように思えるのだ。

下巻ではこのあたりがもっと深く掘り進められていくのだろうが、楽しみだ。

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