イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「預言者」読了

2015年09月09日 | 読書
カリール・ジブラン/船井 幸雄 訳 「預言者」読了

著者はレバノン出身のアメリカ人で移民としてアメリカに渡ってきたひとだったようだ。
神の言葉を預かるもの、預言者「アルムスターファ」がオルファリーズを去る前、オルファリーズの人々からうけた問いに対して答えるという形式で物語は進む。
愛について、結婚について、友情について、死について・・・、合計26の質問に叙事詩的な言葉で回答をしている。
なるほどとわかるところもあるし、あまりにも比喩が超越していて実際何を物語っているのかわからないものもある。しかし、その表現の荘厳さというのものには何かを感じずにはいられない。
いまは半分も理解をできていないが、何度か読むうちにもっと理解できる部分もあるのではないだろうか。


まず、電車の中では読むことができなかった。もっと静かなところでないと読むことができなかった。
というか、静かに何かを考える時間を作らないと精神というものは成長できないのではないか?
実は魚釣りというのはじっとアタリを待つ間、思索にふけることができるはずなのだが、残念ながら心穏やかに過ごせたことなどまったくない。
ウォルトンの言うように、「静かなることを学べ」という心境にはほど遠いのだ。


この本はアメリカの知識人の家庭には必ず1冊以上あるというほど有名な本ということだ。
やはり、聖書と同じように何べんも何べんも読み続けることで本当の意味を理解できるものなのかもしれない。

預言者は、語ったのは私ではなく、私もまた聞く側ではなかったのだろうかと最後に言っているが、そこから推察するに、心のままに生きなさいとと言っているように見える。
人それぞれ様々な心根を持っているだろうが、洗いに洗うとそこには純粋な心が必ず残る。その心の行く先はきっと正しいのだと言っているように見える。
自分の心を太陽にさらけ出せ、そうすることができれば何の悩みもなく過ごせる。「死ぬとは、風の中に裸で立ち、太陽に溶け込むことでなくなんだろう。」と最後の問いに答えている。
つたない読解力ではこの程度までしかわからず、果たして著者の真意にも近づいているのかどうかわからない。やはり何度でも読んでみる価値のある1冊だと思う。

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