鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

Sさん独立す

2006-04-22 | Weblog
 会社の同期のSさんが定年で会社を辞め、元の会社の近くにオフィスを構え、昨夜、そのオフィスの披露パーティがあった。お祝いのワインを持ってかけつけ、多くの仲間たちとが激励してきた。まだ、元の会社のなかにも机を置き、半ば個人事務所のような形でスタートする、という。初めて見る奥さんが台所で裏方を務めていたが、再出発をお祝いするとはいえ、一方では第一線で華々しく活躍していたのが、一介の個人としてやっていかなければならない一抹の寂しさもあり、乾杯する手もすんなりとは上に上がらないものもあった。
 Sさんとは大学も会社も同じで、たまたま地方から東京本社へ転勤してきた鈍想愚感子が配属された部署にSさんがいたこともあって、花の独身生活を謳歌し、銀座、赤坂あたりを徘徊した。住まいが小田急相模原から歩いて20分くらいの独身寮だったため、よく世田谷・深沢の高級住宅地の一角にあるSさんの家に泊まったことがある。最終電車に乗り遅れ、相模大野から真夜中に一時間かけて歩いたこともあり、身体がもたなくなり、Sさんと相談し、深沢に近い目黒区八雲のアパートを見つけて、移り住んだ。が、却って、Sさんとの飲み歩きが増えて良かったのか、悪かったのかわからない。ただ、親かかりのSさんとは身分が違ったのか、職場が変わったこともあってか、いつしか共に飲み歩くことはなくなっていった。
 覆水盆にかえらずというが、10数年前にまた同じ子会社に籍を置くことになったが、もう二人で飲みに行くこともなくなってしまった。若い時の飲みに行く雰囲気というものは独特のものがある。ヤマっ気というか、無鉄砲というか、何が来ても恐れはしない、飲みに行くことがファッションのような空気がある。Sさんとは一時、そうした空気を共有した。結婚して子供ができると、もう元には戻れない、青春の一道程といったものなのかもしれない。
 そのSさんも鈍想愚感子と同じく定年となった。Sさんは永らく自費出版や企業の広報誌の企画編集を受託する会社の専務取締役をしていた。経営誌の編集をしていた頃からの付き合いで、多くのお客さんを持っているので、それを生かすため、定年後も契約社員として同じ仕事を続けるが、先を考えて個人事業主への布石として元の会社から歩いて数分の距離のところにオフィスを構えたわけだ。いずれ、個人事業主として独立する。
 そのために社内外のこれまでのネットワークを大事にしなくてはと、披露パーティに及んだ、というわけだ。編集人としての一つの生きかたを示してくれた。翻って、来年か、さ来年には確実にやってくる鈍想愚感子の第二の人生をどう設計するか、Sさんのようなネットワークはないし、これといった特技もなし、のんべんだらりと余生を送るのも味気ないし、さてさてどうしたものやら、乾杯しながらふと考えさせられた。
 ともあれ、頑張れSさんとエールを送りたい、そして永年のお付き合いにも感謝を申し上げたい。ありがとうございました。
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