鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

春の慶事二題

2006-04-05 | Weblog
 この春、高校と大学の同級生二人に続けて喜ばしいことが起きた。60歳を過ぎて第二の人生に入る輩が多いなかで、引き続き第一線で頑張っていることを証明してくれた二人に乾杯したい思いでいっぱいだ。
 一人は高校時代の剣道部で同じ釜の飯を食べた仲間。大手百貨店、松坂屋の専務取締役から社長へ昇格する人事が内定した。一年浪人して京都大学に入学し、松坂屋へ入社した後は営業畑を歩き、東京銀座店長、名古屋本店長を歴任し、今回トップの座に登りつめることとなった。正月の新聞でのトップ人事観測記事では昇格が予想されていたので、順当といえば順当な人事。現在70歳の社長は代表取締役のまま空席だった会長に就任するので、やや軽い社長かもしれないが、百貨店業界では老舗の、しかも名古屋では名門企業のトップになるのだから立派なものだ。3千人からの社員を率いていくのだから責任もあるが、一方では権限も十分にある。鈍想愚感子の同級生で東証一部上場の社長になるのは今回が初めてだ。同じサラリーマンを38年間勤めてきた経験から新人で入社した会社のトップになる、ということはそれは大変なことは十分に承知している。
 高校の剣道部時代は選手組と控え組でグループが違っていたこともあって、それほど仲がいいわけではなかった。もちろんというか、向こうは選手組で、腕も立った。卒業以来42年間、会ったことは全くない。それでも松坂屋に入社したことは人伝に聞いてはいた。
 社長内定の記者会見の記事の写真を見て、驚いたことがある。高校時代かr額が上がっていたのに髪の毛がふさふさしていたことだ。顔はともかく髪の毛は全くの別人であった。客商売だけに人にはいえぬ苦労があるということなのだろう。
 早速、お祝いの手紙を書いたが、もちろん髪の毛のことには全く触れなかった。それよりも音信不通だった人から手紙がいって、思い出してくれるだろうあk、との心配が先にたつ。
 もう一人は大学時代のゼミ仲間が、第46回エコノミスト賞を受賞したことだ。こちらとは年に数回酒を飲み交わす仲だけに余計嬉しい。賞の主宰の毎日新聞に顔写真付きで格好よく出ていた。大学を卒業した後、経済企画庁に入り、堺屋太一長官の下で経済白書の執筆をしたり、経済研究所の所長を務めたのち、母校に戻っていまは早稲田大学教授となっている。戦後の経済動向をまとめた論文集を昨秋、東洋経済新報社から出版し、その功績が認められ、受賞の運びとなった。賞金100万円より、第一級のエコノミストとして認定されたことの方が喜ばしい。
 当の本を本人から贈呈されたのだが、さっと目を通しただけでいいとも思わなかったうえ、息子に蔵書の一部をブックオフに処分させた際にうっかり、その本を潜り込ませてしまったことで、本人に二重に申し訳ない気持ちになっている。 お祝いの手紙には無論、そんなことは書かず、単に「おめでとう。今度一杯やりましょう」とだけ書いた。アカデミズムの世界は70歳まで教授ができるし、その後も名誉職で活躍できる羨ましいところである。
 60歳過ぎて、ほとんどの同級生が第二の人生をさびしく送ろうかな、という時に同級生二人が栄光の道を歩んでいるのはなんとも頼もしい限りである。大いに刺激を受けたのと同時に、人生、捨てたもんじゃない、という気にもさせてくれる。ご両人に乾杯!
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