鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

T君のこと

2006-04-06 | Weblog
 小中学校時代の親友、T君が31年間に及ぶ教員生活を定年で終え、同じく定年となった奥さんを連れて東京見物がてら上京し、昨夜夫婦同士で久闊を交わした。
熱海の初島に泊り、前日は横浜の娘さんの家に寄り、昨日は雨の中、浅草見物に出かけた、という。永い付き合いではあるが、夫婦ともどゆっくり酒を飲むのは初めての体験で、これからこういう機会が増えそうな感じがする。
 T君とは実に小学校一年の時に同じクラスになり、なぜか気が合って、学校から帰るとお互いの家に行き、夜は毎晩のように銭湯へいき、ゆっくり湯に浸かった後はお決まりのお好み焼き屋へ行った。あまり、共に勉強した記憶はないが、T君の兄が優秀で、そのお兄さんの勉強の仕方を聞いて、予習復習をしたことを覚えている。
 T君は公立の工業高校を卒業した後は社会人となったが、友人の影響からか一念発起して夜間の大学に学び、教職の免許を取って、30歳手前で教員となった変わり種。性にあっていたのか、それから小中学校の教員として全うした努力の人である。家業はブリキ加工を営み、9人兄弟の下から3番目で、兄弟の少なかった鈍想愚感子にとって羨ましい境遇であった。勉強はもちろん、運動能力にも優れていて、短距離も早く、マラソンもいいタイムで走っていた。鈍想愚感子はもともとそんなに走ることは得意でなく、いつもマラソンは300人走れば後ろの方をのそのそ走っていた。なんかの折りにT君と話していて、「マラソンなんて誰でも苦しいものだよ」と言われ、そうかと思い至り、それからその言葉を噛みしめ、マラソンでは善戦するようになった。
 30年くらい前にT君が我が家に来て、泊まっていった翌朝に近くの公園まで走り出し、一緒に付いていったら、途中で息切れして体力が落ちていることを実感して、以来休みの日には近所を3-4キロジョッギングすることにして、その習慣はいまでも続いている。おかげで、たまに会社の野球大会があってもアゴの上がることもなく、塁間を走ることができ、年齢以上の体力を維持している。
 25歳くらいの時に二人で飲んでいて、お互い喫煙しているのは健康によくない、という話になり、禁煙を誓って、約束を破ったら、当時の金で罰金として1万円を払うことにした。その際、同時に競馬もためにならない、として止めよう、と約束した。競馬の方は守れなかったが、禁煙の方はいまだに続いている。T君はいまだに煙草を喫った夢を見て、跳び起きる、という。よくも悪くも大いに影響を受けた親友である。たまたま、東京と故郷と離れ離れになってしまったので、付き合いは間遠になったけれど、いまでも会えばいつでもすぐ元の仲になれる。
 T君は児童施設に勤めていた奥さんも同時に定年となったが、二人合わせての退職金、それに年金も微々たるものだ、と嘆いていた。17年先生をすれば、あとはたっぷり年金がつく、というのは昔の夢物語で、いまは賃金ベースが低いため、年金なんてしれたもの、という。給料の高い民間企業に比べれば、天と地ほどの差がある、ともいう。小泉改革で官民格差は広がる一方で、盛んに小泉首相の悪口を語っていた。ここでも小泉評は地に落ちている。
 T君と酒を飲むのは10年ぶりくらいで、珍しく日本酒を飲んだが、心よく飲めたせいか、適度に酔い、話もはずんだ。振り返ってみれば、40年はアッという間に過ぎ去った感がある。それにしても親友と酒を飲んで、談笑するのはいいものだ、とつくづく思った。

 
コメント
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