鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

米国の小津安二郎

2006-02-26 | Weblog
 新国立劇場でテネシー・ウイリアムズ作の劇「ガラスの動物園」を観賞した。1930年代の米国の中流家庭の風景を切り取った秀作で、登場人物わずか4人で、休憩なしの2時間を演じ切った。テネシー・ウイリアムズおきまりのどこにでもある家庭の悲劇を浮き彫りとしている。さながら、米国の小津安二郎といった趣きである。終幕間もなくとあって、開演前には空席待ちの列をなすほどの人気ぶりで、観客のなかに映画監督、新藤兼人氏をみかけた。
 開演の1時になると、出演者の一人でもある木場勝己が舞台の中央にぬっと出てきて、上着を取って椅子にかけ、観客に微笑みかけ、何事かと思っていると、舞台の片隅で場内整備係が「携帯電話の電源を切るよう」お願いしているのに向かって、手を上げ、挨拶しているようなふりをする。「もう舞台は始まっているのかしら」と思わせぶりな仕草。一呼吸おいて、椅子に座ると、進行役となってまず登場人物の紹介をして、4人が舞台に順番に出てくる。そして、夫に逃げられた主婦アマンダと家計を背負って働く主人公トム、それに片足の悪い姉ローラの三人家族の朝食から舞台は始まる。
 かつては大農園の令嬢として優雅に育ったアマンダは17人もの若者をおもてなしをした生活が忘れられない。日々、なんとかして娘のローラにいい結婚相手をみつけてやろう、と思って暮らしているが、内気で人見知りするローラは片足が悪いのを気にして折角習いにいったタイプライター教室も辞めてしまい、家でガラス細工の動物を飾ることと、レコードを聞くくらいが趣味の生活を送っている。
 そんな時にトムが会社の仲間で、かつて同級生だったジムを家に連れてくる。ジムはなんと昔、ローラが憧れていた学校のスターであり、最初はためらっていたローラもジムが昔話しに夢中になり出したことから、打ち解けて二人はダンスをするわ、キスをするわで急速に理解を深めていく。永らく不幸せの象徴であったローラにもやっと幸せが訪れた、と喜んだ途端に、ジムがふと我に帰り、「実は近じか結婚する」ことを打ち明け、ローラを奈落の底に突き落とす。それを聞いたアマンダは悲しみに崩れる。トムも居たたまれなくなり、家を飛び出て、放浪の旅に出てしまう。
 1930年代の米国南部のどこの町にもありそうな話を劇に仕立て上げ、人生とはと語りかけるのはテネシー・ウイリアムズの真骨頂なのだろう。東京物語で息子を訪ねて上京した老夫婦の心境を淡々と描いた小津安二郎に通ずるものがある、と感じた。2人とも日常生活のさりげない断面を切り取って、感動を与える作品に仕立てあげるところは共通している。時代をうまく写し取るとともに人生、生活の意味を考えさせてくれる。
 30年くらい前に出張で米国ニューオーリンズに行った際に行先表示版に「DESIRE」と書いたバスが走っているのを見て、テネシー・ウイリアムズの「欲望という名の電車」の舞台でアルニューオーリンズに来たのだ、と実感して感激したのを覚えている。この「ガラスの動物園」はテネシー・ウイリアムズの自叙伝的戯曲といわれている作品で、ニューオーリンズでの体験から即座に見てみよう、と思った。出演の4人とも熱演で、好感が持てたし、いい演劇であった。
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