鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

日本経済新聞社の改革

2006-02-10 | Weblog
 日本経済新聞社が3月1日付け人事で編集局長に産業部出身の記者が就任する。今年創立130年を迎えるが、同社の歴史上初めてのことである。同社の編集局長はずっと経済部と政治部出身者が務めてきて、経営陣も両部の出身者でほぼ占められてきた。鶴田卓彦前社長がワンマン経営者として権力を振い、手形乱発で巨額の損失を発生したTCワークス事件を発端に株主代表訴訟を起こされ、結局は退任したのも経済部出身者で周りを固めてたのがその温床となった。それを改革しようというのが今回の人事とすれば、日本経済新聞社の再生も見えてくる。
 3月人事で新たに日本経済新聞社の編集局長に就任するのは高橋雄一氏。1975年入社で、直前の役職は編集総務。高橋氏はかつて公正取引委員会の委員長時代にゴリポンの愛称で名を馳せた高橋某のご子息である。序列から言えば、1つ繰り上がっただけの順当な人事であるが、新局長の高橋氏は民間企業を担当する産業部の記者を長く務めてきた産業部生え抜き。
 日本経済新聞社は一般紙と違って経済専門紙なので経済部といっても重層な体制をとっている。日銀、財務省などいわゆるマクロ経済をカバーする経済部と、民間企業・産業界を担当する産業部があり、数からいえば圧倒的に産業部の記者のが多い。しかも経済部の記者の書く記事は日本経済全体に関わる内容であるとのことから一面トップは常に経済部の記事が掲載される。ごくたまに産業部の合併スクープが一面トップを飾ることもあるが、総じて官庁関係の記事で埋められている。ということから、経済部出身者はエリートとのレッテルが貼られ、社内の枢要なポストは概して経済部出身者で固められてきた。特に記者の頂点である編集局長は歴代、経済部、もしくは政治部出身者が務めてきた。だから、産業部出身者が編集局長になる、ということは画期的なことである。
 日本経済新聞社は官庁や相撲の世界と同様に年次を考えて人事を行うことになっており、高橋新局長の同期入社組に経済部出身者はいないわけではなかった。株主代表訴訟を起こし、一時退職して復帰した大塚将司氏も同期の経済部出身者であった、という。
 日本経済新聞社に限らず、一般に人事を特定の出身者で固めたり、気に入った者ばかりを取り立てたりすると、企業はおかしくなる。人というのは仕事を通じて成長もし、変わってくる。その成長ぶりを見て、適材適所の人事を行うことが経営者の責務である。本来、能力ある者がそれにふさわしい職務に就くのが一番いいのである。
 高橋新局長に能力がある、ということなのだろう。出身のレッテルを外して人物能力を評価してのことなら、当然の人事である。当然の人事がこれまで行われてこなかった日本経済新聞こそ問題だったといえよう。
 今回の人事が日本経済新聞社の再生につながることを期待したい。インターネットの出現で新聞経営が問われているいま、あるべき新聞社に向かって邁進してもらいたい。
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