鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

生粋のエンターテナー外人指揮者

2006-02-27 | Weblog
 26日は東京・池袋の東京芸術劇場で読売交響楽団の定期演奏会を聴きにいった。マチネー公演で、スウエーデンの指揮者、マンフレッド・ホーネックによるショスタコーヴィッチの「ジャズ組曲第2番」とモーツアルトの「交響曲第41番ジュピター」の演奏のあと、休憩後はヨハン・シュトラウスの「喜歌劇こうもり」はじめ3-9分の小曲8曲を続けて演奏した。後半は演奏が終わる度に指揮台から降りて、コンサートマスターと握手して、敬礼することを繰り返し、指揮者も大変だな、と思ってみていた。最後のこれもヨハン・シュトラウスのポルカ「雷鳴と稲妻」の演奏を聴いていて、最後の方になってなんと最後列の打楽器奏者2人が傘を開き、くるくる回したり、振り出した。見ていると、他の奏者もこれに同調して、10カ所くらいでカラフルな傘が回り出し、これには聴衆は大喜びで盛んに拍手を送っていた。まさに耳だけでなく目でも楽しむコンサートとなった。
 演奏が終わって、コーテンコールで2度目に現れた指揮者は手に広げた傘を持って現れ、聴衆の大爆笑を誘っていた。そして、アンコールに応えて、ヨハン・シュトラウスの「鍛冶屋のポルカ」を演奏し出した。で、舞台の袖を見ると、前掛けをして鍛冶屋の道具を持った鍛冶屋さんが居て、そのまま中央に進み、演奏に合わせて鍛冶の音を奏で始めた。これには聴衆は大喝采。続けて、アンコールを「美しく青きドナウ」を演奏、さらには3曲目のアンコールとして聴衆の拍手を混えて「ラデッキー行進曲」を演奏してくれた。
 アンコールを3曲もしてくれたのを見たのは初めてだ。普通、コンサートというと、しかめっ面をしてタクトを振り、演奏が終わってもアンコールに応えようとしない指揮者もいるなかで、これだけ聴衆の喜びを考えて演奏してくれる指揮者に初めてお目にかかった。もともと音楽は音を楽しむもんで、こういうコンサートもあっていい。日本では教養が邪魔をしてか、なかなかこうはいかない。
 このホーネック氏は1958年生まれのノルウエーのオスロ・フィルの首席客演指揮者。そんなに音楽に詳しくないので、ホーネック氏がどのレベルにいる指揮者なのかよくわからないが、こうした聴衆の喜ぶことを企画し、実行できるというのは相当に高いレベルにいないとできないのではなかろうか。それと、氏はヨハン・シュトラウスやマーラ-の演奏を得意としていることから、こうした余裕の演奏が出来るのかもしれない。音楽の原点に立って、日本の指揮者も見習ってほしいものだ。
 演奏が終わって返ろうとしたら、楽屋へ向かうノーベル賞作家の大江健三郎氏がご子息の光さんを連れていくのに遭遇したが、いい音楽を聴きに来る人もレベルが高いのかな、とも思った。
 いずれにしろ、こんな音楽の楽しみ方があるものだ、と思い知った。
コメント
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