写真①:「貝寄せ館」の看板に再生した流木が漂着(○印の砂浜)していた「恋の浦海岸」
きょう3月31日から、〈貝寄せの浜・「貝寄せ館」物語〉シリーズを掲載します。25日、福津市津屋崎3丁目にオープンした町興しボランティア団体・「津屋崎千軒 海とまちなみの会」(略称・「海とまちなみの会」)の事務所「貝寄せ館」と、その館名の由来となった津屋崎浜の優雅な異称・〝貝寄せの浜〟にまつわるお話や、訪館された人たちとの交流が織りなす様々なものがたりを綴ってまいります。
貝寄せの浜・「貝寄せ館」物語 1
:看板に再生した「恋の浦」の流木
私が所属している「海とまちなみの会」の1月例会を「貝寄せ館」で開いた際、表に掲げる看板は館名にふさわしく、玄界灘から吹く春先の西風で打ち寄せられる貝のように、〝貝寄せの浜〟に漂着した流木で作ろう、と衆議一決しました。
それから私は、津屋崎海岸はもちろん白石浜、勝浦浜など福津市津屋崎地区の海岸を流木探索するのが日課に。車椅子ガイドを担当している会員さんのために、「貝寄せ館」出入り口に〈津屋崎千軒通り〉からの段差をスロープにして車椅子で出入りしやすくする踏み台の板材も欲しいなと思いつつ、2月13日朝、玄界灘の荒波が打ち寄せる同市渡の「恋の浦海岸」を訪れたところ、砂浜に踏み台の加工に絶好の流木が漂着しているのを見つけました=写真②=。雨続きの天気で、流木は湿っており、広報世話人の占部英明さんの仕事休みの日で天気がよい時に出直して回収することにして現場を後にしました。
写真②:「恋の浦海岸」に漂着していた踏み台に加工したかった流木
=2012年2月13日午前9時撮影
好天気となった2月21日午後、占部さんと車で現場へ。ところが、踏み台の加工用に当てにしていた絶好の流木は砂浜のどこにも見当たりません。波で沖へ流されたのか、わずか8日間で姿を消していました。肩透かしに肩を落として、砂浜を見やったところ、板きれのようなものが砂に半分埋まっているのが目に飛び込んできました。近づいて砂をかき分け、看板にふさわしいケヤキの板状の流木(幅30.5㌢、長さ2.33㍍、厚さ1.8㌢)を手にしたときは、小躍りしたい気分に。幅30.5センチの部分の長さは1.43㍍あり、その先が三角形に削られたような形状は、いかにも流木らしい感じです。〝貝寄せの浜〟に流れ着いた木で看板をと、恋焦がれた想いが「恋の浦」の女神に通じたのかも、と胸が熱くなりました。
この流木を使い、本会会員のデザイナー湯浅美子さんにトールペインティングの腕を振るって、看板作りをと依頼。まず、流木に、湯浅さんが貝寄せ館の4文字を記入。その文字の周囲を「海とまちなみの会」会員らが文字が浮き上がるように、彫刻刀で彫り下げ=写真③=たあと、湯浅さんが津屋崎の海の明るい青色にトールペインティングしました。
写真③:貝寄せ館の4文字の周囲を彫刻刀で彫るのに余念がない会員たち
=3月13日、「貝寄せ館」で撮影
3月25日(日曜)午前11時から行った「貝寄せ館」の開館式で、建物を無償で「海とまちなみの会」へ貸していただいた家主の田畑猛さんの妻ヨネ子さんと、湯浅さんに看板を除幕していただき、お披露目しました=写真④=。
写真④:看板のカバーシートを除幕する田畑ヨネ子さん(右)と湯浅美子さん
=3月25日午前11時15分、「貝寄せ館」前で撮影
〈津屋崎千軒通り〉に面した「貝寄せ館」の出入り口庇の上に掲げられた看板=写真⑤=は、黒ずんだ板に明るい青色でトールペインティングされた貝寄せ館の4文字が、くっきり映えて好評です。
写真⑤:「貝寄せ館」の出入り口庇の上に掲げられた看板
看板の流木発見のきっかけとなった踏み台の板材は回収できませんでしたが、本物の木製踏み台を「貝寄せ館」の改修工事の設計・施工を発注した「金氣(かねき)順也建築工房一級建築士事務所」(福津市宮司浜2)の金氣さん(「海とまちなみの会」会員)にサービスで製作、設置(写真⑤の下方に見える板)していただき、感謝しています。