吉村青春ブログ『津屋崎センゲン』

“A Quaint Town(古風な趣のある町)・ Tsuyazaki-sengen”の良かとこ情報を発信します。

2015年9月20日〈エッセー〉045:「宮地嶽古墳」の被葬者は誰か

2015-09-21 07:14:06 | エッセー

写真①:「不動神社」入り口左に建て替えられた「宮地嶽古墳」の案内解説板(左端)

      =福津市宮司元町の「宮地嶽神社」の奥之院で、2015年9月17日撮影

 ・連載エッセー『一木一草』

 第45回:「宮地嶽古墳」の被葬者は誰か

 「宮地嶽古墳」の案内解説板を建て替え

「不動神社」入り口左側にお目見え

 福津市宮司元町の「宮地嶽神社」の奥之院にある「不動神社」入り口左側の「宮地嶽古墳」の前に建てられていた案内解説板が、新調されました=写真①=。

 案内解説板には、「宮地嶽横穴式古墳と奥之宮不動神社」の見出しで〈当不動明王は宮地嶽巨石古墳に鎮座されています〉と記述。続けて〈巨石古墳とは「横穴式石室古墳」で寛保元年(1741)宮地山が鳴動(地震)し、その口が開きました。以来、あまりに荘厳な墳墓からか、修験者たちが不動明王をお祀りしました。そこで当社の不動明王は岩屋不動とも称され篤い信仰を頂いております〉と説明されています。

 さらに、案内解説文=写真②=は〈この古墳は玄武岩を五~六m四方の大きさに切りだし、十三個を左右上下に組み合わせて作られた石室を持ち、全長は二十三mを誇る日本一の大きさで、古墳時代の終焉六世紀~七世紀にかけて建立されたものです〉と続きます。

 

写真②:「宮地嶽横穴式古墳と奥之宮不動神社」の案内解説文

 このあと、解説文は〈古墳内部からは三百数十点余りの宝物=写真③=が出土、瑠璃(ガラス)壺や黄金の鐙(あぶみ)、黄金の天冠(てんかん)、特大金銅装頭椎大刀(とくだいこんどうそうかぶつちのたち)等、特に豪華絢爛な二〇点が国宝の指定を受けています。この様な所から地下の正倉院とも称され、同時代の奈良・飛鳥の石舞台の主である曽我馬子公の墳墓よりも規模が大きい事から、ここ北部九州一帯を治めた埋葬者の絶大なる権力を垣間見る事が出来ます〉としています。

写真③:「宮地嶽横穴式古墳と奥之宮不動神社」の案内解説文左橋に掲載された黄銅壺鐙(左)と金銅装頭椎大刀の写真

  ここまでの解説文で、気付いた点。〈この古墳は(中略)石室を持ち、全長は二十三mを誇る日本一の大きさ〉とありますが、吉村青春著『津屋崎学』の第11章第3節「宮地嶽古墳」=写真④=では「墳丘内部の巨大な横穴式石室は全国で2番目に長い全長23㍍。(中略)ちなみに、全国で1番長い横穴式石室は、奈良県橿原(かしはら)市見瀬町にある〈見瀬丸山(みせまるやま)古墳〉の石室で、長さ28.4㍍だ。全国で6番目に大きい前方後円墳で、6世紀後半に築造され、欽明天皇とその妃の堅塩媛(きたしひめ)の合葬陵とも推定されている」としています。

写真④:巨石で築かれた「宮地嶽古墳」の石室(吉村青春著『津屋崎学』から)

 解説文は、最後に〈宮地嶽神社の眼下には玄界灘の島々が見渡せ、白砂青松の海岸には日本一綺麗な夕陽が沈みます。「相ノ島」はそこに位置しています。この相ノ島こそ、海人族・安曇の聖地です。そして宮地嶽古墳の巨石は、この相ノ島から切り出された玄武岩ですし、相ノ島の積石古墳と同質の石です〉と解説。〈安曇の粗は磯良公と申され芸能の粗とも言われています。その末裔には磐井の戦で名を馳せた「つくしの磐井」が居ます。そして宮地嶽神社には安曇の人々に繋がる九州王朝の長が祀られています。そんな〝つくしの磐井〟に繋がる「つくし舞」明治初年頃まではこの古墳内部で舞われていましたが長らく途絶え、昭和五十八年に当社にて再興・伝承されています〉と締めくくられています。

 この〈宮地嶽古墳の巨石は、この相ノ島から切り出された玄武岩ですし、相ノ島の積石古墳と同質の石です〉と、〈宮地嶽神社には安曇の人々に繋がる九州王朝の長が祀られています〉の2点の記述についての知見を持ち合わせていません。『津屋崎学』の中では〈副葬品の豪華さから〝地下の正倉院〟とも称される「宮地嶽古墳」の被葬者は、娘の尼子娘(あまこのいらつめ)を天武天皇の后とし、大和王権と深いつながりを持つ宗像君徳善(むなかたのきみとくぜん)との説が、有力視されている〉と紹介しています。

  「宮地嶽古墳」の被葬者を宗像君徳善とする考古学会の通説と相容れない〈九州王朝の長が祀られています〉説について、同学会の見解を伺いたい。また、〈宮地嶽古墳の巨石は、この相ノ島から切り出された玄武岩です〉との根拠も明示できるのか、知りたいところです。福津市と宗像市、福岡県が2017年(平成29年)のユネスコ世界遺産登録を目指している日本の推薦候補・「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」構成資産5件の一つ、「新原・奴山古墳群」(福津市)=写真⑤=は、「宮地嶽古墳」の被葬者も宗像君一族と位置づけているようです。世界遺産登録国内推薦候補地を巡る観光客が、「宮地嶽古墳」の前に立ってこの案内解説板を見て、被葬者は一体誰なの? と首をかしげないですむよう願いたいものです。

写真⑤:世界遺産日本推薦候補・「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」の「新原・奴山古墳群」(向こう右は玄界灘に浮かぶ「大島」)

     =福津市奴山で、2015年8月27日午後1時20分撮影

 

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