吉村青春ブログ『津屋崎センゲン』

“A Quaint Town(古風な趣のある町)・ Tsuyazaki-sengen”の良かとこ情報を発信します。

2020年7月19日/〈貝寄せの浜・「貝寄せ館」物語〉119:宗像市から来館

2020-07-19 22:13:17 | 「貝寄せ館」物語

写真①:「津屋崎千軒昭和初期の町並み」復元地図を見る砂場一明さん(右奥)と木元富夫さん

   =福津市津屋崎3丁目の「貝寄せ館」で、2020年7月19日撮影

 津屋崎の石屋はどこに多かったか調査で「貝寄せ館」に来館

「津屋崎千軒昭和初期の町並み」復元地図でチェック

  私が所属する福津市のまちづくりボランティア団体・「津屋崎千軒 海とまちなみの会」の津屋崎3丁目にある本会の観光ガイド拠点事務所・「貝寄せ館」に7月19日、宗像市から年配男性二人が来館されました。

 宗像市の砂場一明さんと、木元富夫さん。砂場さんは「新修宗像市史編集委員会」近代部会で津屋崎の石屋について調査のため来館。「海とまちなみの会」が平成20年(2008年)に作製し、「貝寄せ館」に展示している「津屋崎千軒昭和初期の町並み」復元地図)=写真②=に記入されている数軒の石屋を私が指差し、津屋崎千軒の町並みから「津屋崎橋」を渡った渡地区にはもっと多くの石屋があったことを説明しました。

 平成10年(1998年)に旧津屋崎町が発行した津屋崎町史民俗調査報告書『津屋崎の民俗(第三集) 渡・梅津・末広・岡の二、三』によると、渡地区の生業(五)石工のくだりに<渡は字蛭子ノ元から京泊に至る海岸に渡石があったので、明治時代以前から石屋があり、職人を石工と呼んだ。昭和元年~十年ごろには石屋が二十軒ぐらいあり、親方も含め職人が四〇~五〇人ぐらいいた>としています。

 渡の石工麻生市蔵は、宗像大社本殿前にある池の石橋の大正六年三月の改造を受け持ち、橋の右外側に名前が刻まれています。

写真②:「海とまちなみの会」が2008年に作製し、「貝寄せ館」に展示している「津屋崎千軒昭和初期の町並み」復元地図

 

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