吉村青春ブログ『津屋崎センゲン』

“A Quaint Town(古風な趣のある町)・ Tsuyazaki-sengen”の良かとこ情報を発信します。

2009年2月10日/〈日記〉325・津屋崎にニッポンバラタナゴが生息する不思議

2009-02-10 05:02:08 | 日記
写真①:津屋崎の農業用水路に生息する絶滅危惧種の淡水魚・ニッポンバラタナゴ
    (「30世紀福津フォーラム」の案内チラシから)

「ニッポンバラタナゴ」が生息する奇跡の自然
~30世紀の子孫たちに〝津屋崎の宝〟を手渡そう~

 福津市文化会館(カメリアホール)で、1月31日から2月1日まで開かれた「30世紀 福津フォーラム ~つなぎたい! 自然と人の営みを~」(同実行委員会主催)で、津屋崎の農業用水路に絶滅危惧種の淡水魚・ニッポンバラタナゴ(コイ科)=写真①=が生息しているのを知り、驚きました。そして、この小さな日本固有の淡水魚が物語る津屋崎人の祖先の生活史に、感動しました。

 この物語を聴いたのは、「30世紀福津フォーラム共同代表」で、九州大学大学院農学研究院の農学博士・鬼倉徳雄さん(魚類学)の基調講演「生き物は歴史と人々の暮らしを物語る!」です。

 講演などによると、ニッポンバラタナゴは大阪府と九州北部のため池や農業用水路などの一部の地域にだけ分布し、環境省のレッドデータブックで絶滅直前の「絶滅危惧ⅠA類」に分類。体長約4㌢で、産卵期の雄は〝バラ〟タナゴの名前の通り赤い婚姻色に変身します。

 津屋崎での生息地は、入海の「津屋崎干潟」東岸・竪川地区から北の勝浦地区までの農業用水路です。古代の津屋崎は、「新原・奴山古墳群」の西側を南北に走る現在の国道495号線付近まで入海が奥まで切り込み、広い塩生湿地で、淡水魚のニッポンバラタナゴは生息していませんでした。

 ところが、江戸時代に干潟を埋め立て、新田開発や塩田化が進み、干潟面積は大幅に縮小。明治末に塩田が廃止され、一帯が水田や畑地に変わって以来、ニッポンバラタナゴはどこから来たのか? 津屋崎の南西にあたる福岡地方の洪水であふれた河川や水路の生息地から流されてきた、とも考えられるという。ここには、希少生物を軸とした地域生活史の謎解きの楽しさがあります。

 これまで津屋崎の貴重な野生生物といえば、「津屋崎干潟」のカブトガニや冬鳥・クロツラヘラサギ、恋の浦や勝浦浜で産卵するアカウミガメのことは知っていましたが、ニッポンバラタナゴという希少種の淡水魚が「津屋崎干潟」の後背湿地の農業用水路に残っていたとは……。鬼倉講師は、百万都市・福岡の近くの津屋崎にこれほど絶滅危惧種の生きものが生息する自然が残るのは奇跡ですと強調、自然と人の営みを文化的景観として保全・活用をと訴えておられました。

 江戸時代から続く〈津屋崎千軒〉の古い町並みは、「津屋崎千軒民俗館『藍の家』」が福津市で初めての国登録有形文化財に登録、「津屋崎干潟」は福岡県指定鳥獣保護区になっているものの、この地域から東部山麓の「新原・奴山古墳群」を含めた国指定史跡・「津屋崎古墳群」までの間に広がる水田地帯には文化財的価値づけが見つからないな、と思っていました。突然、私の目の前に現れたニッポンバラタナゴが、海辺から山際までの津屋崎の自然と歴史や文化、人の営みとをつなぐ大いなる地域遺産なのだと、目を開かされました。


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