社会人大学の野外講座として、今年は歌舞伎鑑賞会に参加した。バレエ、文楽、歌舞伎と3回あったが、日程の都合がついたのは歌舞伎だった。歌舞伎を見るのは、今回で3回目である。長い話だったが、涙なくして見られないシーンが多くついつい話にのめりこんでしまっていた。
「塩原多助一代記」はもともと幕末から明治に人気を博した噺家(はなしか)・三遊亭円朝が人情噺として高座で取り上げたものだ。歌舞伎では五代目尾上菊五郎が一八九二(明治二十五)年に歌舞伎座で初演した。戦前は六代目菊五郎、初代中村吉右衛門らが多助を演じたが、戦後は一九六〇(昭和三十五)年に二世尾上松緑が演じたきり、途絶えていたという。今回、五十二年ぶりに復活した演目であったということだ。
公演の詳細は下記の通り
《国立劇場十月歌舞伎公演》
通し狂言塩原多助一代記(しおばらたすけいちだいき) 六幕十一場
序 幕 上州数坂峠谷間の場
二幕目 第一場 下新田塩原宅門前の場
第二場 同 奥座敷の場
第三場 沼田在田圃道の場
第四場 同 庚申塚の場
三幕目 第一場 横堀村地蔵堂の場
第二場 同 裏手の場
四幕目 神田佐久間町山口屋店先の場
五幕目 昌平橋内戸田家中塩原宅の場
大 詰 第一場 本所四ッ目茶店の場
第二場 相生町炭屋店の場
(出演)
坂 東 三津五郎
中 村 橋 之 助
中 村 錦 之 助
片 岡 孝 太 郎
中 村 松 江
坂 東 巳 之 助
中 村 玉 太 郎
上 村 吉 弥
河原崎 権 十 郎
坂 東 秀 調
市 村 萬 次 郎
市 川 團 蔵
中 村 東 蔵
坂東三津五郎が、東京・国立大劇場で上演中の十月歌舞伎公演「通し狂言 塩原多助一代記」で主人公の多助と悪党・道連れ小平の二役を早替わりで演じている。多助は江戸時代に実在した人物(塩原屋太助)で多くの苦難を乗り越え江戸屈指の炭商人となった。立志伝中の人物として昔は芝居や講談でよく取り上げられたが、戦後は忘れられ、歌舞伎としては五十二年ぶりの復活。三津五郎は「古くさい物語と思われがちですが、多助は近代的でユニークな発想の持ち主。全身全霊で命を吹き込み、現代によみがえらせたい」と意気込む。 (東京新聞より)
この作品は、落語家が人情噺として取り上げた題材だけに、かなり長い話である。それを歌舞伎で演じるわけなので、ところどころ話が飛んでいる。幕間で借りたイヤホンガイドで話が飛んでいる部分の説明があったので、なんとか話は理解できた。イヤホンガイドがないと、話の繋がりが分からない。歌舞伎では、イヤホンガイドは必須である。
このお話で特に泣けるのが、二つのシーンだ。一つは、多助出奔の際に、愛馬・青と別れる件である。多助の袖をくわえて別れを惜しむなど青の演技がいい。青は二人の人間が馬の前足と後足になって演じているのだが、ピッタリ息のあった動きを見せていた。
またもう一つは、昌平橋内戸田家中塩原宅の場である。子供の頃、両親と別れ別れになった多助が、炭を運んだ屋敷で偶然に母お清(東蔵)と再会する。そして、多助とお清の話を聞いていた父角右衛門が、ふすまの奥で多助とは顔を合わさず、あえて非情に振る舞うシーンが泣かせる。父角右衛門は、義理を通すためにあえて息子とは顔を合わせないのだ。昔の武士は、情に流されず筋を通すという日本人の気概のようなものに感動した。姿を現さない父の前で必死に耐える多助と、息子に会いたいのにぐっと堪える父の姿は、涙なくしていられない。
しかし、最後は豪商の娘お花が多助にほれ込んで女房になり、昔助けた炭商人から千両もの炭を運び込まれ、江戸屈指の炭商人になって大団円という幕切れであった。最初は、いろんな困難に合うが、本人の努力で困難を乗り越え、やがては大成功を収めるという立志伝であり、見ている側としても安心してみていられる話だ。ハラハラドキドキしたあとは、じっくり泣かされ、最後はお約束のめでたしめでたしである。日本の古典話、たまにはじっくり見て感動するのもいいものだ。
あお、っていふのは、非常に朴訥で不器用
な命名ですね。しかもセンスがありますね。
好感がもてます。
「愛馬」と言へば、「愛馬進軍歌」ですね。
私はいまもときどき、朝の乾布摩擦の時に
口ずさむことがあります。
「♪きのう落としたトーチカで、
今日は仮寝の高いびき~」
(朝の乾布摩擦は、うそです。)
この塩原多助の話に出てくる馬のことだったのですね。
子供の頃、この話を何かで読んで頭の中に刷り込まれていたのに違いありません。
この歌舞伎で、お話がよくわかりました。
小松さん!
「愛馬進軍歌」なんて、私は知らないよ~。