とっちーの「終わりなき旅」

出歩くことが好きで、趣味のマラソン、登山、スキーなどの話を中心にきままな呟きを載せられたらいいな。

定額給付金の通知来る

2009-04-20 20:14:33 | 呟き
このところ話題となっていた定額給付金の通知が、我が家にも今日届いた。
夫婦二人分で24000円である。早速用紙に記入して、受け取るようにした。
用紙には、辞退という欄もあるがもちろん辞退なんてしない。私たちが納めた税金の一部が還付されるという認識なので、しっかり頂くつもりである。

用紙には、住所氏名と振込先の口座番号を記入するだけで特に難しいことはない。あとは、銀行の通帳の表紙をコピーして裏に貼り付けて終わりである。あとは、振込みを待つだけだ。

使い道はどうするかである。旅行業界等は1万2千円でのパック旅行等を企画してるなんて話をよく聞くが、我が家の場合はそれを当てにして旅行に行く予定はないし、やはり生活費の一部として充当していくことになりそうだ。

チャレンジマラニック60キロ 小田原~箱根路~足柄路

2009-04-19 21:09:27 | マラソン
「しんしん」さんのお誘いで、「チャレンジマラニック60キロ 小田原~箱根路~足柄路」に参加してきました。金曜日の夜、家を出発してスタート会場の小田原アリーナに着いたのは夜の11時。車中泊して翌日に備えるつもりで寝支度をしていると、ミニバイクが2台近づいてきました。巡回の警察官の職務質問でした。広い駐車場にぽつんと車があるので目立ったらしく、いろいろ聞かれ最近近くで発砲事件があったなんて話を聞かされると、車中泊がなんだか不安になってしまいました。しかも、また別の巡回があるかもしれないとの話で気になっていたら、案の定夜中の2時半にパトカーが来て起こされてしまいました。そんなことであんまりよく眠れなかったのですが、なんとか、スタート会場に立つことができました。

今回の参加者は120名ほどとの事で、スタート会場にランナーが集まってきました。

主催者から今回のテーマは「エコ」なマラニックにしたいということで、エイドで使うコップは一つだけで、各ランナーはコップに紐をつけマイカップとして体に繋いで走ります。おかげでエイドでコップがゴミになることなく、無駄にならずに済みました。主催者側もゴミ処理をしなくて楽になったはずです。会場では、エアロビで体をほぐしたあと、少女たちのチアダンスの応援を受けてスタートです。


スタートは30人ずつの小集団となっての時差スタートです。私は最後の集団に入りゆっくりと小田原城まで向かいました。

小田原城が最初のエイドで、記念写真を撮ったり、二宮金次郎の懐かしいブロンズ像(全国で1000体作られたが、戦時中の供出で現存しているのはここの一体だけである)を見たりして箱根に向けて走りました。


国道1号線に入るといよいよ箱根駅伝のコースに入ります。箱根湯本の賑やかな商店街を抜け徐々にきつい山登りの道になって行きます。箱根駅伝の選手が快速で走り抜けていくのとは違い、ゆっくり走り続けました。こんな道をキロ3分台で走るなんてまったく凄いことです。

道路は車の通行も多く、排ガスの臭いが気になりましたが、ほとんど歩かずに走りました。途中で見た山の斜面に咲いた満開の山桜や、川の流れもきれいでした。

ガラスの森美術館の横も通り観光客で賑わってました。


仙石原を過ぎると金時山の登山口に着きます。ここで、握ったばかりのあたたかいオニギリを頂き、金時山の登山の始まりです。一般登山者の中に混じって頑張って登ると、乙女峠に出ました。ここからの富士山は見事な眺めでした。少し前までガスにかかって見えなかったようでしたが、ガスが切れ山頂から5合目あたりまでの富士山がくっきり浮かび上がっていました。いいタイミングで富士山を眺めることができてラッキーでした。

ここからさらにアップダウンをして1時間ほどで金時山の山頂です。金時山山頂までは交通手段がなくエイドの水や食料はすべてスタッフが背負って運んでくれたようです。スタッフのご苦労がありがたく、美味しく水をいただきました。

金時山からは、残念ながら富士山は見えず、またもやガスの中に隠れてしまいました。本当なら金時山の看板の向こうに大きな富士山が見えるのですが残念。芦ノ湖方面の景色だけはよく見えました。


金太郎の鉞を持って記念撮影した後、急坂を下山です。

坂を下りきると足柄峠までは緩やかな林道で気持ちよく走れます。


途中では、巨大な食用カエルの池があり、カエルの鳴き声に圧倒されました。


ここで金太郎の里とはお別れです。

林道を抜けると、一般道に戻り地蔵堂に着きます。ここのエイドの隣には、TVでも紹介された万葉うどんの店があり、「手打ち湯うどん」を食べることができました。疲れた胃にやさしい「万葉うどん」は美味しかった。ここではマイ箸を持参すると替え玉が1杯無料になるのです。やはり「エコ」に気をつかっていますね。その次のエイドでは、浴衣姿の女性スタッフと「バカ殿」に扮した男性スタッフが賑やかに応援してくれ楽しませてくれました。


そして、残りは緩やかな下りとなり真面目に走って行きました。残り10キロほどとなった頃からきつくなってきました。足柄大橋を過ぎると酒匂川沿いのサイクリングロードとなり、残り5キロ程となりました。

歩きたくもなりましたが「しんしん」さんが頑張って走っているので、あと少し、あと少しと思いながら二人で無事ゴールできました。この日は午後からいい天気となり、絶好のマラニック日和で楽しく走ることができました。

その後、懇親会に参加し、主催者やゲストの山西哲郎(群馬大学教授)さん達と同じ宿に泊まりランニング談義に花を咲かせました。今朝も山西先生のランニング教室に参加して疲れた体の癒し方とかストレッチ法を勉強して帰って来ました。今回は大変有意義なマラニックとなりました。




イチロー:3086安打 日本選手最多安打記録更新

2009-04-17 18:21:51 | スポーツ
シアトル・マリナーズのイチロー選手が、今日セーフコ・フィールドで行われたエンゼルス戦の四回の第2打席で右前打を放ち、日米通算安打を3086本(日本1278本、大リーグ1808本)として、張本勲氏持つ3085本の日本選手最多安打記録を塗り替えた。

昨日は、張本氏の見ている前で、満塁本塁打を含む2安打を放ち、張本氏の記録に一気に並び、復帰後第1戦から大いに湧かせてくれた。張本氏は「大あっぱれ」と手放しで喜んでおり、イチローは大したものである。新聞やテレビでもトップニュースに取り上げられ注目度も大きいだけに、あっと言う間にやり遂げてしまうあたりスピードを重視するイチローらしい。

最近のイチローは、昨年大リーグ記録に107年ぶりに並ぶ8年連続200安打をマークした。今年3月には第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で日本の連覇に貢献した。まさに日本人におけるスーパースターである。これからも、ハイペースでヒットを量産し続ければ、大リーグの最多安打記録(ピート・ローズの4256本)に到達できるかも知れない。これからも、イチローの活躍が大いに気になるところである。

足底装具を着ける

2009-04-16 22:30:42 | 呟き
10日ほど前に膝を痛めて整形外科に通っていたのだが、その時足底に装具を着けるように薦められた。そして、足の寸法を取って業者に依頼していたのが今日出来上がってきた。早速、足底に装着してみた。O脚気味の姿勢を正し、膝の骨が上下で擦りあわないようにするのが目的である。医者の指示では、なるべく常時装着するように言われたのだが、装着感はやはり違和感がある。今のところ、膝の痛みはなくなっているので足底装具がなくても走れそうだが、いつかまた痛みが出てくるかもしれないので楽観は禁物だ。

最初だから、違和感があっても仕方ないのだろうが、このまま慣れることはできるのだろうか心配だ。とにかく慣れて、姿勢を正すしかないのだろう。頑張ってみることにする。

聖徳太子ゆかりの地へ

2009-04-15 19:41:09 | 観光
二上山を下山してから時間があったので、歴史上有名な場所に行こうということで大阪府になる隣町の太子町に向かった。太子町内には数多くの天皇・皇族クラスの古墳があり、『近つ飛鳥』、『王陵の谷』とも呼ばれ、その中心となるのが、梅鉢御陵と呼ばれる、敏達・用明・推古・孝徳の各天皇陵と聖徳太子御廟である。また、近くを通る「竹内街道」は、飛鳥時代に推古天皇によって作られた難波と飛鳥京を結ぶ日本最古の官道と言われており、今もなお昔の面影を残しているという。そんな訳で、歴史ロマンを感じる聖徳太子御廟のある叡福寺に行ってみることにした。

叡福寺は聖徳太子墓を守護するために、推古天皇によって建立された。奈良時代には聖武天皇が大伽藍を整備したと伝えられ、聖徳太子信仰の霊場として発展した。織田信長の兵火によって、一時は全山が焼失したが、豊臣秀頼の聖霊殿再建に始まり、順次伽藍が再興されている。

(叡福寺の「多宝塔」は重要文化財に指定されている。)

聖徳太子御廟は、聖徳太子自らが廟と決め、推古28年(620年)に墓所を造営。翌年、太子の母 、穴穂部間人(あなほべのはしひと)皇后が死去したのでこの墓に葬り、更に推古30年(622年)には太子と妃の膳部大郎女(かしわべのおおいらつめ)とが同時期に亡くなり、この同じ墓に葬られ、三骨一廟とよばれており、横から見ると3段の廟になっているのがわかる。


(聖徳太子御廟)

この日は、丁度「太子まいり」と呼ばれる聖徳太子を偲んで行われる大乗会式に当っていたので、境内には露天も数多く並び、多くの参拝客で賑わっていた。そして、いいタイミングで高野山の僧侶たちによる柴灯護摩供養という行事を見ることができた。めったに見ることができない行事をたまたま居合わせてみることができてラッキーであった。以下の写真は柴灯護摩供養の様子である。



(聖徳太子御廟に山伏姿の僧侶が向かう)

(刀を振る)

(弓矢を射る)

(火をつける)

(法要を行う)

(風下の煙が凄い)

奈良県の二上山を歩く

2009-04-14 22:29:14 | 山登り
雄岳(517m)と雌岳(474m)の二峰に分かれた二上山は奈良盆地を挟んで三輪山の西に正対するので、大和国から見ると雄岳と雌岳の間に太陽が没する。ゆえに死者の魂が赴く山として古代には特別な思いが寄せられた山である。

こんな紹介記事を読んで、ロマンがある山として興味を抱き登ってみることにした。高い山ではないので歩行時間も短く、お花見がてらハイキングを楽しむつもりで計画した。土曜日にマラニックをした後であったが、一眠りしてその日のうちに、奈良県に向かった。二上山の麓にある道の駅「ふたかみパーク當麻」に着くと、日の出まで仮眠をした。

目が覚めると、駐車場の周りが、なんだか賑やかである。駐車場は満車状態となっていて登山者らしき人やランナーらしき人が一杯集まっていた。何かのイベントが開催されているようだった。聞いてみると「大阪府チャレンジ登山大会」というイベントがあり、参加者がスタートのために集まってきていたようだ。この大会は、体力・脚力・技術に応じて、歴史とロマンの二上山,葛城山,金剛山を踏破する、大阪府制定「ダイヤモンドトレール」コース36kmの登山大会であった。歩いてもいいし、走ってもいいということで、我々もその間に混じってしばらく登山をすることになった。



二上山は歴史的な史跡や古墳が多い場所である。まず最初に出会ったのが、鳥谷口古墳だ。鳥谷口古墳は、高さ2.1m、一辺約7.6mの方墳。古墳時代の終末期、7世紀後半頃に築造。この古墳は、後で出てくるが大津皇子の墓ではないかとも言われているがその真偽は定かでない。

その後、登山者やランナーと一緒に山を登り2番目の史跡がある岩屋岩窟に着く。

岩屋岩窟は、雌岳中腹にある石窟寺院跡。西向きに開口する大小2基の石窟があり、「岩屋」と呼ばれる。大石窟(間口7m、奥行き5m、高さ6m)内部には、中央に3層からなる凝灰岩製多層塔(高さ3m)があり、その台座下部には涌水を溜める小坑が残っている。寺名や縁起は失われているが、出土した須恵器などから奈良時代の築造といわれる。国指定史跡。中将姫が當麻曼荼羅をここで織ったという伝説もある。


チャレンジ登山の人たちは、このまま下っていくのだが、我々は雌岳山頂を目指して登っていった。

ここから静かな山歩きとなった。ほどなく雌岳山頂に着くと山頂は桜が満開で気持ちよい広場となっていた。山頂には大きな日時計やベンチが置かれ、公園のように整備されている。ほぼ360度の展望が開けており、大和平野や大阪平野、金剛連山が見える。


雌岳を下り馬の背と呼ばれる尾根を登ると、雄岳の山頂である。雄岳の山頂は私有地ということで入山料(200円)を取られた。山頂には、葛木二上神社があり「権現さん」として地元の人々から親しまれている。創祀時期は明らかではない。祭神は豊布都御霊神(とよふつみたまのかみ)(建御雷神(たけみかずちのかみ)ともいう)と大国御魂神(おおくにみたまのかみ)。御雷の名は雨を降らせる雷神であり、雷は神鳴りともいわれる。この神社の奥の広場で、早い昼食を取ることにした。今回の昼食は、スパゲッティを茹でて食べることにした。ミートソースも出来合いを買ってきたので温めるだけである。ガスの火力があるので茹で上がるのも早く、簡単に出来上がった。


食事が終わると、葛木二上神社を抜けすぐ下にある大津皇子の墓に寄った。ここが今回同行したS氏が最も寄ってみたかった場所である。二上山雄岳山頂近くにある経十数mの円墳だ。大津皇子は第40代天武天皇の第三皇子で文武両道に優れ、『懐風藻』や『万葉集』に歌がおさめられている。草壁皇子とともに天武天皇の継承者と目されていたが、686年9月天武天皇の死後、謀反の罪で捕えられ、磐余の地で処刑された。弱冠24歳であった。この謀反は持統天皇側の陰謀であり、無実であったとする説もある。皇子の死を嘆き悲しんだ姉の大伯皇女(おほくのひめみこ)の「現身(うつせみ)の人なる吾や明日よりは二上山を弟背(いろせ)と吾がみむ」という『万葉集』の歌は有名で、この場所は宮内庁が管理している。



大津皇子の墓からは、整備された登山道を1時間ほどで下山した。今回は飛鳥時代の史跡や古墳をめぐる歴史散策登山であった。雄岳の稜線から雌岳の斜面一杯に咲き乱れる山桜もきれいであった。

特に飛鳥の歴史に詳しいS氏が来てくれたおかげで、いろいろな薀蓄話を聞けたのが良かった。登山自体は3時間半程度で歩き足らない感があり、時間も早いので、聖徳太子の墓がある太子町叡福寺に寄ることにした。続きはまた明日。

2009「お花見天竜マラニック」詳細

2009-04-13 23:32:18 | マラソン
11日のマラニックの様子を紹介する。
当初参加者は10名ほどの予定であったが、都合が悪くなった人もいて8名集まった。船明ダム堰堤もお花見の名所で有名であるが、先週あたりがもっとも見頃だったようで、すこし散り始めていた。それでも、まだ充分見ごたえがある。堰堤の桜をバックに記念写真を撮り船明ダム駐車場を8時にスタートした。

(ダムをスタート)

スタート時はしばらく平坦である。桜や菜の花やチューリップ、芝桜などたくさんの花々が沿道に咲いていた。

(民家の前の芝桜)
今が一番花が美しい季節である。少しずつ坂道を登っていく。新緑の下、渓流のせせらぎに耳を澄ませ、空一杯に広がった山桜の下を走っていった。

(空一杯に広がった山桜)

今回も、タラの芽採りのため服装や道具まで揃えてきたSさんは、寄り道して藪の中に潜り込みタラの芽採りに熱中していた。

(タラの芽採りに熱中するSさん)
帰りに、たくさん採ったタラの芽の一部をおすそ分けしてもらい我が家の夕食の一部になった。

スタートして2時間半くらいの所で、「がんもどきさん」が車で追いかけてきてくれた。車の中には手作りのケーキ、おにぎり、コーラ等たくさんの差し入れがあり、ありがたく頂く。

(がんもどきさん手作りケーキ)
走ることもいつも一生懸命だし、ケーキやおにぎりも頑張って作ってくれたようである。忙しいなか、遠いところまで駆けつけてくれた「がんもどきさん」には感謝したい。そして、エードを開いてくれたところが目的の熊平の桃源郷であった。今年も去年と同じく見事な桜が出迎えてくれた。

(熊平の桃源郷の桜前で)


(屋敷の裏の大きな桜の樹)
他にも枝垂れ桜や桃の花、菜の花等色とりどりの花が咲き誇っていた。今年も期待通りの見事な景観であった。

充分桜を堪能して、昼飯を食べるため熊(くんま)の道の駅に向かった。川沿いにある桜も良かったし、清流の下には鮎やヤマメが群れを成していた。

(川沿いの枝垂れ桜やツツジ)

(清流の下の鮎やヤマメ)

道の駅でビールと蕎麦を食べ、桜吹雪の中、一本杉トンネルまで向かった。

(お気に入りのツツジ)

本来なら一本杉トンネルを抜けて10キロ以上の長い坂を下りていくはずだったが、Hさんの提案で「タラの芽の宝庫」があるという林道を経由していくことになった。林道東嶺線という道でそのまま行けば、ゴール地点の船明ダム近くに下りることができるらしい。どんな道かわからないが、観光地図だけの情報だけを信じてコースを代えて走っていった。

途中で出会った人たちに道を聞きながら、方向は間違っていないと確信して走った。最初はかなり上り坂が続き、いつもよりも標高の高い場所を走っていたようである。初めてみる風景に山の深さを思い知らされていた。観光地図で見た「タラの芽の宝庫」や「東屋」らしき物は見つからず、休憩のタイミングが、なかなかなかった。そんなさなか、道端で蛇を発見した。まったく動かないので死んでいるかと思ったが、通りすぎてから棒で突いたら急に鎌首を持ち上げ威嚇してきた。間違いなく「マムシ」だった。

(威嚇するマムシ)
誤って尻尾でも踏んだら噛み付かれて危ないところだった。Hさんは生け捕りにして、持ち帰りたかったようだが、危険なのであきらめてもらった。

そんな事件もあったが、あとは何事もなく予定通り「天竜下り」の船着場近くに下り、船明ダム駐車場に戻ることができた。本来のコースより3キロほど短かったようであるが、エスケープルートとして使えることがわかった。ただ、単調な林道なので本来のルートよりは面白みはないかもしれない。

(ゴール間際)

ダム駐車場から少し先に行ったところに茶店があり、緑の桜『御衣黄(ぎょいこう)』が満開となっていた。去年初めて見て知っていたのだが、去年と同じく期待通りの開花状況だった。

(御衣黄)
そして、午後3時からは鳶の餌付けが始まった。新聞でも報道されていて有名な場所なのだが、丁度いいタイミングであった。100羽近くいるであろう鳶の群れが、人間の投げ出す餌に喰らいついてくるのは圧巻である。



(鳶の群れ)

餌付けが終わる頃、全員が揃った。無事全員完走である。ことしも見事な桜で楽しいお花見マラニックであった。









グリムス(gremz)【大人の樹へ成長しました】

2009-04-12 23:32:18 | エコ
今日一日出かけていたのだが、帰って来てブログを見たらグリムスが大人の樹に成長していてびっくり。まさかこんなに早く大人の樹になるとは思ってもいなかった。発芽から77日目であった。多分100日以上はかかると思っていたのだが、意外と早かった。毎日せっせとブログを書いたおかげで成長が早かったのかな。しかも、ピンク色で4月らしくサクラ色の樹である。ここしばらくお花見が続いたので、まさにタイムリーな成長だった。

そして、グリムス運営チームからも。成長のお知らせメールが届いていた。

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こんにちは、グリムス運営チームです!

大切に育てて頂いた苗が大人の樹へ成長しました。
育てた樹は、ログイン後のマイページにて確認可能です。

今回育てて頂いた樹に相当する植樹はNGOの準備が整い次第実行されますので
現在は「植林スタンバイ」の状態となります。
タイミング的に次回植林時に間に合わない場合もございますので
ご了承下さい。

ブログパーツはこれから10日間ほど大人の樹が表示されますが
その後また新しい苗が育ちます。
そして、ある一定数以上の樹を育てた方には、
なんと「プレミアムブログパーツ」が出現したりします。

これからも一緒にグリムスで多くの樹を育て、
地球環境へのエコアクションを実現しましょう!
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これで、自分のブログのおかげで、中国かアフリカのどこかに1本植樹を行ってくれる様である。うれしいことだ。10日後、また新しい苗から再スタートであるが、2本目、3本目と多くの樹を育てて行きたい。

お花見天竜マラニック

2009-04-11 18:53:12 | マラソン
今年も天竜の山奥にある熊平の樹齢100年以上の桜を見るために42キロのマラニックに行ってきた。5年前のこの時期に練習のために天竜の船明ダムをスタートして熊(くんま)、横山を経由して船明ダムに戻るコースを走ったが、その時たまたま、その桜に遭遇して感激。以来毎年この時期に走ることにしている。

今年も私の呼びかけで8名が集まり一緒に走ってくれた。天気は快晴で絶好のランニング日和となり暖かい日となり一日いい天気だった。お目当ての樹齢100年以上の桜も見事に咲いており先週に続いてお花見三昧のマラニックとなった。

さて、詳細をもっと書き綴りたいのだが、今日はあまり時間がないのでこの続きは後日、写真満載で載せたいと思っている。参加された方々、スイーツエイドで駆けつけてくれた「がんもどきさん」ありがとうございました。