意識が進化してゆくと必然的に知覚する世界も変質を遂げてゆく。
意識がより細かく精妙になるにしたがって、
知覚する世界がより細かく精妙になるわけである。
人にとって生起する事象というのは、
意識的に気づいてゆく事柄のことであり、
したがって意識自体の変化に伴い、
気づいてゆく事柄、体験する事象も変化してゆくことになる。
このことを真に理解することがいわゆる”アセンション”といって良い。
理解することで認識が深まり、意識が拡大する。
意識が拡大することは次元が上がるということだ。
意識を度外視して、勝手に都合の良い時空環境が出来るわけではない。
原因は・・・すべて・・それぞれの・・わたし・意識・にある。
繰り返すが・・物質・事象が先ではなく、意識が先にあるのだ。
●観察者とは創造者
量子力学的に言えば・・原子・分子・物質があるのは、
観察する行為があるからであり、
観察によって波動(ψ)が素粒子(m)となるということだ。
素粒子が集合して・原子・分子・細胞となる。
観察とは・・意識的な・・気付く‥と言う行為のことだ。
観察によって・・波動が粒子・・原子・分子・物質環境が起きている。
象徴的な言い方をすれば・・
(あなたの)意識があるから、(あなたの)世界がある。
それが集合して・・地球、このようなある一定枠の次元世界を創っている。
つまり、意識が物質世界を創っている・・のだ。
●自分自身を観察すべし
そんな馬鹿なことがあるか・・という人は、
まともな探求者・科学者をも信頼できないということを意味する。
あるいは、自分が今・・生存してここに生きている・・
その在る・・という事象に対して、
どんな探求も理解もしていないということだ。
あるいは、意識的に深く・・自らとその環境にも気づいていないのだ。
世界や事象、自分と無関係の何かが偶然に起きるのではない。
何かが起きたとしても、それに気づかないことは多々あり、
気付かない人にとっては・・事象・事件などは起きていないも同然だ。
いや同然・・という表現は誤解を招く、
気付かないならば、それは存在なんかしていないのである。
●コロナが何か?に気付かぬ人々
例えば、
ある人たちは、世の中に起こされたコロナやその騒動、
さらに輪をかけて広がっている原因である予防接種なるものの、
裏側にある意図に気づいていて、
それに巻き込まれてはいないはずだが、
逆に、・・気付いていない人々は、
何もわからず生命の危機に無意識にさらされている状況だ。
しかしながら、気づいていない人に対して、
何を言おうと説得しようと・・理解しないのである。
そういう人たちにとっては、
何が真実・本当なのか?でなく、権威的な他人様の指示が大事なのだ。
そうした場合は残念ながら・・しかし、それが本意ということで、
気付かず知らず、人口統計の削減の流れに消えてゆくのだろう。
例えば崖っプチに立っている人に、
そこは危険だと、真剣に何度言っても無駄という、
その不可思議さをあなたも経験したかもしれない。
●認識ギャップは次元の壁
そこには認識の明らかなギャップ、
意識(認識次元)の壁、バリアーが存在しているのである。
気付けるということが・どれほど大きいことなのか、
これに比べれば、道を塞ぐ巨岩など・・どうということもないくらいだ。
次元の違いとは・・時間空間の異なった世界のことではなく、
根本的に・・意識の拡大範囲・・認識・理解の違いなのである。
これもまた・・今現われている・・分岐の道である。
もう、どっちつかずは許される状況ではないことを意味するのだ。
・・・
●今までの観念支配
この世界の我々は、唯物的次元認識が刷り込まれていたため、
宇宙、世界とは時間空間(4次元)の中で様々な事物が運動している状況のことであり・・・
人間さえもその中の物質的存在であるという、そういう認識・信念が支配していた。
その中では、人間さえも有機的な物質で構成される生物であり、
ただ他と違うのはその与えられた「知的」能力にあり、
その知的能力によって物質を加工して様々な文化・文明を創り上げてきたという・・そういう認識レベルだったのである。
あなたも学校ではなんとなくそう教わったことだろう。
それを唯物論的、または3次元的世界認識と言おう。
認識とは意識して認める、それが事実であると「認識」する行為であり、
より広く、平たく言えば・・常識観念ということだ。
ひとたびその「認識」で終始すれば、あらゆる事柄がそのフィルターで偏向されることになり、それ以上は越すに越せないバリアーとして自分たちを閉じこめることになる。
そして、その閉鎖性・不自由さ・限界にぶち当たり頭を傾げるのだ。
この世界・地球文明は・・監獄惑星と言われる所以である。
今までは、この世界はその認識がゆえに、3(4)次元世界といわれてきた。
●支配者たち
今現に・・多くの人たちが集合し・・大事な大事な財産・財物・豊かな生活環境にこだわり、それを維持・発展させようと涙ぐましい努力をしている。
そう・・組織としては企業も世界も同じようなものだ。
さらに、組織には上や下があるように、
もっとも優秀?な人たちがこの世界のトップにいて、様々なものを陰に日向に支配しているということも事実だ。
誰しもうらやむ世界的・・と言われる超富豪、有名人、良く言われるか悪く言われるかは別として、ほとんどがそういう上流、支配層に属しているのである。
昨今グレートリセットで有名になってきた、ダボス会議、世界・経済・フォーラムなどはそのその象徴的な集まりだろう。
彼らは、超利己主義ではあるが、世間で言われる成功者と言われる人たちであり、3(4)次元的財産・地位等の獲得ゲームの勝者とでも言おうか。
確かに、自己生存環境の維持と、物質的な環境の構築のための知的な働きは大きく、先見の明と努力を惜しまぬ人が多いのも事実である。
●古い支配構図の崩壊
そして、昨今・・その支配層の有無を言わせぬような動きが起きてきたということに気付けるだろうか。
彼らの言うグレートリセットである。
それは逆に、彼らの生存に関わる由々しき時期に差し掛かったきた証拠・予兆とも言えよう。
今起きているなりふり構わぬ急激な動きを見るにつけ、
つまり本来の得意な分野である、膨大な情報や支配人脈、未来予測等によって、
一般人には気づかない、予期せぬ重大な何かに・・気付いているということが言えるのである。
それはあるレベルでは、欧米主軸文明の崩壊であり、
またあるレベルでは、ドル支配の終焉でもあろうが、
もっと本質的なレベルでは・・・
人類の意識の進化のステップアップを伴う、
宇宙的なイベントによる地球の生存環境の一大変容があろう。
・・・
支配層、自己利益・存続・繁栄に長けた者たちであればこそ、
そのサバイバルの為、企業のリストラと同じように、世界における自分たちの生き残り策を真剣に押し出してきたのであれば、
これは逆に、これから先・・今までの支配者にとって生半可な状況では無くなることをも意味している。
つまり、仮に、
努力して創り上げたと自認する居心地の良い状況が消えてゆくことになれば、
どうして簡単にそれを手放すこと等出来ようか?
何が何でも死守しようとすることだろう。
そして、
大勢の人間にはかまってられない、自分達の生き残りの為には、逆に足手まとい、邪魔な存在と映ってくることになり、
その時ある財や権力、人脈などを使って、
管理しやすいレベルまで、財産の温存、リストラ(人の削減)をやろうとするだろう。
なるほど、リストラにとっては、人員の削減と効果的配置が肝であるのは企業も何も変わりはしない。
そして人の削減は、病・飢饉・エネルギー枯渇、経済恐慌を起すことで、短い時間に可能となるのだ。
もちろんそれらが進行するにつれ、当然ながら多くの国・民衆が気付き始め、自らの生き残りを掛けて争う事にもなってくる。
それは今・・ちょうど今起きている・・起こされつつある事態なのである。
●今が黙示録のその時にあたる
「いや、まあ、そんなことはあるまいよ・・」で、元の木阿弥はこの先通用しなくなるだろう。
「わかるけど、今はまだその時ではない・・」は時遅し。
いまはもう、黙示録のその短い時代なのだ。
戦争と戦争の噂を聞き、国が国に、民が民に相対して立ち上がるような事態にもなるということだ。
人知れず、自分だけは近代的ノアの箱舟で助かろうとする権力者たち、
あるいは、そんなこと等あるはずもないと、たかをくくっている人たち、
また、何も気づかず知らずのぬるま湯に馴染んだ人たち、
主要メディアの一定枠の洗脳で群れさせられている人たちは、
やがて起きてくる身体的・精神的苦痛を味わって初めて、
ようやく事の異常さに驚き、おののき、世界的な恐慌・大混乱が起きてくるだろう。
●大峠は古い次元最後の浄化プロセス
これがいわゆる艱難の時期、避けては通れない「大峠」と言われるプロセスであろう。
またそれは、
培いながら押さえつけてきた、あるいは誤魔化し続けてきた、自らの悪想念・悪感情の噴出と具象化によるエネルギー解放のプロセスである。
しかしながら、それらは皆で一緒、一律、一様ではなく、
すでに各自でその歪を手放し、解消している者と、
全く無視して物質世界で流れてきた者とでは、
その大峠の越し方やその行き着く道は、
それぞれ全く異なることも明らかであろう。
世界の動きの異常さに気付いている人たちは、
そんなことなどあるわけもない・・仮にあってもまだ先だろう・・は、
もう通用しないことがわかるはずなのだ。
大峠を前にして、何が役立つかどうかは別にして、
すぐに備える努力を奨める次第である。
気付くか、そうでないかは、
まったく次元を異にすることは既に理解可能だろう。
(その4へつづく)
本日も拙い記事をご覧いただきまして、
誠に有難うございました。