気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

真のリセット(6)浄化の嵐の前

2022-07-26 08:55:56 | グレートシフト

巨大な太陽フレアが発生するとどうなるだろうか。

今でも様々な規模のものが時折起きているが、その規模の最大級と言われるXクラスのものが起きた場合には、もろに地球の文明に大きな影響を与えることになる。

一部で知られているかもしれない人物、先端的宇宙情報開示を行っているとされる「コーリー・グッド」という人物は、これをソーラー・フラッシュ、マイクロ・ノバ(規模の小さい超新星級のフレア)と呼んでいる。

そしてこれが近い将来起きる・・と予言しているようである。

 

コーリー・グッドの予言

 

仮に、通常の太陽フレアの数十倍クラスのもの、ソーラーフラッシュが起きればどうなるかと言えば、

太陽から放出される巨大なプラズマ流が地球上に直撃して、地上のあらゆるタイプね電子・電気機器が故障することになる。

なぜならば、膨大な荷電粒子が地球の保護バリアである磁場と相互作用し、その一部が地球内部にまで浸透することで、

大気中に膨大な誘導電流を誘発し、あらゆる電気機器の内部回路・電子デバイスが焼損するからである。

低緯度地域にも大きなオーロラがみられることにもなるだろうが、

スーパーXクラスの太陽フレアの場合は、そんなのんきなことは言っていられなくなる。

 

地球上にある無数の電気・電子、あるいは量子機器内部にも誘導電流が発生し、その過大な電流によって、様々な装置が瞬間的に焼損・破壊されてしまうことになれば、地球上はまさに大混乱に陥る。

通常、電気の流れる電線や電子回路は、数百アンペアも流せる設計にはなっておらず、また過電流防止機能がある機器に関しても、

軍事目的その他の特殊な電気・電子機器以外は、その圧倒的な誘発電流に耐えうる構造になっていない。

様々なコンピュータ設備は言うに及ばず、発電所・変電所でさえも様々な電気・電子機器で制御されているからには、保護機能があったとしてもその被害とシステムの崩壊・停止は避けられない。

まさに現代文明は瞬時に崩れ去ることになる。

そう、瞬時に・・だ。

 

・・・

もしこのようなことが起きた場合には、短時間で文明上の様々なインフラは機能を停止してしまうことになり、現代文明の機能そのものが崩壊してしまうことになる。

テレビも冷蔵庫も、エアコンも水道用ポンプも、スマホも・・電気機器の何もかもすべて内部焼損によって使えなくなり、

まるで、電気のない江戸時代に戻ったようになるだろう。

 

こういう状態で生きるためには、お金も権威も、政府も地位も、嘘もプロパガンダも全く役には立たない。

また、バラバラの利己的個人では長く生きることは出来ず、生き残るための知識・知恵と人々の相互協力、自然との調和のみが必要となる。

・・・

さらに・・・、こうした電磁波的障害のその後に、太陽からの比較的重い物質の放出・質量放出が地球に届くことになれば、大きな大気・地殻変動を誘発する可能性がある。

その質量放出の直撃量や規模によっては、地軸や磁極の移動まで起こすことにもなるのである。

そうなれば全地球規模での地殻変動が起きるのだ。

そう、短期間で地球はグレンとひっくり返ることになる。

・・

こうした宇宙大の異変が起きてしまえば、根本的な宇宙的なリセット、あらゆるものを均等に平等に浄化・リセットしてしまうことになるのである。

こざかしい人為的なグレートリセット、騙しだまし行われる陰湿な人類リストラどころの話ではなくなる。

ドルの崩壊も、東西対立も、世界機関の嘘八百のプロパガンダも、

愚かな疫病・マスク劇場も・・何もかも・・、

この次元最後の汚れ切ったカルマ物語を、きれいさっぱりと洗い流すことにもなるだろう。

・・・

でもそんなことが起きるのだろうか・・。

 

実はすでに、かなりな規模の太陽フレアの直撃による磁気嵐の影響を受けた過去の記録がある。

1859年の太陽嵐

この当時は電気・電子機器ははほとんど出回ることのない時代であったため、送電線網が寸断された程度で地球規模の大災害はなくて済んだようであるが、その電源ラインの復旧にはかなりな時間がかかったようである。

 

科学的な知見のある人は、確かにこのようなスーパーフレアの可能性は否定できないはずである。

でもまあ、そんなことって考えても異常だし、そんなことってあるわけもないよね・・と思うものだ。

また150年前にあったとして、そんなに頻繁でもないよね・・とも思うかもしれない。

 

しかしながら、いつ何時起きないという保証もないのである。

ただ言えるのは・・・今までは起きなかった・・それだけなのだ。

そして、敏感な人たちは、そのうちいつかではなく、いつ何時でも起こりえる・・その可能性に気付いているのである。

可能性とはいえ・・具現化しそうな逼迫した可能性に・・気づいているのである。

 

ところで、あなたはどう感じているだろう?

そんなことあるはずがない・・だろうか・・。

 

 

本日も拙い記事をご覧いただきまして、

誠に有難うございました。