気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

今起きていること(13)今とは・・無限のこと

2015-07-26 06:07:11 | 地球の一大変容
人間とは何かといえば、

それは身体と、こころ(マインド)と、意識であることは分るはずだ。

既にある事実なので、気付けば容易に理解できるはずである。

最も身近に感じているのは、多分、肉体ということだ。

そうだろう?

「あそこが痛い、肩が重い、腹が減った、熱くてたまらん・・」

そういう感覚が最も身近であると思っているはずだ。

だから自分とは、この身体・肉体だと思っているわけだが、

よくよく考えてみれば・・・、そう思っている・・だけの話なのである。

思いがなければ、・・ただ単に、身体・肉体がそこにあるだけのこと。

木や石が、ただそこにあるだけのこと。

想い・・・、そうだと「思う」ことで、「わたしは肉体だ」と・・なる。

つまり、こころの働きによって、そういう「自己認識」が生まれているわけだ。

こころの働き、つまり「思考」によって、そういう自己をイメージしている・・ということ。

自己認識、自己イメージに他ならない。





繰り返しになるが、肉体を自分だとイメージしているだけの話である。

たしかに肉体を知覚しているが、それが「わたしの全て」だと、一体全体誰が言ったのだろうか?

また騙されているのだろうか?


正しくは、いま私は、肉体のあることを知覚している・・ということだけだ。

誤解なきように、簡単に言えば、肉体=わたしでなく、肉体<わたし・・というべきである。

あるのは、『自己を認識する働き』・・である。


それがなければ、肉体も、マインド(思考)もない。

自己を自己として自覚する、意識すること・・吾あり・・・I AM・・が根本にあるがゆえに、思考と肉体があるとわかるのである。

だから、わたしとは、意識、想念、肉体の多次元的複合体ということになる。

「肉体」を認識するのは「こころ」であり、

「こころ」を認識するのが・・「魂・意識」・・である。

だから、こころを観る視座に上がらなければ、自らが魂・意識である事がわからないということなのだ。

物ばかりを見る意識から、さらに「こころ」までも観る意識への拡大が、今促がされている。
それをあちら言語で、アセンションとか言っているわけだ。

・・・
●肉体は「神の宮」だというのは比喩でなく事実

ところで、自分が肉体だと思っているとして、

その肉体のことはほとんど解っていないくせに、そう思っているという笑えない事実がある。

医学者だろうが内科医だろうが、ほんの小さな分野以外何もわからないわけで、

ただただ、身体の無数の細胞が、自動的に完全な調和を保ちながら、それを維持しているのが・・その肉体である。

ところで、その肉体を組織化している細胞であるが、人体は約60兆個の細胞で出来ているとも言われている。

60兆個・・・、なかなかピンとこないが、これをビジュアルにイメージすることも面白いかもしれない。

仮に、1個の細胞を1円玉と仮定し、それを目の前で1枚ずつ上に積み上げていくとして、

60兆個分を積み上げたら、どこまで行くだろうか。

1円玉の厚さを1mmとして、60兆枚なので、距離にすると約6千万km  となる。

これは地球を1500回周回する距離に相当し、また地球と月の距離38万kmを160回往復する距離に相当する。




ぎぇー!であるが、ある意味で身体細胞の数を言えば、近宇宙の時空間に匹敵するのだ。

さらに、細胞は、これまた更に小さな「分子」で構成されている。

さらにそれらの分子群は、「原子」で構成されているわけで、その原子の数はいったいどれほどあるのか定かではないほど膨大である。

それはまるで無限の宇宙を見ているようなものである。

身体の体積が有限だから、身体の原子も有限だろうと思うところだが、原子は更に素粒子・クオークで構成され、

それらは存在確率の中を出現・消滅しているわけで、決してそれらの個数など有限で規定されるものでもない。

そう、無限なのだ。

つまり、何げなくその存在を知覚している・・あなたの「肉体」とは、

視点・観点を変えてみれば、まさに「無限」が結実しているということだ!

あなたは「無限の結実」たる身体を持っているということだ。

・・・・
●物質原子とは、ほとんど「空(くう)」のこと
肉体の原子の話が出たついでに言えば、この原子は原子核と外側の電子軌道で出来ていると言われている。

原子核が中心にあり、その周囲を運動する電子が取り巻いているということである。

その原子核と電子の距離は、比率的に相当にひらいている。

原子核の大きさを「1」とすると、原子核と電子のセット、つまり原子は約「3万」倍の大きさということだ。



<この絵の通りではなく、実際の原子核と電子は相当離れている>


つまり、原子核と電子の距離は相当数に離れているということで、例えば10cmのソフトボールが原子核とした場合、外側の微小な電子(KLM軌道)がどこにあるかと言えば、大体1.5~3km先にあるという話。

相対的比率で言えば、電子は相当に遠くをまわっているわけだ。

要は原子核の中は、スカスカどころか、ほとんどがからっぽ「真空」なのである。

言うならば、我々の’重く・濃密そうな身体’は、ほとんど全く「空(から)」なのである。

重い軽い、大きい小さい、何kg等といって扱ってる物質は、その中身はほとんど空っぽ同然であり、またその空(から)の中を微小エネルギーが運動しているというわけだ。

●空(くう)こそが全ての根源
まさに、色即是空、空即是色・・なのである。

空(くう)の中に、

本当に微小な原子核や電子が運動しているという図式は、

見上げるところの、太陽系、眼前の「宇宙」と相似形なのだと気付けるだろう。

どこもかしこも、空(くう)で満ちている、その中に運動する微小エネルギーが出現・消滅しているのが、存在宇宙なのだと言えよう。

実に濃密に見える物質もスカスカ、あるのは大きさのない「空(くう)」の中に出現しているエネルギー微子の運動なのであり、ホログラムということになる。

宇宙はマーヤの幻想であるというのはそういう意味だ。

●空(くう)はゼロであり無限でもある
また空(くう)自体には、大きさも距離も、時間もない。

そこも、ここも、いつかも、どこかも無い、ゼロ次元とも無限の多次元ともいえる。

また、そこでも、ここでも、いつかでも、どこかでもあることが出来る。

我々は・・皆・その空(くう)の中にいる!

我々は、また空(くう)そのものでもある!

これがいわゆる「ワンネス」の実際である。

これを深く感得することが重要だ。

・・・

●真に・・楽しくなければ、それは嘘である
宇宙、それはまるで、空(くう)という多次元立体スクリーンに、光が様々な像を結んでいる壮大な多次元映画とも言えようか。

そして、空(くう)をも知るところの「わたし」・・・、

神意識を有する存在、魂・意識たちは・・・、

その中で、空の中に描き出される様々な時空間という諸世界で楽しく遊んでいるということになる。

なるほど、魂が遊びながら大きくなるのは、これもまた自然なのである。

それを意識進化といっている。肉体の進化ではない。

●地球と宇宙の合図を見逃すな
そして、この世界での自己を忘れる遊びはもうおしまいですよ、

額に汗し、目くじら立てながら銭儲けをしなければならない・・遊び・ゲームは終わりだよ・・

という合図が、地球本体から発せられているのである。

極めて局限された意識としての体験、いわゆる3次元的体験学習は、もう終わろうとしている。



今起きている様々な自然、宇宙の異変、人類社会の急激な変化は、次元上昇という地球の舞台転換の兆しを示している。

上昇の波に乗る方が楽しいし、またそれが自然なのだが、

こころの重さを外さなければ沈んでしまうのもまた自然である。

自然・・・本来の、真の・・・自らの在るがまま、再びこれに帰還することである。

物・銭・金、物欲、恐怖、地位、財産、名誉、執着等というカルマの要素は、

そろそろ、きれいさっぱり洗い流す時に来ているのである。

いつか、ではなく、今・・・!





本日も拙い記事をご覧いただきまして、誠に有難うございました。