●物質は実在しない
物質は実在しているわけではなく、単に存在感のことであり、それが証拠に量子科学でミクロにズームインしても、実体はとらえどころがなく、そこにはエネルギーの動き・軌跡による、なんとなくの「存在確率」しかないのである。
最近ではエネルギーのひもの振動で説明しようとする「ひも理論」「超ひも理論」があるが、それらでは多次元という概念がでてくる。
物理だ科学だという中では、解りやすい数式化が行われるのだが、そもそも人間の意識がなければ、数学も物理も科学もなく、ましてやそれを扱う物質など存在できるものではないのである。
観察者がいなければ、どうして観察物等という物があろうものか!
物が先にあるという・・漠然とした信念が唯物史観を生み、さらに拝金思想を生み、強欲の金融資本主義までを生み出した。
まるで間違っている信念なのだが、地球上に創られた人造マトリクスというべき仕組み、とうとうそれが今、爆発・崩壊を・・・し始めている段階である。
今までのような世界に君臨している者たち、物の世界にハマりこんだ存在達は、今相当に苦しいはずである。なにせ、その物が無くなる、あるいは無かったことが解ってきたからである。
あなたは、物が先にあると思うだろうか。
それに気づいている「あなた」が先にあると思うだろうか。
●時間は実在しない
時間も物理量、現象として実際に有るものではなく、それらの記憶の集積に他ならない。
在るのは、そう・・変化する今の瞬間だ。。。。なんという奇跡・・感じないか?
誰でも、今の瞬間だけに気付いているのだが、生れ落ちてからの教育や経験によって、
外の世界の歴史や記録を意識するように仕向けられているために、あたかも過去が「存在」しているような錯覚をもつのだ。
銭・金・物・名誉・地位・獲得・栄冠・追われる生活・子育て・ローン返済・・・様々なやるべきことに追いかけられ、今の瞬間等感じるどころでもないだろうか。
しかしながら真実は、時間はどこにも存在しない。
過去などというものはどこにも無い。また未来というものも、どこにも無いということ。
在るのは、そう・・変化する、今・・・今・・・今しかない。
また変化とは創造の根本である無限の多様性のことである。
そして、今・・・それに気づいている・・・「意識」だけが存在するのである。
これがこの世界で把握すべき本質でもある。
●ところで空間は存在するか?
時間はなく、在るのは瞬間であり、物質もまた実在せず、それらは存在感覚、あるいは観察意識の投影像であるとするならば、時間・空間の「空間」はどうだろうか?
算数で習った、ある速度でA地点からB地点に行くには何分かかるか、という問題でお馴染みのように、A-Bの間の距離、つまり空間も厳然と有るとしているだろう。
時間と距離(空間)は一体で語られるわけで、かの有名なアインシュタインの相対性理論では、数式上、空間(XYZ)と、時間(t)は相互に変換されるという事が言える。
●空間と時間は相互作用の関係にある
X^2+Y^2+z^2-(Ct)^2=0( ^2は2乗、Cは光速)
3次元的な「距離」は、即ち=、「光速×時間」という話だ。
ピンとくるような来ないようなものであるが、単独の空間と別個の時間などは無く相互に入子関係であるということを意味している。
とすれば・・・、時間が存在しないならば・・・空間も存在しないことになるではないか。
『そんな馬鹿な・・・』という事になるが、実際のところ、我々には空間・距離も存在している「ように見える」ということだ。
空間も実在ではなく、有る様に見える、観測、観察によって生じているということだ。
これを極端に言えば、「あなたが目を閉じれば、その間視覚的世界は消滅する」という意味である。
●空間は実在しない、つまり仮想存在である
物体と物体の「距離」としているのが、つまり「空間」というものであり、それも観察者なしでは存在しないものであると言えよう。
X^2+Y^2+z^2=(Ct)^2 で、t=0ならば距離も0だろう?
ぎゃっ・・・?!、
今の瞬間しかない者(観察者)から観たら、距離等も無い・・という事になるじゃないか。
実際、そういうことになる。
ここで重要なのは、物質だけの関係を数式だけで論じるような科学認識ではなく、
量子論的観察者効果、また遠距離の間の瞬時の情報伝達や相互作用、量子もつれ効果等を含んだ時空認識なのである。
簡単に言えば・・・意識のベクトルというか、認識が違うだけの話なのだ。
ジョルダーノ・ブルーノやガリレオの時代の、地球が平たいか丸いかの論争のようなものだ。
認識が変わるからこそ、観察されるものも、それ相応に変わるという事に気付けるだろうか。
今まで科学だ現実だと、これが事実だ・・真実だ・・と言う証拠集めと理論づけをしてきたということなのだが、新たな証拠が出てきたからにはいつまでも誤魔化しきれるものではない。
数十年以上前に、すでに古い世界は崩壊を始めたのであるが、今迄なんとかごまかしごまかし、騙しだましで進んできたというわけだ。
・・・
今起きていることは、そういう古い観念世界の根本的終焉と、拡大された次元への新生なのである。
多くの人が気付いている、現状の世界規模の異変や、それに伴う何か起きそうな予感は、主に恐怖感からくる終焉と崩壊かもしれないが、
生命の本質は死んで終わりのような意味のないものではなく、「終わり」はすなわち「始まり」であるという意識が極めて重要な時代にいるのである。
いざという時には、常識生活で役に立つ銭・金・物・地位や名誉など、一切合財なんの役にも立たないのだ。
本質で・・いまここ・・に気付けるならば、永遠がそこにある事を垣間見ることになる。
●5次元認識
時間も空間も仮想であるとする認識を有する存在は、
時間と空間を超えている視点に上がることになる。
それが納得、実感できるまでに古い観念を浄化するならば、
それが、X・Y・Z/t という3(4)次元を超えた5次元認識に到達することになる。
そう、これらは、ある切り口で表わしたところの5次元とは何かという説明である。
今、ここに在りて、時間空間に束縛されず、
どこにあっても自由自在な、今を生きること、
どこかに何かを探す必要なく、
ただ、在るがままの「自己」に気付いてゆくということである。
在るのは、今の瞬間であり、その気付きである。
それは時間・空間を超えている。
本日も拙い記事をご覧いただきまして、誠に有難うございました
物質は実在しているわけではなく、単に存在感のことであり、それが証拠に量子科学でミクロにズームインしても、実体はとらえどころがなく、そこにはエネルギーの動き・軌跡による、なんとなくの「存在確率」しかないのである。
最近ではエネルギーのひもの振動で説明しようとする「ひも理論」「超ひも理論」があるが、それらでは多次元という概念がでてくる。
物理だ科学だという中では、解りやすい数式化が行われるのだが、そもそも人間の意識がなければ、数学も物理も科学もなく、ましてやそれを扱う物質など存在できるものではないのである。
観察者がいなければ、どうして観察物等という物があろうものか!
物が先にあるという・・漠然とした信念が唯物史観を生み、さらに拝金思想を生み、強欲の金融資本主義までを生み出した。
まるで間違っている信念なのだが、地球上に創られた人造マトリクスというべき仕組み、とうとうそれが今、爆発・崩壊を・・・し始めている段階である。
今までのような世界に君臨している者たち、物の世界にハマりこんだ存在達は、今相当に苦しいはずである。なにせ、その物が無くなる、あるいは無かったことが解ってきたからである。
あなたは、物が先にあると思うだろうか。
それに気づいている「あなた」が先にあると思うだろうか。
●時間は実在しない
時間も物理量、現象として実際に有るものではなく、それらの記憶の集積に他ならない。
在るのは、そう・・変化する今の瞬間だ。。。。なんという奇跡・・感じないか?
誰でも、今の瞬間だけに気付いているのだが、生れ落ちてからの教育や経験によって、
外の世界の歴史や記録を意識するように仕向けられているために、あたかも過去が「存在」しているような錯覚をもつのだ。
銭・金・物・名誉・地位・獲得・栄冠・追われる生活・子育て・ローン返済・・・様々なやるべきことに追いかけられ、今の瞬間等感じるどころでもないだろうか。
しかしながら真実は、時間はどこにも存在しない。
過去などというものはどこにも無い。また未来というものも、どこにも無いということ。
在るのは、そう・・変化する、今・・・今・・・今しかない。
また変化とは創造の根本である無限の多様性のことである。
そして、今・・・それに気づいている・・・「意識」だけが存在するのである。
これがこの世界で把握すべき本質でもある。
●ところで空間は存在するか?
時間はなく、在るのは瞬間であり、物質もまた実在せず、それらは存在感覚、あるいは観察意識の投影像であるとするならば、時間・空間の「空間」はどうだろうか?
算数で習った、ある速度でA地点からB地点に行くには何分かかるか、という問題でお馴染みのように、A-Bの間の距離、つまり空間も厳然と有るとしているだろう。
時間と距離(空間)は一体で語られるわけで、かの有名なアインシュタインの相対性理論では、数式上、空間(XYZ)と、時間(t)は相互に変換されるという事が言える。
●空間と時間は相互作用の関係にある
X^2+Y^2+z^2-(Ct)^2=0( ^2は2乗、Cは光速)
3次元的な「距離」は、即ち=、「光速×時間」という話だ。
ピンとくるような来ないようなものであるが、単独の空間と別個の時間などは無く相互に入子関係であるということを意味している。
とすれば・・・、時間が存在しないならば・・・空間も存在しないことになるではないか。
『そんな馬鹿な・・・』という事になるが、実際のところ、我々には空間・距離も存在している「ように見える」ということだ。
空間も実在ではなく、有る様に見える、観測、観察によって生じているということだ。
これを極端に言えば、「あなたが目を閉じれば、その間視覚的世界は消滅する」という意味である。
●空間は実在しない、つまり仮想存在である
物体と物体の「距離」としているのが、つまり「空間」というものであり、それも観察者なしでは存在しないものであると言えよう。
X^2+Y^2+z^2=(Ct)^2 で、t=0ならば距離も0だろう?
ぎゃっ・・・?!、
今の瞬間しかない者(観察者)から観たら、距離等も無い・・という事になるじゃないか。
実際、そういうことになる。
ここで重要なのは、物質だけの関係を数式だけで論じるような科学認識ではなく、
量子論的観察者効果、また遠距離の間の瞬時の情報伝達や相互作用、量子もつれ効果等を含んだ時空認識なのである。
簡単に言えば・・・意識のベクトルというか、認識が違うだけの話なのだ。
ジョルダーノ・ブルーノやガリレオの時代の、地球が平たいか丸いかの論争のようなものだ。
認識が変わるからこそ、観察されるものも、それ相応に変わるという事に気付けるだろうか。
今まで科学だ現実だと、これが事実だ・・真実だ・・と言う証拠集めと理論づけをしてきたということなのだが、新たな証拠が出てきたからにはいつまでも誤魔化しきれるものではない。
数十年以上前に、すでに古い世界は崩壊を始めたのであるが、今迄なんとかごまかしごまかし、騙しだましで進んできたというわけだ。
・・・
今起きていることは、そういう古い観念世界の根本的終焉と、拡大された次元への新生なのである。
多くの人が気付いている、現状の世界規模の異変や、それに伴う何か起きそうな予感は、主に恐怖感からくる終焉と崩壊かもしれないが、
生命の本質は死んで終わりのような意味のないものではなく、「終わり」はすなわち「始まり」であるという意識が極めて重要な時代にいるのである。
いざという時には、常識生活で役に立つ銭・金・物・地位や名誉など、一切合財なんの役にも立たないのだ。
本質で・・いまここ・・に気付けるならば、永遠がそこにある事を垣間見ることになる。
●5次元認識
時間も空間も仮想であるとする認識を有する存在は、
時間と空間を超えている視点に上がることになる。
それが納得、実感できるまでに古い観念を浄化するならば、
それが、X・Y・Z/t という3(4)次元を超えた5次元認識に到達することになる。
そう、これらは、ある切り口で表わしたところの5次元とは何かという説明である。
今、ここに在りて、時間空間に束縛されず、
どこにあっても自由自在な、今を生きること、
どこかに何かを探す必要なく、
ただ、在るがままの「自己」に気付いてゆくということである。
在るのは、今の瞬間であり、その気付きである。
それは時間・空間を超えている。
本日も拙い記事をご覧いただきまして、誠に有難うございました