気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

空(くう)は充満する意識 (13)五次元意識

2014-05-18 13:00:21 | 見えないものから見えるものへ

●空(くう)は波動で充満しているから空(くう)である

 

空(くう)は意識で充満しているという表現が人間的だというならば、 

 

空(くう)は無際限の波動で充満しているという表現もできる。  

 

あらゆる色彩を重合すれば、それが白色になるように、 

 

あらゆる波動が満ちていれば、それは空あるいは空間となる。 

 

あなたのまわりの世界は何もない空間と見えているが、 

 

それはあらゆる全ての波動が充満しているということなのだ。 

 

何も無い空(くう)と観測されているその空間は、 

 

全ての波動が満ち満ちているというのが正当な認識なのである。

 

 

 

●空(たる)意識の海にエネルギー的「揺らぎ」を起こすのが想念である

 

①遍満する意識 ⇒ ②想念 ⇒ ?エネルギー ⇒ ④物質諸形態・・・・・ 

 

このプロセスによって人間に関わる現象世界が現れている。  

 

大きくは、宇宙、多次元世界の様相も同じプロセスであると言えようか。 

 

創造主の創造も、人の周囲世界の創造も、同質のプロセスだ。 

 

簡単に言えば、<物>が先ではなく、<意識の働き>が先だという事である。 

 

現在の物理学、科学的な認識では、上記の ?(エネルギー)と ④(物質) の関係だけが常識化されており、 

 

E=M×C×C (エネルギーは物質質量の光速度の2乗を掛けたもの) と定義されている。

 

たった1gの物質をエネルギー換算すると、実はとんでもない量のエネルギーに換算されるわけだ。

   

日常、目の前にある様々な物体とは、とんでもない量としてのエネルギーの塊とも言える。

 

それを無理やり壊してエネルギーを得ようとするのが原発である。

 

無理やりだから放射線が周囲に悲鳴のように飛び散ることになる。

 

 

 

目の前の物体は全て、空(くう)の遍満する波動エネルギーの局在化したものである。 

 

その局在化した要素の仕組みが、ミクロでいうところの分子、原子、クオークの関係だ。 

 

尚、エネルギーは目に見えない代物で、我々の眼に見えるものは、④の物質レベルのみである。  

 

そりゃ、そうだろう?  

 

五感は現象化した、局在化した波動の、ある一定の波長帯のみを知覚するだけの器官だから致し方がない。

 

①遍満する意識 ⇒ ②想念 ⇒ ?エネルギー ⇒ ④物質形態・・・・・ 

 

このプロセスが創造プロセスで、あらゆる現象化の雛形になっており、  

 

それは各個人で言えば、 

 

人間関係、健康状態等という現実生活に反映されているのである。 

 

要は、こころが知らない間に現実化しているということで、 

 

全てが物の関係、行き当たりばったり、あるいは確率的なものでしかないという認識は、 

 

はなはだしい誤解なのである。 

 

 

 

●思想統制、想念の統御が支配に利用される 

 

例えば、学校教育では、間接的ながらそういう物質偏重観念が植えつけられる。 

 

要は公的教育とは、戦後の資本主義的物質繁栄のための有能な要員を輩出するためのものでもあったし、 

 

逆に、精神的な要因はそれが計量化できない、目に見えない、ということから排除されて、

 

また偏向した思想、つまり<欧米的なものに反する思考>が植えつけられるのを防ぐためということもあるようで、  

 

なるほど、それは戦後の被支配の構造でもあるということだ。  

 

戦前が良いとか戦後が悪いとかの話ではなく、

   

思想、思考、常識的観念という<見えない囲い>があるということに気付く必要があるということだ。 

 

要するに、思考、想念という、エネルギーと現象を規定するところの上位ファクターに・・・ 

 

気付いていない、あるいは気づかせないという、  

 

微妙で確実な社会、国家的な、支配・被支配にも使われているということである。 

 

それは、迷える子羊の見えない囲い柵であり、また同時に、むしり取る羊毛の為の飼育のようなものではないか。 

 

自分で考え探究しない人々に、便利な思考を提供し、その思考の中での生産を収奪する。 

 

そう、投資と回収の自由主義的、民主主義的、仕組み、・・・ということなのだ。  

 

しかしながら、古いそれは色々なレベルで既に破綻している状況になっていることは、 

 

心ある世界ウオッチャー達には理解できるだろう。

 

 

 

●集合意識が飽和している現代の様相 

 

混迷度を増した世界状況、やらせの政治、富の偏ってしまった経済、

 

意図的・カルマ的な局地紛争、 

 

経済成長に沿った自然破壊の増大と、はっきり現れだした環境異変、 

 

振れ幅の増えた異常気象と、極めて身近になった地殻の動き、 

 

それらの様々な「現象」に既に、現れている! 

 

現象のレベルの変化のみを観測するならば、そりゃ単なる偶然だ・・と考えるだろうが、 

 

全ての現象の背後にある、 

 

意識、想念、エネルギーを推し量るならば、その意味が分るはずなのである。  

 

今は既に次第に見えるようになった時節の変換点、変曲点、あるいはカタストロフィー点である。

 

・・・・

 

 

 

●見えないものが見えるようになるのが道理 

 

想念が物質形態に反映される・・・・見えないものが見える物となる・・・・。 

 

例えば病は気から、健康状態はこころの反映という言葉が古くから伝わっているが、

 

これは、意識の物質化のプロセス

 

  ②想念 ⇒ ?エネルギー ⇒ ④物質形態

 

こころ、あるいは思考や感情の歪みが、相応の「エネルギー」を創りだし、  

 

それが物質形態、肉体に顕れることを示している。 

 

ところが唯物論的思考では、④の物質形態どうしの反応による、さらなる物の変化のみに捉われているわけで、 

 

想念、思考、感情という高次の精神的なものが、 

 

エネルギーを通じて形態化するなどとは露とも思えないわけだろう。 

 

 

 

●こころ・・という高次元要素 

 

身近な話だが、 

 

何かに「常に悩んでいる意識状態」では、胃のあたりが重く感じられ、 

 

それを恒常的に維持していると、例えば慢性の「胃潰瘍」その他の症状になって現れる。

 

余りに神経過敏を維持すると目や頭の周囲が痛くなる場合もある。 

 

これらのこころの肉体への影響は、実際自分の肉体で経験すれば分るはずであるし、 

 

あるいは他の人々をよく観察すれば理解可能なこと。

 

 

 

 

そんなことなど何も気づかずに、 

 

不本意ながらも病気になっている人のなんと多い事だろうか。 

 

好みではない人間関係のバトルに巻き込まれている人のなんと多い事だろうか。 

 

「こころ」という高次元ファクターを人類はいつから忘れたのか、誰が忘れるように仕向けたのかという気にもなるが、それが次元降下ということになるかも知れない。 

 

 

 

 

●こころ・・・を自ら、観察し制御すべし 

 

全ての現象の雛形は想念形態にある。  

 

これは自己にとってもあるいは集団にとっても言えることであり、 

 

自己にとって不都合極まりない形態・状態は、それ、 

 

不都合なこころの状態の現れだということに気付かなければならないのである。 

 

自己内面の・・・・微妙で複雑な観念の綾、それが表面に物質形態レベルに投影されている。

 

そう、人は皆気付く気づかないにかかわらず、自分で何事も選んでいるというわけだ。  

 

これは笑いごとでも、観念上のたとえ話でもない。

 

選挙で人を選ぶ話ではなく、自己が自己たる・・・自己を演じているということ。

  

想念とは青写真そのもの、創造の杖のごとく働く、意識の意図の絶大なるパワーを示しているのである。 

 

 

 

想念を操作、観察できないという事は、 

 

創造の杖を扱えない、あるいは振り回されている段階であることを示している。