何かに気がつくことは、創造と同じです。自分の認識の世界に新しいものが増えることです。そこにあっても気付かないならば、自分にとって無いに等しい。もちろん心の中の空間に新しくなにかが加わる・という意味です。
・息を1分間止めてた後、ブハツと息した瞬間、空気がありがたいのが判るでしょうか?
・親友と喧嘩したあと、やっぱ自分が謝るべきかな・と思ったことは?
・いつも注意してくる仕事の上司に、彼もやっぱり人間なのだな・と感じたことは?
・長い雨のあと出てきた太陽のまぶしさにちょっと気がついたことは?
・私はなぜ生きているのだろうか・・などと思ったことは?
これらは無数にありますが、気がつく事に「気がつかない」だけです。
「気づく」という行為は、何に関しても「意識的になる」こと ・と言い換えてもいいでしょう。無意識に人任せで、なんとなく時間に流される毎日の中での、「わたし」の目覚めともいえます。人が言うからでなく自分はどうなのかという感覚です。
嫌な夢を見ていて、ハッと目覚めたときのあの感覚です。自分がちゃんとここにいるではないか・良かった!という感覚に近いものでもあります。
実はこの「気づき」という行為の延長線上に、いわゆる「悟り」というオアシスがありそうです。
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