goo blog サービス終了のお知らせ 

気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

エゴは実在しない

2021-10-23 09:35:46 | 賢者の教え

★セイラー・ボブ・アダムソンの教え

(「ただそれだけ」2011年刊:ナチュラルスピリット・・より)

◆エゴは作り話である

わたしたちの問題は、二歳か二歳半頃身につけた、

一個の分離した実体、すなわち「自分」という考えから起こります。

 

あなたは「自分」とか「」という言葉に対して何かできるでしょうか?

それについてできることはあまりありません。

そこで、私たちは、出来事、経験、条件付けーー自分に起こった物事ーーを加えるのです。

そこに信念のエネルギーが入り込み、

それは見かけ上、具体的なものになり、

それが現実に存在しているように・・思えてきます。

 

それが、我とかエゴとか呼ばれているものです。

 

それは、自分自身はこうだ・・と信じるための参照点となります。

 

何かを見て、わたしはそれを好きになります。

それを好きになるとは知るはずもありませんでした。

まあ、それが以前に起こったことであれば、

わたしはその過去のイメージと結びつけて「これはいいな」と言うのでしょう。

 

やがて、その「良いこと」が過ぎ去ろうとします。

でも、私はそうなってほしくありません。

そのとき、何が起きるでしょうか?

 

私がそれを本当に好きなとき、

私は何をするでしょうか?

 

私はそれらが去るのに抵抗しようとします。

抵抗とは何でしょうか?

抵抗は葛藤であり、葛藤は病気(dis-eras=安らかでない)です。

 

もし葛藤の中にいれば、あなたは不安です。

こころ安らかではありません。

それが病気です。

 

もし何かが起こって、私がそれを好きでなければ、

私は再びこの記憶の自分を参照します。

それを好きでないとき、私は何をするでしょうか?

私はそれを押しやり、取り除こうとします。

 

またもや抵抗、葛藤です。

 

自然界においては、正反対のものからなるペアが常に作用していて、

そうした作用なしではどんな二元性もありえません。

これらの正反対のものは互いに対立するものではありません。

相反する立場はなにもないのです。

もし今かが春なら、まもなく夏がやって来ます。

春は、「夏であったらいいなあ」とは言いません。

それは自然に、何の対立もなく動いていきます。

 

満ち潮は引き潮と戦いません。

嵐がやって来て、色々なものを吹き飛ばします。

しばらくすると嵐は静まり、自然は徐々に水からを更新していきます。

正反対のペアはたえずそこにありますが、

何の対立もありません。

 

私たちに関しては、正反対のペアは常に対立します。

なぜなら、私たちは物事を、こうあるべきだ自分が考えたり、

信じたりしている心のイメージをたえず関連づけたり、

照らし合わせたりしているからです。

ーーー

つまり、私たちは物事をあるがままにしておかずに

物事が、こうあるべきだと自分が考えるやり方に従うことを望むのです。

ですから、私たちが抱える問題はすべて、実際は関係性の問題、

すなわち何と関連するかという問題なのです。

それはただ男女関係だけではありません。

そして、関係性の問題は、常に私たちが持っている自己イメージに関係しています。

 

それは、過去の出来事や経験にもとづく架空のイメージだということを理解するとき、

人はみずから落ち込んでいる罠に気付くのです。

・・・

このことは偉大な宗教的伝統の中でも言われています。

問題は・・・利己心、自己中心性、自己意志です。

あなたはこのエゴを昇華し、破壊しなければいけないと教えられます。

あなたはそれについてあらゆる種類のことを行い、

そうした奮闘の中で、何が起こるでしょうか?

 

あなたはそれに対して何をしているのでしょうか?

 

それは、エゴがエゴに対して戦っているのです。

 

それを注意深く見れば・・

エゴとは作り話だとわかるでしょう。

 

それは決して存在したことはありませんでした。

それは決して存在することが出来ないでしょう。

 

そのことは、今ここで、実にシンプルに指摘することが出来ます。

 

(つづく)

ーーーー

(注)上記著作より引用

●セイラー・ボブ・アダムソン

インドのアドウ”アイダ(不二一元論派)の流れを汲むオーストラリア人の霊的教師。若い頃は船員や羊毛刈りなどに従事し、酒浸りのすさんだ生活を送っていた。やがてアルコール依存症となり、断酒会に入る。アルコール依存症からの更生がきっかけで、スピリチュアルな探求の道に。

1976年にニサルガダッタ・マハラジに出会い、その教えによって真理と平安を見い出した。

 

 

本日も拙い記事をご覧いただきまして、誠に有難うございました。

 

 

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。