気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

悟りの道標(13) わたしとは・・本来無限・・の空(くう)

2016-07-20 06:55:58 | 人間とは何か
わたしとは何か。

わたしは肉体でもなく、こころ・思考でもない。


それでは何かと問われれば、その答えは・・?、

その答えは、

わたしとは・・「なんでもないもの」となる。


「何でもない者・・が私だって?

だって私は・・ここにいる・・わたしだよ・・えー?

それが何でもない、特定できない者だなんて、「馬鹿言うな!」

・・・
何でもない者・・それは何でもある者と同じなのだ。

特定の「現象に特化」した存在ではなく、

どんな現象特化も出来る存在という事だ。

生まれ変わりが出来るのは、あの人生でもあり、この人生でもあり、

あの人格でもあったし、この人格でもある・・わたし・・である。

「魂」というのはそれだ。

あの人格、この人格、あの経験、この体験、その記憶・・

どれが真のわたし・・とはいえない。

言うならば、どれも「わたし」である・・。


それは、色即是空で言うならば、様々な色・・そのどれもが「わたし」でありながら、

どれかがわたしとは言えない・・それ、・・が<わたし>であり、

様々な色が合わされば白になるように、

その究極の<わたし>は・・・、何かと言えば・・・、

わたしは「空(くう」ということになる。


そしてその空(くう)とは、壮大な宇宙(スペース)の全てを満たしている、

その空(くう)と全く同じなのである。

空(くう)そのものは、大きさも距離もない、

その空(くう)の中に、物質が存在すれば、その相対的な間隔が生じて、

それを空間(くうかん)と呼んでいるだけだ。


そう、空(くう)そのものには・・方向も距離もない!

見はるかす大宇宙は無限の空間に浮かんでいる・・と言われるが、

物質があるがゆえに、無限大とか、局所だとか、相対的な物量感が生じているが、

空間の元である・・空(くう)には、方向も距離も大きさもない・・。


また時間は、空(くう)の中にある物質の相対的な運動、微小には振動によって

それが有るように観察されるものであり、

空(くう)自体には、時間もない・・のである。


空(くう)はつまり、<時間>と<空間>を生じさせている、それを包含している、

なんでもない「それ」・・なのだ。

そして「それ」は、時間・空間を超えているということになる。


宇宙はまた、様々なエネルギーに満ちているわけで、

そのエネルギーは波動・振動であるとすれば、その波動帯域の多重化があるわけで、

いわゆる多次元宇宙、様々なエネルギー周波数帯域があることになるだろう。

何も電磁波の多チャンネル情報帯のみならず、今だ人類の未知なるエネルギー波動は様々な周波数帯域を生じせしめている。

物理学での最新理論でも、数学的な表現で「多次元」が常識となっているわけだ。

様々なエネルギーといっても、今の科学ては、それはクオーク、素粒子等と言われるもので、つまりはそれらも粒子のようにも観察される、超微細なエネルギー振動なのである。
・・・
我々の人体を構成している組織、細胞、分子はその中身がほとんど空っぽ同然の原子で出来ており、それ以外は真空と言われているが、

真空とは、まったき空(くう)ということだ。

この小さめの空(くう)と、無限大宇宙の空(くう)は全く同じ、それなのである。

空(くう)には大きさも、距離も次元もないので、

宇宙にある全ての事物、存在物、星であろうと、猫ちゃんであろうと、

99.999・・99%は全く同じ空(くう)であるわけだ。

のこり、0.000・・・1%は、エネルギー、つまり振動と情報、

あるいは、意識と意図、宇宙のマインド、宇宙意識・・そしてその投影像ともいえる
人間の身体や、星や大自然、様々な事物現象なのである。

つまり違いと言えばその、意識や意図、表現型の違いであり、

それはたった、0.00・・・1%のものなのである。


ちっぽけなあなたという肉体個人も、壮大なる宇宙も・・

ほとんどまったく対等、等質、同じ、まったく<一体>だという事である。

誰も皆、何もすべて、壮大な宇宙より小さく卑小なわけではないのである。


これが理解できると、さらに様々な壮大な事実も認識可能となり、

小さな固まった次元に閉じこもっている個人と言う肉体は、

たった0.00・・1%の幻影、現象、移り変わる時間空間でしかないことがわかってくる。

実に、あなたもわたしも全くもって宇宙と一体で・・在る・・こと気付くことになるのだ。

決して自己を尊大とか卑下とは関係なく、

OH MY GOD!(おー!、わたしの神とは・・わたしだった)


そして空(くう)とは、宇宙意識、宇宙マインド、神意識が、

そこに、どんなものでも、どんなことでも生じさせることが出来る、

無限をその中に畳み込んでいる、完全無欠のそれなのだ。

誰も、何も皆、そこに在り、それそのもの。

瞑想や禅は、自己観想は、分離された人間が、人となり、

大いなるわたしへと帰還を始めるための、

ダイレクトにそれと繋がる、言わば科学的手法なのである。









本日も拙い記事をご覧いただきまして、誠に有難うございました。


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