わたしとは何か。
わたしは肉体でもなく、こころ・思考でもない。
それでは何かと問われれば、その答えは・・?、
その答えは、
わたしとは・・「なんでもないもの」となる。
「何でもない者・・が私だって?
だって私は・・ここにいる・・わたしだよ・・えー?
それが何でもない、特定できない者だなんて、「馬鹿言うな!」
・・・
何でもない者・・それは何でもある者と同じなのだ。
特定の「現象に特化」した存在ではなく、
どんな現象特化も出来る存在という事だ。
生まれ変わりが出来るのは、あの人生でもあり、この人生でもあり、
あの人格でもあったし、この人格でもある・・わたし・・である。
「魂」というのはそれだ。
あの人格、この人格、あの経験、この体験、その記憶・・
どれが真のわたし・・とはいえない。
言うならば、どれも「わたし」である・・。
それは、色即是空で言うならば、様々な色・・そのどれもが「わたし」でありながら、
どれかがわたしとは言えない・・それ、・・が<わたし>であり、
様々な色が合わされば白になるように、
その究極の<わたし>は・・・、何かと言えば・・・、
わたしは「空(くう」ということになる。
そしてその空(くう)とは、壮大な宇宙(スペース)の全てを満たしている、
その空(くう)と全く同じなのである。
空(くう)そのものは、大きさも距離もない、
その空(くう)の中に、物質が存在すれば、その相対的な間隔が生じて、
それを空間(くうかん)と呼んでいるだけだ。
そう、空(くう)そのものには・・方向も距離もない!
見はるかす大宇宙は無限の空間に浮かんでいる・・と言われるが、
物質があるがゆえに、無限大とか、局所だとか、相対的な物量感が生じているが、
空間の元である・・空(くう)には、方向も距離も大きさもない・・。
また時間は、空(くう)の中にある物質の相対的な運動、微小には振動によって
それが有るように観察されるものであり、
空(くう)自体には、時間もない・・のである。
空(くう)はつまり、<時間>と<空間>を生じさせている、それを包含している、
なんでもない「それ」・・なのだ。
そして「それ」は、時間・空間を超えているということになる。
宇宙はまた、様々なエネルギーに満ちているわけで、
そのエネルギーは波動・振動であるとすれば、その波動帯域の多重化があるわけで、
いわゆる多次元宇宙、様々なエネルギー周波数帯域があることになるだろう。
何も電磁波の多チャンネル情報帯のみならず、今だ人類の未知なるエネルギー波動は様々な周波数帯域を生じせしめている。
物理学での最新理論でも、数学的な表現で「多次元」が常識となっているわけだ。
様々なエネルギーといっても、今の科学ては、それはクオーク、素粒子等と言われるもので、つまりはそれらも粒子のようにも観察される、超微細なエネルギー振動なのである。
・・・
我々の人体を構成している組織、細胞、分子はその中身がほとんど空っぽ同然の原子で出来ており、それ以外は真空と言われているが、
真空とは、まったき空(くう)ということだ。
この小さめの空(くう)と、無限大宇宙の空(くう)は全く同じ、それなのである。
空(くう)には大きさも、距離も次元もないので、
宇宙にある全ての事物、存在物、星であろうと、猫ちゃんであろうと、
99.999・・99%は全く同じ空(くう)であるわけだ。
のこり、0.000・・・1%は、エネルギー、つまり振動と情報、
あるいは、意識と意図、宇宙のマインド、宇宙意識・・そしてその投影像ともいえる
人間の身体や、星や大自然、様々な事物現象なのである。
つまり違いと言えばその、意識や意図、表現型の違いであり、
それはたった、0.00・・・1%のものなのである。
ちっぽけなあなたという肉体個人も、壮大なる宇宙も・・
ほとんどまったく対等、等質、同じ、まったく<一体>だという事である。
誰も皆、何もすべて、壮大な宇宙より小さく卑小なわけではないのである。
これが理解できると、さらに様々な壮大な事実も認識可能となり、
小さな固まった次元に閉じこもっている個人と言う肉体は、
たった0.00・・1%の幻影、現象、移り変わる時間空間でしかないことがわかってくる。
実に、あなたもわたしも全くもって宇宙と一体で・・在る・・こと気付くことになるのだ。
決して自己を尊大とか卑下とは関係なく、
OH MY GOD!(おー!、わたしの神とは・・わたしだった)
そして空(くう)とは、宇宙意識、宇宙マインド、神意識が、
そこに、どんなものでも、どんなことでも生じさせることが出来る、
無限をその中に畳み込んでいる、完全無欠のそれなのだ。
誰も、何も皆、そこに在り、それそのもの。
瞑想や禅は、自己観想は、分離された人間が、人となり、
大いなるわたしへと帰還を始めるための、
ダイレクトにそれと繋がる、言わば科学的手法なのである。
本日も拙い記事をご覧いただきまして、誠に有難うございました。
わたしは肉体でもなく、こころ・思考でもない。
それでは何かと問われれば、その答えは・・?、
その答えは、
わたしとは・・「なんでもないもの」となる。
「何でもない者・・が私だって?
だって私は・・ここにいる・・わたしだよ・・えー?
それが何でもない、特定できない者だなんて、「馬鹿言うな!」
・・・
何でもない者・・それは何でもある者と同じなのだ。
特定の「現象に特化」した存在ではなく、
どんな現象特化も出来る存在という事だ。
生まれ変わりが出来るのは、あの人生でもあり、この人生でもあり、
あの人格でもあったし、この人格でもある・・わたし・・である。
「魂」というのはそれだ。
あの人格、この人格、あの経験、この体験、その記憶・・
どれが真のわたし・・とはいえない。
言うならば、どれも「わたし」である・・。
それは、色即是空で言うならば、様々な色・・そのどれもが「わたし」でありながら、
どれかがわたしとは言えない・・それ、・・が<わたし>であり、
様々な色が合わされば白になるように、
その究極の<わたし>は・・・、何かと言えば・・・、
わたしは「空(くう」ということになる。
そしてその空(くう)とは、壮大な宇宙(スペース)の全てを満たしている、
その空(くう)と全く同じなのである。
空(くう)そのものは、大きさも距離もない、
その空(くう)の中に、物質が存在すれば、その相対的な間隔が生じて、
それを空間(くうかん)と呼んでいるだけだ。
そう、空(くう)そのものには・・方向も距離もない!
見はるかす大宇宙は無限の空間に浮かんでいる・・と言われるが、
物質があるがゆえに、無限大とか、局所だとか、相対的な物量感が生じているが、
空間の元である・・空(くう)には、方向も距離も大きさもない・・。
また時間は、空(くう)の中にある物質の相対的な運動、微小には振動によって
それが有るように観察されるものであり、
空(くう)自体には、時間もない・・のである。
空(くう)はつまり、<時間>と<空間>を生じさせている、それを包含している、
なんでもない「それ」・・なのだ。
そして「それ」は、時間・空間を超えているということになる。
宇宙はまた、様々なエネルギーに満ちているわけで、
そのエネルギーは波動・振動であるとすれば、その波動帯域の多重化があるわけで、
いわゆる多次元宇宙、様々なエネルギー周波数帯域があることになるだろう。
何も電磁波の多チャンネル情報帯のみならず、今だ人類の未知なるエネルギー波動は様々な周波数帯域を生じせしめている。
物理学での最新理論でも、数学的な表現で「多次元」が常識となっているわけだ。
様々なエネルギーといっても、今の科学ては、それはクオーク、素粒子等と言われるもので、つまりはそれらも粒子のようにも観察される、超微細なエネルギー振動なのである。
・・・
我々の人体を構成している組織、細胞、分子はその中身がほとんど空っぽ同然の原子で出来ており、それ以外は真空と言われているが、
真空とは、まったき空(くう)ということだ。
この小さめの空(くう)と、無限大宇宙の空(くう)は全く同じ、それなのである。
空(くう)には大きさも、距離も次元もないので、
宇宙にある全ての事物、存在物、星であろうと、猫ちゃんであろうと、
99.999・・99%は全く同じ空(くう)であるわけだ。
のこり、0.000・・・1%は、エネルギー、つまり振動と情報、
あるいは、意識と意図、宇宙のマインド、宇宙意識・・そしてその投影像ともいえる
人間の身体や、星や大自然、様々な事物現象なのである。
つまり違いと言えばその、意識や意図、表現型の違いであり、
それはたった、0.00・・・1%のものなのである。
ちっぽけなあなたという肉体個人も、壮大なる宇宙も・・
ほとんどまったく対等、等質、同じ、まったく<一体>だという事である。
誰も皆、何もすべて、壮大な宇宙より小さく卑小なわけではないのである。
これが理解できると、さらに様々な壮大な事実も認識可能となり、
小さな固まった次元に閉じこもっている個人と言う肉体は、
たった0.00・・1%の幻影、現象、移り変わる時間空間でしかないことがわかってくる。
実に、あなたもわたしも全くもって宇宙と一体で・・在る・・こと気付くことになるのだ。
決して自己を尊大とか卑下とは関係なく、
OH MY GOD!(おー!、わたしの神とは・・わたしだった)
そして空(くう)とは、宇宙意識、宇宙マインド、神意識が、
そこに、どんなものでも、どんなことでも生じさせることが出来る、
無限をその中に畳み込んでいる、完全無欠のそれなのだ。
誰も、何も皆、そこに在り、それそのもの。
瞑想や禅は、自己観想は、分離された人間が、人となり、
大いなるわたしへと帰還を始めるための、
ダイレクトにそれと繋がる、言わば科学的手法なのである。
本日も拙い記事をご覧いただきまして、誠に有難うございました。
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