気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

悟りの道標(14)生きること・死ぬこととは?

2016-07-23 08:21:25 | 日記
魂という「わたし」の本質は、時間空間に制約をされていない。

今この地球次元で生活している人々の多くは、その意識の集中する先が、

「波動の粗い」といわれる、いわゆる物質環境レベルに特化していると言うだけの話である。

つまりここは物質次元だけを観ている、あるいは観るような仕掛けの世界であると言えよう。

魂は、簡単に言えば極めて高いところから低いところまでを領域とする、

意識・意図を有する無限層にわたるエネルギー波動であると言って良く、

その低いところの波動は肉体・物質レベルであり、

生体エネルギー、思考や感情などより波動の高いところの層が、いわば高次元の波動帯と言って良いだろう。

いわゆる、こころが美しい人は、波動が低いわけがない・・。


そして通常今までは、3次元などと言われる世界では、低い波動レベルの、範囲の狭い世界だけを観察しているということだ。

これは世間一般が、常識全般と言う、見えるだけのごく小さな波動領域に、その意識を特化していることを示している。

良いとか悪いとか言うべきものではないが、それは極めて狭い範囲のものでしかない。


魂という「わたし」の本質は、時間空間、つまり我々の日常生活環境、地球環境だけにとどまらず、より広範囲の次元で「活きて」いるのである。

多くの人達の意識が狭い世界に固定されていた・・気付きの意識が広がっていなかったともいえようか。

簡単に言えば、何を信じ込んでいるのか、と、そういう話でもある。

・・・

したがって、例えば人が死んでしまう・・という現象は、

その低次元レベル、物質波動レベルの自己層の一部がこの世界との同調を外れ、

最外層の波動帯はその役目を終えて解脱することを意味しており、

本質たる「わたし」が失われることでは決してないのだ。

たとえ青空が曇っても、夜になって何も見えなくなっても、太陽がなくなるわけもない。


だから人間が死んだということは、その魂:本質の、外側の衣服を、単に脱いだだけのことなのである。

生命は多次元層、また多層のエネルギーで構成されているわけで、

昔の十二単(ひとえ)衣装のように、あるいは洋服にしても、季節・環境に応じて頻繁に取り替えるようなものだ。




こういう多次元的な生命としての魂、あるいは「生命の本質」に関して、その側面をよりよく理解できるのはいわゆる「臨死体験者」の経験報告である。
・・・・
下記は、「アニタの臨死体験」というあるサイトの抜粋であり、ここに表現されていることは、多次元的な「わたし」の本質が、生と死の狭間の体験として非常に参考になるものである。

わたし・・という意識主体が、時間空間を超えており、肉体・物質レベルのさらに上位の本質は、エネルギーの多次元層を含み、

その本質は、言わば愛で充満せる空(くう)、あらゆる全ての母体である空(くう)、

そしてそこに生じている無限の可能性を持った意識と意図であるという表現が妥当であることがわかるだろう。

人は進化のプロセスを楽しむ神自身であり、神の子であるというのも、

そう言った事実を示す別の表現なのである。
・・・

アニタの臨死体験


今は、こういう事実報告が多くなされるような稀有な時期でありながら、

常識ではすぐには信じられないのは、常識という「固定」観念からして当たり前であって、

しかしながら、全くそれに気づかず、知らず、あなた任せ、世間任せの意識レベル、

見えない揺りかご的支配に諾々としている状態は、もう既に卒業すべき時にある・・という、

慈愛のこもった宇宙レベルのメッセージとも言えよう。



政治や経済がどうなるこうなる、世界情勢がどうのこうのと言う情報も、

第三次世界大戦がありそうだとか、そういう外の世界の急変事象も、

それ自体大切な観察行為であるものの、

今まで馴染んだ地球という「時間と空間の急変」を察知し、眠っている時間の短くなった今の時点で、


それを観察している・・わたし・・とは、

あなたとは何者なのか、わたしとは何者なのか?


そういう問いかけとその探究、求道こそが、今喫緊のテーマなのである。、


人として、生れていることはどういうことなのか?

人として死ぬということは、どういうことなのか?


「今までも」そうであり、また「今ここ」でもそうであるように、

その問いかけと自己探求の先に、

その魂:本質にとっての体験の場、

新たな次元が展開して来るのだ。








本日も拙い記事をご覧いただきまして、誠に有難うございました。

次回は勝手ながら「アニタの臨死体験」の補足説明の予定です。



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7 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
詩を吟じます (P)
2016-07-30 23:49:10
女にあらば男に非ず

男にあらば女に非ず

生にあらば死に非ず

死にあらば生に非ず

悪にあらば正義に非ず

正義にあらば悪に非ず

人にあらば神に非ず

神にあらば人に非ず

それでもこの地球に産まれた・・・

それは何故?(笑)

思い出せるかな・・・

分離・分離・分離の幻想

その世界も限界に来ているようで

しかし神は愛し許し続けている(笑)

障害者ならば生きている資格はない・・・

と言う者も また 生かしている

「当たり前」 にあらば 「全てに感謝」 に非ず

有限にすがりつく ならば 無限に存在する を

忘却す

過渡期が一体いつまで続くのか と苛立てば

全ては一瞬にして 過ぎ去るを知り 安らぎに至る

中今を悦びに生きる この一点のみ

時空間全て この悟りの無限の拡張の為に

存在す

神は永遠なり

神は あなた そして 私
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無限の進化の詩 (P)
2016-07-31 00:04:45
何故こうも苦しき過渡期が続く・・・

って多くの人が思っているかもしれない

それはね・・・

神の無限の進化と発展は 実は

この宇宙でね 地球で起こっているから

我々は神の大事な 息子 であり 娘 である

だから限界まで愛している

限界まで持ちこたえようとしている

命がけなんですね

だから我々もなかなかに大変です

大変で・・・楽しい

何故 大変で・・・楽しいか

他の宇宙じゃ こんなの 感じられない

ここまでの経験 できないから

だから 

本当に有り難い

本当にうれしい

本当に本当に有難うございます。
返信する
無限の進化の詩 (P)
2016-07-31 00:05:02
何故こうも苦しき過渡期が続く・・・

って多くの人が思っているかもしれない

それはね・・・

神の無限の進化と発展は 実は

この宇宙でね 地球で起こっているから

我々は神の大事な 息子 であり 娘 である

だから限界まで愛している

限界まで持ちこたえようとしている

命がけなんですね

だから我々もなかなかに大変です

大変で・・・楽しい

何故 大変で・・・楽しいか

他の宇宙じゃ こんなの 感じられない

ここまでの経験 できないから

だから 

本当に有り難い

本当にうれしい

本当に本当に有難うございます。
返信する
正気に戻りました (P)
2016-07-31 00:10:18
おっと!P

人間であることを思い出しました。(爆笑)

だけど、何の手違いか

いや神の意図か

【無限の進化の詩】

の二度投稿!

これは偶然にあらず!!!

マッチョマンさん

こんなん出ました!!!

Pより
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Unknown (マッチョマン)
2016-07-31 14:39:16
Pさん  こんにちわ

いよ!待ってました!

正気、って・・・、なかなか結構大変でしたか・・・?

・・

あらゆる全ては幻想ですが、

これがまたなかなかのものです。

でも、それをそれとして、あーそれとして観ること、

それ・・、そこまで、それが出来ることが、

この世界の醍醐味であり、また苦行であり、

それが過ぎれば、またそれは至福で在りつづける。

完全、永遠に至福であるがゆえに、

そうでないかも知れない分離を味わいたくなる

そういうわけで、皆々ここに集まり来れる

そういう「詩」でしょうか。

・・・
久しぶりに、記事にUPさせていただきたく、

もういっちょ・・・詩をお願いできますまいか。
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いつもありがとうございます (P)
2016-07-31 21:13:54
マッチョマンさん

私は、一応儀式としてですが

神棚を祀っていまして

そこで、毎日マッチョマンさんにも

名前を挙げて感謝の念を捧げております。

神棚と言っても、神も仏もみんな祀ってますし

生きている人死んでいる人にも無制限に感謝を

捧げているのですが・・・

なので久しぶりに投稿しても

私にとってはそうでもないのですが

それにしてもたまに立ち寄る私にいつも温かく

変わらず接して頂き、改めて

感謝いたします。

なかなか現実も忙しくて、もう今更なことは

書かない感じもありますが

昨日は酔っぱらって若干トランス状態に・・・

そんな時気楽に書き込まさせて頂くのは

この天下の潜み所、峠の茶屋でございます。

そうそう、さっきの神棚の『榊』なのですが

もう一年近く枯れてません。

つまり取り替えてないのです。

これはかなり不思議ですよ。

前は結構速く枯れてたんですがね。

神か 神に近い存在が 

立ち寄ってくれているのでしょう

神が不死である一つの奇跡の象徴と見ています。

「詩」はまた「降りてきたら」投稿させて頂きますね!

どちらかというと世間話モードのPより
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あれ、覚めましたか (maccyoman)
2016-08-01 05:59:50
Pさん おはようございます

あー、そうでしたか、
「ちょっと一杯のつもりで飲んで~♪・・」
って、頑張りで生きてきた感のある、
団塊の世代もそうですかね。
私もその最後のほうに「端くれ」ですが・・・。

先ほどの詩など、
感情と思考の昇華されたような勢いがあります。
四角い日常現実の中で、
コロコロ自由に転がるような丸い感覚は、
ちょっと危なっかしいようにも見える、
感情のほとばしりかもしれません。
・・・
今の、太陽の活動や宇宙の微細な波動状況も、
思考ではなく感情を解離す働きがありそうです。
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