気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

第3章  すべては意識・波動

2018-11-18 08:35:31 | 語り部の章
意識という言葉の中にはすでに波動が色濃く反映されている。
古代の人は現代人よりも遥かに直感的に優れていたのがわかるだろう。
現代人は物欲・物心の極限まで追求し、その価値の源泉である物質を分解して、
長い時間をかけた挙句に、同じ結論を見出したということだ。

すべては「波動」に帰せられるということだ。
あらゆる物質は分子、原子、クオークに分解され、
結局は「波動関数」という数学的方式で記述されてしまった。

現代科学ではすべての物質は、
数種類のクオーク(素粒子)に帰せられるとされている。
またひも理論では、
すべては微細な弦の振動、ひもの振動のようなものとされている。
つまりは”振動・波動”であるという話だ。


物質は、決して粒子という塊のイメージの集合ではなく、
微細なレベルでは「波」の「動き」なのである。

わたしの身体も、周囲の様々な物も・・「波動」である。
わたしの知覚するあらゆるすべては「波動」であり、
見る・聞く・味わう・嗅ぐ・触れる・・すべては「波動」であり、
それには、それ相応のエネルギーと、無数の”情報”が含まれているのである。

波動、エネルギー、情報は混然一体であり、
それで宇宙のすべてが創造、描き出されているのである。

波動、エネルギー、情報・・それはまた「意識」である。

意識を・・私個人の、人間の意識・・と考えているから理解できない。

意識は・・「波動・エネルギー・情報」であると分かれば、
宇宙は”それ”で出来ていることがわかるだろう。

山川草木、国土悉皆、成仏・・
山も川も、草も木も、国土も地球も、宇宙も・・「意識」である。
すべては意識である。

常に観念での誤解が絡んでくるが、
古い言葉で言えば、すべては仏であり、神なのである。

これは一時の宗教的、霊的な感慨を味わっているのではなく、
科学的知見をも加えた事実であると言えよう。
さらに、これ以上のどんな証拠を待っているのか、
今はもうそういう時期に来ていると気付けるだろうか?

これらの話は、概念の組み合わせだけでは真の理解は得られないだろうし、
あくまでも自分以外のこと、他人事のように観念を弄ぶだけでは、
意識である・・・波動・エネルギー・情報・・が輝き出さないかもしれない。
待っていては、また”待っている”だけで終わりだろう。

<わたし>は「意識」であることを、識(し)る必要がある。
わたしという意識の中に・・今の肉体もある・・ことに気づくことだ。

すべてが意識であると・・意識する・・識るのが真実の<わたし>・・。

わたしは肉体の中、こちら側だけに在ると、そう信じ込んでいた。
しかしながら、こちら側(内側)も、あちら側(外の世界)も、

同じ意識の中にあったということに気づける時代になったのである。


この世界の多くの人は、
個別の肉体が<わたし>であると、意識を使って信じ込んでいた。
実に大勢の人がそう信じ込んでいる中に来て、
いやそうではない・・という意識にまで至るのは、
確かに実に難しいと言わねばならない!

そう、宇宙で最も困難なことは、
巨大な世界一のタワーを建てることでも、
宇宙船で外宇宙に飛び出すことでもない。

ひずんだ信念をいかに解きほぐすか?

閉じられ、絡まり、その自重によって内破するかのような
「意識・波動」の中に飛び込むということだ。

今・・現に、ここにいる<あなた>は、勇敢なるそれだ。





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