気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

(27)意識の顕現=世界

2021-11-10 07:03:14 | 意識の科学(総合編)

わたしが眠っている間には、

わたしにとって外的世界があるという確証はない。

 

一体それがどういう意味なのか?

 

・・・

言い換えれば、

意識が目覚めていない間は、世界は知覚されない。

知覚されないということは、存在自体を証明できない。

あなたの意識が目覚めていないことを「無意識」とすれば、

あなたが「無意識」の間は、世界は・・あるのか無いのか・・不定という言い方もできる。

 

すくなくとも、世界が先にあるのでなく、意識が先行するということだ。

世界があってその結果・・意識があるのではなく、

意識があって、その結果・・世界があるということだ。

 

世界とは現象世界とも言われるように、出来事・結果の集合したもの。

それらは結果に過ぎないということはこれからもわかる。

 

3(4)次元的認識世界では、

人間は宇宙に生まれる、小さな物質・形であると認識する。

もちろん複雑な人体構造や思考があると知ってはいるが、

あくまでも、膨大な空間の中に存在する・・小さな肉体であると思っているのだ。

 

例えば、自分自身のことを思考する肉体とでも思っているのである。

しかしながら、自分の肉体さえも・・意識の観察対象なのである。

鏡に映るあなたの姿を観て・・・あー自分はこの体だ・・

などと言う(付加された)想いが起きるが、

実際には、肉体の姿を見ている、観ていることが・・・起きているのである。

体が存在していると・・・知るのは・・誰か?

わたしの体の視神経、神経組織、頭脳であると・・思っているが、

それに気づいている・・ことが、起きているのである。

気付いていることが起きていることは・・「意識」‥の働きだ。

 

 

 

これはちっぽけなことではなく、

全世界・宇宙をも気づいている宇宙意識の働きの一部なのである。

宇宙すべてが意識の顕現であり、

あなたが宇宙に気づいている・・その宇宙も無限大に拡散している。

意識とは・・実に膨大極まりない・・広大無辺、無限そのものである。

・・・

ここまで何度も説明したように、

あなたがいなければ・・・あなたの世界は存在し得ない。

あなたがいるからこそ・・あなたの世界・宇宙が存在している。

あなたの世界の・・根本原因(根源)であるという事なのである。

 

それを知らない・・気づかないということは、

自分・・つまり、意識的主体としての‥自己が・・

わたしの世界の創造者であることに気付かないのと同義なのである。

神であるあなたが。。自らがそうであることを忘れている・・のである。

 

あ、そうなの?・・神であれば、

明日の生活を何とか良くしたいが・・すぐに役に立つだろうか?・(笑)・

しかしながら、

単なる知識を読んで覚えたところで、何かに役立たせようとするプラグマティズムレベルで留まっていよう。

 

「わたしが在る・・」という事実にまともに向き合う・・

毎日毎日の存在している、そのありさまを真面に見ること、

自分自身の・・今在る・・生きざま・・を観察して確証を得るまでは、

創造者としての自覚は単なる概念の重みでしかないかもしれない。

・・・

肉体ではなく、意識である自己に気づくこと、

これは今までの地球上の唯物論的世界という常識観念の中で、

漠然と通り過ぎていたことであり、

ここは、深く深く自己認識すべき重要なところなのだ。

 

意識が無ければ、どんな世界も無い。

 

あなたの意識が無ければ、あなたの膨大な知覚世界は無い。

あなたがいなければ、あなたを含め「他の人」もいない。

他の人がいなければ、その人たちの知覚世界を共有することもできない。

つまり人類集合意識さえも存在できない・・・。

さらに、宇宙全域の様々な生命たちも存在できない・・だろう。

 

そんな馬鹿な!・・

わたし・・意識が無ければ・・宇宙全体が存在できないなんて、

あるわけないじゃないか!・・

と思うものである。

 

わたし(意識)がいなくても、人類は存続しているし、地球や宇宙もあるんだと、そういう風に思って当たり前なのだが、

やはり、

わたし意識が無くて・・どうして他の人、集合意識などがあると証明できようか?

 

繰り返しになるけれど、

あなたが熟睡している間、いわゆる無意識のあいだ

世界が存在していると、・・その時・・

”あなたは”どうやって証明できるのだろうか??

・・・

 

さらに、

”意識”が世界や物質・形に先行すると理解できるならば、

その認識レベルでは、どんな世界が顕現されるのだろうか?

またその場合、我々が小さな時間空間に幽閉されているという、その現実そのものも、

まるで子供のお遊びゲームのようなものだったということを悟るにちがいない。

 

 

 

本日も拙い記事をご覧いただきまして、誠に有難うございました。