私たちは皆、
毎日、睡眠と夢、そして毎朝起き出しての実生活の経験を繰り返している。
これは生きていること、存在様式の基本中の基本である。
存在様式のすべて、24時間を大きく分ければ、
熟睡、夢、そして目覚めてからの生活である。
そして主に、毎朝目覚めてからの”実生活”が重要な全てだと考えている。
しかしながら、眠り、夢、覚醒時(生活)の3つの
この一連の流れは実はすべて「意識」の状態遷移のことである。
自分への自己認識、自己覚知が肉体レベルで固定されていれば、
つまり、わたしは肉体存在である・・という潜在的信念であれば、
肉体が活動している状態だけが、存在のすべてであると考える。
眠りなど単なる肉体の休息、夢は単なる妄想などと考えるのである。
何の意味も無い、どんな生産性も無い、何の役にも立たない・・
そう想って無視しているということだ。
また、特定の修行者だけが行うと考えている「瞑想」も、
はなから眼中にない。
そんなのなんの役に立つ?・・である。
・・・
肉体レベルの世界知覚が存在のすべてと信じていることは、すなわち4(3)次元的時空間認識レベルであることを意味している。
目を覚ませば、ただただ、物理的に説明できる世界があって、そこで様々な事物・人物が動き回っていると「知覚」しているだけのことだ。
また、自分はその中の動き・考える単なる肉体であると考えている。
つまり、自分さえも4(3)次元的時空枠の1つの肉体に過ぎないとしているのである。
・・・
人間は、この4次元的時空での活動のすべてを観察しているわけだが、
そこに「意識」の存在認識がどこにもない・・。
世界があると知覚、認識しているのは「意識」が故であるという、
重大な気付きが・・無いあるいは希薄であるという事である。
しかしながら、読者はすでに ”意識” に気づいているだろう。
一連の眠りも、夢も、現実も・・すべて・・私自身の状態であるということ。
そこに共通するのは、肉体ではなく「意識」であるということだ。
無意識・・夢、現実・・すべて共通するのは・・意識だ。
なお、ここで「無意識」は・・顕在化していない意識の意味である。
もうすでに十分経験していることを、ことさら確認すると・・・、
熟睡中は・・肉体の感覚もマインドも生じない。
自分が存在しているという意識的自覚すらない。
つまり、
何時間かの熟睡中・・あなたは、存在していることを知らない。
このまま続くと・・・あなたはいつまでたっても自分の存在はおろか、
毎朝訪れるこの世界での経験も永遠に訪れないだろう。
それは一種の「死んでいる」状態といって良い。
英語で言う・・He is dead・・なぜか(is)である。
永遠に眠る・・ならば、
あなたの意識・・気づくことが起きる、あるいは目覚めない限り・・・世界等永遠に存在しないだろう。
あなたの意識・気づきが起きない限り・・世界や宇宙も存在しない。
そんな馬鹿な・・とは思うが、
実際に毎日毎日それを経験しているのであるから、
お前は嘘を言っているとか、本当とかの話ではないのである。
あなたが熟睡しているときに・・世界があるとどうして・・気づけるのだ?
ましてや、その時に・・・世界が存在していると・・誰かに証明できるのだろうか?
いいや・・出来はしない。
これをご覧の方は・・余計なお世話だが、
自分自身が毎日遭遇経験していることを、再度良く理解すべきではなかろうか?
眠っているとき・・世界はあるか?
世界とは・・わたし・・の”知覚する”対象世界であるという理解があれば、
これは「悟る」ことが出来るはずである。
多くの人は・・わたしが眠っていても、他の人が起きていて、わたしを揺り動かして・目覚めさせてくれるので、
わたしが眠っていても、その間も、前と同じ世界がずっとあるのだと・・判断する。
・・・
しかしながら・・・あなたが眠っているときに・・・、
あなた(である意識)は ”世界を知覚していない”・・のである。
世界を知覚していないだけ・・ではなく、
あなた(である意識)にとっては、世界は存在していない・・のである。
言葉、定義の仕方の遊び、トリックのように感じるかもしれないが、
再度言えば、
あなたが眠っているときに・・・意識が目覚めず、
マインドも肉体も世界も・・知覚していない。
そして、
あなたが眠っているとき・・が ”永遠に?” 続いたならば・・
いつ・・・世界や宇宙が存在するのだろうか?
本日も拙い記事をご覧いただきまして、誠にありがとうございました。