●魂という究極波動体
「魂」とは、人の永遠の本質という意味で使われているが、科学的用語で言うならば、意識・エネルギー・波動である。
わたしたちの永遠不滅の本質・・いわゆる魂とは、
根源から発した究極の微細・精妙波動・エネルギーであり、
どんな時空間・物質形態をも超えている至高の実在であり、
それが・・それぞれの・・わたし・・という存在である。
それを「魂」と言おう。
そう・・・、それは創造主の分け御霊・・根源から創出された究極波動体・・
物質・精神を含むなんらかの存在形、それらすべての波動を構成する究極の波動と言えるだろう。
●存在するものすべて波動=意識
物質を構成する原子・原子核・クオークは、素粒子として観測できる波動・エネルギーの微細で局所的な集合体と言えるように、
また、魂も空虚な抽象イメージではなく実体としての波動である。
魂は、無限の可能性を含む究極・極微の波動と言っていい。
したがって、それより波長の大きく粗い、物質レベルのどんな波動エネルギーもこれ(魂)を壊すことなどできないし、
意識が波動であるがゆえに、振動波長の異なった波動同士の”接触”による「知覚」ができるのであり、
波動であるがゆえに想念・イメージを創出・伝搬させるし、またそれを波動として「記憶」も可能なのである。
そして思い出す意図があるかどうかは別として、当然ながら魂には無数の前世、転生の記憶が含まれるのだ。
またその波動エネルギーは、決して消え去ることなくその(魂の)波動に共鳴する別の体験世界へも転移・転送されるのである。つまり生まれ変わりだ。
人々(魂:意識)はそうやって、今のこの世界に生まれてきたのだ。
●波動の織り成す魂劇場
わたしたちが「魂」あるいは「意識」の働きと呼んでいる、様々な知覚、記憶、想念の働きもすべて波動現象とすれば理解しやすいはずである。
あらゆるすべてが波動でできているため、世界は移り変わる仮想現実、ホログラムであるということになる。
そして、その仮想現実、つまり我々が知覚している世界を・・
誰が・・・わたしの知覚する世界を・・観ているのだろう?
誰が・・・?
そう、わたし・・以外にないのだ。
●スクリーンでなく観ている者に気づけ
これを一般に・・(我としての)意識・・といっている。
覚醒の巨人と言われた、ニサルガダッタ・マハラジは、
わたしとは・・至高の実在の反映であると表現した。
そして、わたしは在る・・という感覚に常に意識を置くように促した。
なぜならば・・そこにすべての存在の噴出点「湧き出し口」があるからだ。
それぞれの・・わたし・・意識・・・がそれだ。
しかしながら、自分もそうだったように、
多くの人は・・「それがどうしたの?何が得られるの?」で通り過ぎるだろう。
●今、眠りの時代は終わった
つまり、あなたがあなたの世界の創造主であるという、とんでもない驚愕の真実に気づかず通り過ごすかもしれない。
そんなことよりもまず、あれが必要、これをせねば、親がね、子供がね、学校が会社が・・次から次へとタスク処理をしなければならない歯車が勝ってしまうからである。
映し出されているこの世界という、3次元的体感スクリーンに埋没したまま、この世に生まれて来ては、死んで行ってしまう輪廻の輪に嵌(はま)ったままかもしれない。
自分とは、肉体を超えた魂・意識である!という自己認識レベルに戻るまでは、
それはつまり、この世の輪廻の中で、一喜一憂、阿鼻叫喚の混乱劇場を体験したいと望んでいるということだが、
しかしながら、その3次元体験劇場にも始めと終わりがつきもの、
意識の感度が上がった人は、昨今の世界の様相を観察したならば、
とうとうその最終幕の時が来たと気付けるだろう。
外からくるテレビやメディア情報に騙されず、よくよく考え、観てみるべきである。
あるいは、一見みな安楽そうな中で恐怖をまかれ続け、実は苦しいことの増大する、利己主義の蔓延しただまし絵の世界・・、
限度近くまで分離された、肉体個人同士のせめぎあう殺伐とした世界が続いてほしいと思うだろうか・・。
また、それを解決するためと称する、より便利なコンピュータ支配の世界での、物質人間に落ち込んでしまうのだろうか。
いいや、
嘘やだましはもう十分だと気付いた「魂」ならばそうは思わないだろう。
与えられた、本当に短い人生、肉体寿命の中で今、何をすべきか・・、
今までのように、
埋没した中で、頑張って、もがいて這い上がることではなく、
あおられ操作され続ける、実際は孤独で不幸な他者の群れの中から、
自らの意識で足を洗うこと、こころを洗い出すこと、
世界的な肉体自我の罠にはまった状態から目を覚ますときなのだ。
「意識」を究極極微の波動、物質も想念も感情も、世界も時空間も含むすべての根源要素、それによって構成されているところの根源波動と理解するならば、
わたし・・という意識は、すべての存在の背後にある大いなる無限の意識とつながっているということ、
そして、いま・・・それぞれの意識が、それぞれの創造主として世界を映し出しつつ共同創造しつつ、それを観ているのだということに気づくときなのである。
それぞれ・・わたしの世界は・・わたしが創造しているということ、
それが集合して世界という共同体験ワールドを作り上げるということ。
決して、その逆ではない。
あなたはどんな世界が良いのか?
決して・・誰かが決めるわけではない。