気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

(6)気付きと想念

2020-02-27 04:59:50 | 意識の科学
意識の法則とでも言える、それとは何か?・・・

意識が無くば・・気付く・・その対象は存在しないこと。

逆に・・
世界・宇宙は・・意識によって知覚されるものであって、

世界・宇宙・対象物・現象が・・勝手に独自に存在することはないということだ。

これはまた、意識はその対象と自己そのものが区別できない、一体的なものだということを意味している。
あるいは表裏一体であるとも言えよう。

でもこれは、
あなたが観るから・・その観察対象が存在しているというのと同じ話であって、
誰もが信頼しやすい、科学的?な言い方になっているに過ぎないのである。

・・
一般的、科学者的に云えば、
素粒子レベルでの観察者効果として、観察行為によって素粒子への挙動干渉はあるが、
宇宙というマクロレベルではあり得ない・・とするかもしれない。

しかしながら、マクロはミクロの集合系であるからには、
その人のその時の、意識の対象としての”全宇宙”は、
一瞬で・・波動崩壊をして・・知覚対象としての宇宙が浮かび上がっているとも言えるのである。

目の前に世界、宇宙があるではないか。

そんなことありえない?・・というのは、ただ思うだけの事であって、
事実は・・すでにそうだということだ。

いやそんなこと考えられない・・というのは、
素粒子を扱うミクロのレベルでの効果は・・微々たるものであって、
より巨大なマクロの世界、例えば人の日常生活では全く無視される・・と、
そう言う”考え”なのである。

そしてその裏には、さらに”意識”についての誤解があるかもしれない、
例えば、
人が何かを”意図”しても、何かがすぐに起きないじゃないか・・、
人の意識は「物質」に対して、マクロではなんの効果も無いんだよという
そういう”考え”があるであろう。

ここの誤解はこういうことだ。

意図する事とは・・、考え・イメージ・希望・期待等と云う「想い」であり、
その思い通りに物質が変わらないからして、
意識が、素粒子という物質の原型に及ぼす効果は・・・素粒子レベルに限られる。

つまり、ここでいう”意識”・・が「想い」と仮定されているため、
マクロレベルでの物質が、人の「思い通り」にならないから、
意識の効果なるものは無いのだと・・そう言う風に思うのである。

ミクロでは、人の(観察)意識が、素粒子に与える波及効果なるものは認めざるを得ないが、
それは局所的に限ったミクロでの微々たる世界だけの話である・・と、
それ以上に拡大解釈するには根拠がない、とそう言う風に思うのである。

しかしながら、想いとは・・人の色々な想像・主観・考え・・であって、
そのようなその都度その時の「想い」によって、物質・環境的知覚対象が生じているのではない。

もしかりにそうだとすれば、その時々の人たちの想いで、
世界・宇宙はぐちゃぐちゃになるどころか存在すら維持できまい。

もっと根本的な意識・あるいは純粋に気付いている・・ことは、
そこから派生して色々と生起する人それぞれの「想い」ではない。

純粋に・・というしかない、
あるいは根源的に、
観ること、気付いている・・純粋意識、あるいは宇宙意識、
それを究極の観察者
というならば、

その観察者効果によって、宇宙が未分化から波動崩壊を起こし、
ミクロからマクロまでの全宇宙を、その観察対象として浮かび上がらせている。
われわれが、宇宙を眺める場合、
観測機器や肉眼など、五感の知覚によって宇宙空間を観測・観察するわけだが、
その観測・観察の瞬間に素粒子レベルでの「波動崩壊」が起きていて、
そのため、我々が言う、自分の世界とされる知覚対象世界が認識される

ということになる。

壮大・広大無辺な宇宙自体が、我々の気付く範囲だけ、
意識によって素粒子の波動崩壊を起こし、
そこに知覚対象世界として浮かび上がっているということだ。

そんなばかな・・?と思うだろう。

そしてあなたやわたしたちは、意識の片割れであるからには、
それつまり、世界創造に多方面から参画しているということのなのである。

人は多く、3次元的物質世界の肉体自我の状態に馴染んでしまい、
意味不明な人生の経験を集めることを、寿命が尽きるまでやるべく、
取りあえず生存するための、目先の物量を獲得するための
様々な想念形の集合のなかに重く閉ざされてきたため、

このような説明を荒唐無稽な夢物語と考えるかもしれないが、
今も今・・在る、全宇宙の奇跡的な創造の仕組みの壮大さに、
気付くべきではなかろうか・・。


われわれが、宇宙を眺める場合、
観測機器や肉眼など、五感の知覚によって宇宙空間を観測・観察するわけだが、
その観測・観察の瞬間に素粒子レベルでの「波動崩壊」が起きていて、
そのため我々が言う「物理的」とされる知覚対象として存在認識されるということになる。

壮大・広大無辺な宇宙自体が、我々の意識によって素粒子の波動崩壊を起こし、
そこに知覚対象として浮かび上がっているということだ。

そんなばかな・・?と思うだろうか。