気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

意識の話(41)夢とは何か・・その1

2017-11-05 05:58:16 | 真我実現シリーズ
すべては意識である・・と聞いたことがあるだろう。
すべてが意識?・・・どういう意味?だろうか。

意識とは、わたしが「意識している」状態といっていい。
そうではないか?

何かを”意識”している。
何かに”気づいて”いることだ。
人は四六時中、何かを”意識”している。


街中を歩く、仕事場で人と話す、金勘定をする、買い物をする
物を食べる、トイレで排出する、映画を観る、散歩する・・
それらすべてにおいて何事か意識している。
しかしながら多くが漠然と、”意識”しているのである。

ここがきわめて重要なことなのだが、・・
それに”気づいているか?”といえば、
ほとんど意識はしているが、その”意識に”気づいていないのだ。
意識していることに・・・それ自体に気づく・・ことだが、
この世界に生じてから、何十年も気づかない場合がある。

あなたはどうだろうか?
この微妙なところ・・自分の意識自体に・・気づいているか?

さらに、あなたの意識によって、
あなたの世界が投影されていることに・・気づくか・・だ。

他人が、社会が・・ワーワーと騒いでいることで、
あなたがそこに存在しているのではなく、
まったくの真逆が真実で、

あなたが・・在る・・ことで、
意識していることで・・世界がその存在を顕していること、
それに気づいているか?ということ。

気づかなければ、何も認識できないということだ。
当たり前だが、ここに重大な意味がある。

すべてのもとにあるのが・・意識だ。
物質と称されるものは、その対象「物」に過ぎない。


眠り、夢見、起床後の生活・・、これがこの世の存在の形式だが、
そのすべて、四六時中、常時・・あるのはなんだろうか?

例えば、多くの人は、
眠りと夢見は・・ほとんど無視しているかもしれない。
起床して後の現実生活・・
朝起きて、歯磨きして、慌ててご飯食べて、行ってらっしゃい・・、

TVでもそうやって人々を押し出してゆく。
現実をしっかり生きて、しっかり稼げと・・(笑)

普通はそういうことを真に受けて、現実という生活だけに
「意識」を集中してきただろうか。

そうやって意識は、夢見の時にもある・・ことを忘れている。
夢の話は単なる夢だとしているわけだ。

夢の時も、それがどんな状況であろうともガチ、真剣だ。(笑)
これは単なる夢だと・・自覚しつつ見ているわけではない。
悪夢で必死に目覚めたことも何度もあるだろう。

それが夢だと・・現実と違うから、別にどうということはない・・と、
そうは思わないことに気づくだろうか。
「へへーん、これは夢だから・・どうでもいいや・・」とは思わない。
なぜか、夢もその時には真剣そのもではなかろうか・・。
それは、
意識にとっては、夢も現実もまったく同じに捉えているということだ。

ただ、夢というのが、世間で非常に軽い扱いのため、
多くの人がそれに気づいていない。
あるとしても、なんとなくの夢占いとかそんなものだ。
夢にどんな真実もない・・単なる「夢」としているわけだ。

それは、自分のことを物理的肉体だと・・信じ込んでいるため、
物理的?な世界だけが事実であるとしているためだ。
・・・
しかしながら、「意識」から見れば、夢も”意識で”知覚しているわけで、
現実という五感というセンサーの中間介在がないだけで、
それも知覚・認識に違いないのである。

「だって、夢なんかいい加減じゃない」・・
「現実とめちゃめちゃ乖離しているじゃない、意味あるの?」
と感じているのは、元来、
その夢がいい加減なのものという・・潜在的な信念によるのである。
それもこの世の、常識的無知という流れに沿ったものである。

自己の内面をサーチするようになった人ならば、

夢というのも、意識の経験であることがわかるだろう。
いい加減であやふやで、とっぴな組み合わせ物語であっても、
それは意識している・・知覚し、経験し、気づいている対象に相違ない。
それがパズルのような、アヤフヤで非論理的なものであってもだ。
実際、夢があやふやと感じているのは、
意識が主に3次元的意識経験フィールドに”閉じ込められている”と、
そういうことなのである。

夢のパズルも、実のところ、
意識が拡大しなければわからないのである。

多次元世界と言われるのが、別の物理世界のことだと勘違いしている場合、
これもまた、大きさ、重さなどの物質次元の意識に固定されていることを示すものだ。

夢も、その他の夢のような経験も、
いわゆる現実と同じく、”意識”の経験なのであればこそ、
”夢なんかいい加減”何の価値もない、
”覚えていない”という意識的行為でゴミ箱に捨てることは、
実に無知蒙昧で、もったいない・・常識信念であるといえようか。

そしておなじみの、この現実世界というのも、
五感という肉体機能を介在した、意識の経験に過ぎない。

すべての背後にあるのが・・意識、気づきである。

「私は肉体存在でしかない」という信念であれば、
意識内面に、そういう想念が覆っていれば、
当然ながら、
肉体の五感の世界だけが真実であると錯覚するのだ。

そのような錯覚の中でオロオロしてはいけない。
また逃げ隠れる必要もない。

「あなただけはと信じつつ♪・・♬・・」と、しがみつく必要もなければ、
「おら、こんな村嫌だっ」と逃避する必要もありはしない。

つまるところは、
現実生活も、そして夢も・・「意識」の知覚経験なのである。

ここ世界が唯一の・・真実ではないように、
また、だからと言って夢の世界が、これこそは真実・・でもない。

それらを見ている、観ている・・者は・・誰か?




(つづく)