気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

意識の話(46)眠りのこと

2017-11-18 06:41:45 | 真我実現シリーズ
誰にも眠りがある。
熟睡している眠りや夢を見る浅い眠りだ。
ノンレム睡眠、レム睡眠などと説明されている。

しかしながら、多くの人は眠りを実に軽く扱っているようだ。
単に、体を休めている貴重な時間という程度に考えている。
それは、目覚めた後の現実だけが大切だと思っているからだ。

「あー、忙しい、眠ってなんかいられない」
そうではないか?
それは、わたしが肉体だという信念からきている。
意識が・・・眠るので・・無意識であっては・・そこには何もない。
休息以外、・・何の役にも立たない・・・と。
「だって、何もないじゃないか!・・」
そう考えている。



これは全く・・空(くう)に気づかないことと同じなのだ。
空(くう)間がなければ、そこに物質もエネルギーも生じていない、
にもかかわらず、
そこに微かにあるエネルギー・物質ばかりを後生大事に扱っているのと、
まったく変わりがないということだ。

物理学の世界では、”量子真空”という概念があり、
空間は何もないのではなく・・・量子で満ちているとされている。
身の回り、周囲環境、身体の中の99.999・・・9%を占める空間・・、
それは、
量子、エネルギー微粒子、基底エネルギー等とも呼ばれるもので満ちている、
あるいはゼロポイントエネルギーで充満しているとされている。
これは、トンでも雑学ではなく、最新の物理学的世界像なのである。
・・
真空は・・・決して、真の空にあらず、
すべての可能性の充満だ・・ということだ。

えー、どこがどこが?・・(笑)

それを言うならば・・・、すでに、
そこに「わたし」として出現しているではないか・・!

---
話は戻って、熟睡中は全く意識がない・・ということだが、
この時には、私自体が実感として存在していない・・ということだ。
つまり、熟睡中は・・思考もなければ感情もなく、身体感覚もない。

わたし・・という存在を・・肉体ではなく、「意識」から見る必要がある。
そうすると、熟睡中は・・・、
わたし・・意識から見て、自覚意識が無いので・・
わたしは存在しているとは言えないのだ。
だから、熟睡中は・・”私個人”は存在しない・・。

仮に、そのままだと、だれが世界の存在を知覚するのか?
永眠などと言われるように(笑)、そのまま死んだなら、
宇宙も世界も・・あるのだろうか?

あなたのそばの人が、そのときあなたの寝顔を見ていたとしても、
それは外側から見た・・・あなたの身体でしかない。
「ねー、ちょっと!」などと、
揺り起こされれば、すぐにも目覚めるために、
この驚天動地の事実に気づかない。

熟睡中は”私個人”は消えているわけだが、

毎朝、刺激に満ちた世界に目覚めるために、
すぐさまその繰り返しとなるために、
この重大な事実?を、毎日毎日通り過ごしているわけだ。

肉体レベル、3次元的時空間認識ではなく、
それを観察している・・意識・・、
意識の観点からすべてを見直さなければならないということだ。

目覚めた日常の時でなく、また夢見の浅い眠りの時でなく、
あなたが熟睡しているとき・・・知覚はない、時間も空間もない。
こころも感情もない・・・私個人はどこにもいないのだ。

人は再び目覚めるがゆえに、
基本的、ベーシックな”意識”は在るといえるのだが、
「私個人だ~!」という顕現様式は・・消えているのだ。

これも色即是空・・である。
人はそれを、マジ体現しているのであるが、
しかし、まじに気づいていない(笑)

常識的な人は、なんでも知っているかの如く、
眠りに関しても、睡眠の効能とか、脳波とか、色々言っているが、
観の転換をすれば、ここにも実に深い意味がある。

肉体の見地からは、たんに肉体が休んでいる・・というが、
意識の見地から見れば、
熟睡中、そのとき  ”私個人”は存在していない。