今はもうあらゆるものが飽和し、そして崩壊しつつ、新たな世界へと移行している。
世の人々の動きや地球上の様々な変化を見れば、それが分るはずだ。
物語に最初と最後があるように、3次元的世界には始まりと終わりがある。
高次元的世界の始まりは、すなわち旧次元世界の終わりなのである。
誰が決めた?というでもなく、それが多元宇宙の進化の法則のようなもの。
まるで、河の流れのように。
今のこの惑星文明は、宇宙でも稀有な時期に遭遇していることに気付くように、
今ここにいるあなたの永遠性「魂」が求めていることに、さらに気付けるだろうか。
過ぎたる銭や金や物、地位や名誉や権威、富や物質的資産など、全くどうでもよい、
グリコのおまけ以下の、まさしくお遊びの為の付録のようなものである。(笑)
・・・
●物質はエネルギー
繰り返せば、「物質」とは何かと言えば、
科学的な認識によってそれは、99.99・・・9%が空(くう)であるということと、
残りほんのわずかな存在はクオーク、即ち微小なる波動エネルギーであることが既に何十年も前に判明したのだった。
また物質というのはエネルギーの振動・運動に他ならず、塊としての「物質」などは全くの幻想であったということ。
これはチラと頭で知っただけでは意味がなく、その実態を深く「実感」すべきことである。
物質がどうしたこうしたというが・・、そのほとんどはスカ、空(くう)である。
あなたの物質肉体も、なんだか濃密で重いものだと思っていたはずだが、
すなわちほとんどが空っぽだったということだ。
おいおい、いまさらそんな。(笑)
目に前の、近くの遠くの、様々な物質なるものも、99.99・・9%は空(くう)。
「物質」とはスカスカ以下の投影像のごときもの、
実に軽やかな「エネルギー波動」であるというのが、実体説明なのである。
その高度な組織体である、あなたや私たちの叡智に満ちた肉体も、
物質的にはスカスカ以下の投影像のごときもの、
そう肉体は重い物質体というものではなく、エネルギー体というのが相応しい。
物理学ではE=MC2 (物質=エネルギー)は常識であり、
それは物質とエネルギーが等価であるという意味で、
五感で感じないエネルギーが、五感で感じられる物質になっているという事だ。
わーお、これって、信じられる?
●量子場で姿を現す物質形
そして、量子場での観察者効果でわかるように、
そのエネルギー波動に干渉し、作用し、どんな形態に仕上げるかという
上位の「変換函数」としての働きは、まさに「意識」と「意図」、想念によるものだ。
ここで函数と言う表現は、「意識的に入力したものが、様々な形に変換される」謂いである。
人の想っていること、心底そうだと意識的・無意識的に感じていることが、
つまり、無意識に沈潜して根を張った根本的な「実感」が、
その主体たる意識の周囲となって投影されているのだ。
つまり信念体系は、世界を描き出す体系のことである。
チョット思ったことではなく、「決してこれ以外にない!」という信念、思い込みで描き出されるのが、諸世界、信念体系世界である。
まるで今までは、物欲のコチコチの石頭の世界?とでも言えるかもしれない(大笑)
・・・
同じく、また地球にある大自然、さらには惑星系、銀河系は、
それぞれの認識領域を包括する、より壮大なる意識と意図によって投影されている。
そして宇宙大自然は、人間存在の発展途上のゴテゴテした体系ではなく、
さらにより大きな「愛」と完全な「調和」で創出されている。
●空(くう)は無限のカンバス
「物質」とは何かと言えば、
有るようでないし、無いようで有る・・確率存在とでもいうもの、それがクオークだ。
あらゆる宇宙、すべては空(くう)の中の微細なエネルギー運動に過ぎない。
ぶんぶん動いているエネルギー、それは物質像が多次元立体的に描かれる画素のようなもの。
様々な存在形態、それらは、空(くう)に多次元的に描かれたる、様々な物質という、
有って無きがごとしの映像のごときものなのである。
●人は時空カンバスへ描く画家のようなもの
ところで、空(くう)に様々な物を描くのは・・誰だ?あるいは何だ?
微細なエネルギーによって空(くう)なるカンバスに、
活きた多次元映像を描き出すのは、つまり宇宙意識の「手」だ。
手と言ってもあなたの左右の手ではなく、大いなる意識に生じる「意図」のこと。
無限次元を内包する・・空(くう)の中に、
無限なる叡智、無限なる可能性、無限なる愛によって描き出されているのが、
ミクロからマクロまで完全に意識で浸透せる、つまりこの多次元宇宙なのだ。
無限なる叡智、無限なる可能性、無限なる愛というのは、
つまり古くから言われてきたところの「創造主」「神」「根源」である。
実に全ては、まったく「それ」で満ちているのだ!
誰も皆、どこもかしこも、あの世もこの世も、どこの世界であっても、それで満ちている。
あなたもまた完全無欠に・・それ・・神・・である。
そう、人も創造者たる神の相似形である。
いや意識を有する存在は、神の表現形であり、
またその永遠の息吹で活きている、また生かされている存在である。
神それ自身が自己投入して個別化表現を楽しんでいるのが・・存在、
つまり・・そう「あなた」でもある!
●今、やるべきことは一つ
我々の唯一の重要な責務があるとするならば・・・
・・我々は皆、神の化身だということに気付き、それを実感することだ。
知で理解ではなく、想像と感情を含んで自発的に「実感」することだ。
なぜならば・・それがそのもの・・自己創造だからなのだ。
空(くう)はあらゆる全ての根源ベース、母なるスペース、
空(くう)を全くの空っぽ、空虚と認識してしまうのは、
あれがない、これが足りない、もっと大量にという・・物質偏重心が故であり、
空(くう)は多次元相の包含されたそれ、無限の可能性のそれと認識するのが、
3(4)次元を超えた、言わば5次元以上に拡大された認識なのである。
あらゆるものが充満しているからこその・・「空(くう」なのである。
ミクロからマクロまで、完全なる調和と叡智に満ち満ちた世界の、
その真っただ中にあったにも拘らず、それにほとんど気づかず知らず、
あらぬ物質的幻影を後生大事に追いかけ回っていたのが、
今までの3次元的文明世界の姿であったということだ。
・・・
●根源は愛と調和
無限次元を内包する・・空(くう)の中に、
無限なる叡智、無限なる可能性、無限なる愛によって描き出されているのが、
ミクロからマクロまで完全に意識で浸透せる、つまりこの多次元宇宙なのだ。
無限なる叡智、無限なる可能性、無限なる愛というのは、
つまり古くから言われてきたところの「創造主」「神」「根源」である。
その神という概念を、何か闘う組織の長?などに貶(おとし)めて派閥でいがみ合っていること等、もうどうしようもないほど幼いのである。
神の手によって描かれたるエネルギー細片映像のごとき物質を集め、
集積し、富だ名誉だ力だと喚いていることの、実に愚かなことよ。
もう資本主義だとか、力外交だとか、戦争だとか、その後のNWOだとか、
相変わらずの等身大の、極めて狭い領域次元での孤軍奮闘やサバイバルなど、
物語としては飽き飽き、つまらな過ぎて、全く話の外ではなかろうか。
今、わずかな残滓としてある旧次元世界に、
それらが泡(あぶく)のように噴き出しているということの中には、
それ以外のどんな意味もありはしない。
さらば・・幻影のバブルよ・・!今そのフィナーレ上演中ということだ。
いまマクロ世界で行われているのは単にそれなのだ。
旧世界独特の恐怖とサスペンスを含む最終幕が行われている最中と言えようか。
・・・
●われ・そして全て神成り・・それが自然
我々の唯一の重要な責務があるとするならば・・・
・・我々は皆、神の化身だということに気付き、それを実感することだ。
知で理解ではなく、想像と感情を含んで自発的に「実感」することだ。
なぜならば・・それがそのもの・・自己創造だからなのだ。
創造の仕組みに気付く者であれば、
全てが大いなる意識、神、創造主・・・、であり、
そして<わたし>も・・まったくそれだ!という自覚が、
まさに自然であり、また当たり前の信念となるはずだ。
ああそうだ、全ては・・まったくそれ、無限の叡智、意識、根源・・神、・・・
何と表現しようとそれだ。
それを「実感」することが、人の唯一の責務といえようか。
神と同調する言葉そして想念は、実際非常に高振動であり、
実感を込めて意識内面で繰り返せば、こころの歪を洗い落とす効果があるだろう。
これは実に・・高周波洗浄である。(笑)
以下は全て、同じ謂いの言霊(ことだま)表現だ。
I AM THAT I am.
われ・そして全て、神の化身なり!
・・
Oh! MY GOD!
本日も拙い記事をご覧いただきまして、誠に有難うございました。
世の人々の動きや地球上の様々な変化を見れば、それが分るはずだ。
物語に最初と最後があるように、3次元的世界には始まりと終わりがある。
高次元的世界の始まりは、すなわち旧次元世界の終わりなのである。
誰が決めた?というでもなく、それが多元宇宙の進化の法則のようなもの。
まるで、河の流れのように。
今のこの惑星文明は、宇宙でも稀有な時期に遭遇していることに気付くように、
今ここにいるあなたの永遠性「魂」が求めていることに、さらに気付けるだろうか。
過ぎたる銭や金や物、地位や名誉や権威、富や物質的資産など、全くどうでもよい、
グリコのおまけ以下の、まさしくお遊びの為の付録のようなものである。(笑)
・・・
●物質はエネルギー
繰り返せば、「物質」とは何かと言えば、
科学的な認識によってそれは、99.99・・・9%が空(くう)であるということと、
残りほんのわずかな存在はクオーク、即ち微小なる波動エネルギーであることが既に何十年も前に判明したのだった。
また物質というのはエネルギーの振動・運動に他ならず、塊としての「物質」などは全くの幻想であったということ。
これはチラと頭で知っただけでは意味がなく、その実態を深く「実感」すべきことである。
物質がどうしたこうしたというが・・、そのほとんどはスカ、空(くう)である。
あなたの物質肉体も、なんだか濃密で重いものだと思っていたはずだが、
すなわちほとんどが空っぽだったということだ。
おいおい、いまさらそんな。(笑)
目に前の、近くの遠くの、様々な物質なるものも、99.99・・9%は空(くう)。
「物質」とはスカスカ以下の投影像のごときもの、
実に軽やかな「エネルギー波動」であるというのが、実体説明なのである。
その高度な組織体である、あなたや私たちの叡智に満ちた肉体も、
物質的にはスカスカ以下の投影像のごときもの、
そう肉体は重い物質体というものではなく、エネルギー体というのが相応しい。
物理学ではE=MC2 (物質=エネルギー)は常識であり、
それは物質とエネルギーが等価であるという意味で、
五感で感じないエネルギーが、五感で感じられる物質になっているという事だ。
わーお、これって、信じられる?
●量子場で姿を現す物質形
そして、量子場での観察者効果でわかるように、
そのエネルギー波動に干渉し、作用し、どんな形態に仕上げるかという
上位の「変換函数」としての働きは、まさに「意識」と「意図」、想念によるものだ。
ここで函数と言う表現は、「意識的に入力したものが、様々な形に変換される」謂いである。
人の想っていること、心底そうだと意識的・無意識的に感じていることが、
つまり、無意識に沈潜して根を張った根本的な「実感」が、
その主体たる意識の周囲となって投影されているのだ。
つまり信念体系は、世界を描き出す体系のことである。
チョット思ったことではなく、「決してこれ以外にない!」という信念、思い込みで描き出されるのが、諸世界、信念体系世界である。
まるで今までは、物欲のコチコチの石頭の世界?とでも言えるかもしれない(大笑)
・・・
同じく、また地球にある大自然、さらには惑星系、銀河系は、
それぞれの認識領域を包括する、より壮大なる意識と意図によって投影されている。
そして宇宙大自然は、人間存在の発展途上のゴテゴテした体系ではなく、
さらにより大きな「愛」と完全な「調和」で創出されている。
●空(くう)は無限のカンバス
「物質」とは何かと言えば、
有るようでないし、無いようで有る・・確率存在とでもいうもの、それがクオークだ。
あらゆる宇宙、すべては空(くう)の中の微細なエネルギー運動に過ぎない。
ぶんぶん動いているエネルギー、それは物質像が多次元立体的に描かれる画素のようなもの。
様々な存在形態、それらは、空(くう)に多次元的に描かれたる、様々な物質という、
有って無きがごとしの映像のごときものなのである。
●人は時空カンバスへ描く画家のようなもの
ところで、空(くう)に様々な物を描くのは・・誰だ?あるいは何だ?
微細なエネルギーによって空(くう)なるカンバスに、
活きた多次元映像を描き出すのは、つまり宇宙意識の「手」だ。
手と言ってもあなたの左右の手ではなく、大いなる意識に生じる「意図」のこと。
無限次元を内包する・・空(くう)の中に、
無限なる叡智、無限なる可能性、無限なる愛によって描き出されているのが、
ミクロからマクロまで完全に意識で浸透せる、つまりこの多次元宇宙なのだ。
無限なる叡智、無限なる可能性、無限なる愛というのは、
つまり古くから言われてきたところの「創造主」「神」「根源」である。
実に全ては、まったく「それ」で満ちているのだ!
誰も皆、どこもかしこも、あの世もこの世も、どこの世界であっても、それで満ちている。
あなたもまた完全無欠に・・それ・・神・・である。
そう、人も創造者たる神の相似形である。
いや意識を有する存在は、神の表現形であり、
またその永遠の息吹で活きている、また生かされている存在である。
神それ自身が自己投入して個別化表現を楽しんでいるのが・・存在、
つまり・・そう「あなた」でもある!
●今、やるべきことは一つ
我々の唯一の重要な責務があるとするならば・・・
・・我々は皆、神の化身だということに気付き、それを実感することだ。
知で理解ではなく、想像と感情を含んで自発的に「実感」することだ。
なぜならば・・それがそのもの・・自己創造だからなのだ。
空(くう)はあらゆる全ての根源ベース、母なるスペース、
空(くう)を全くの空っぽ、空虚と認識してしまうのは、
あれがない、これが足りない、もっと大量にという・・物質偏重心が故であり、
空(くう)は多次元相の包含されたそれ、無限の可能性のそれと認識するのが、
3(4)次元を超えた、言わば5次元以上に拡大された認識なのである。
あらゆるものが充満しているからこその・・「空(くう」なのである。
ミクロからマクロまで、完全なる調和と叡智に満ち満ちた世界の、
その真っただ中にあったにも拘らず、それにほとんど気づかず知らず、
あらぬ物質的幻影を後生大事に追いかけ回っていたのが、
今までの3次元的文明世界の姿であったということだ。
・・・
●根源は愛と調和
無限次元を内包する・・空(くう)の中に、
無限なる叡智、無限なる可能性、無限なる愛によって描き出されているのが、
ミクロからマクロまで完全に意識で浸透せる、つまりこの多次元宇宙なのだ。
無限なる叡智、無限なる可能性、無限なる愛というのは、
つまり古くから言われてきたところの「創造主」「神」「根源」である。
その神という概念を、何か闘う組織の長?などに貶(おとし)めて派閥でいがみ合っていること等、もうどうしようもないほど幼いのである。
神の手によって描かれたるエネルギー細片映像のごとき物質を集め、
集積し、富だ名誉だ力だと喚いていることの、実に愚かなことよ。
もう資本主義だとか、力外交だとか、戦争だとか、その後のNWOだとか、
相変わらずの等身大の、極めて狭い領域次元での孤軍奮闘やサバイバルなど、
物語としては飽き飽き、つまらな過ぎて、全く話の外ではなかろうか。
今、わずかな残滓としてある旧次元世界に、
それらが泡(あぶく)のように噴き出しているということの中には、
それ以外のどんな意味もありはしない。
さらば・・幻影のバブルよ・・!今そのフィナーレ上演中ということだ。
いまマクロ世界で行われているのは単にそれなのだ。
旧世界独特の恐怖とサスペンスを含む最終幕が行われている最中と言えようか。
・・・
●われ・そして全て神成り・・それが自然
我々の唯一の重要な責務があるとするならば・・・
・・我々は皆、神の化身だということに気付き、それを実感することだ。
知で理解ではなく、想像と感情を含んで自発的に「実感」することだ。
なぜならば・・それがそのもの・・自己創造だからなのだ。
創造の仕組みに気付く者であれば、
全てが大いなる意識、神、創造主・・・、であり、
そして<わたし>も・・まったくそれだ!という自覚が、
まさに自然であり、また当たり前の信念となるはずだ。
ああそうだ、全ては・・まったくそれ、無限の叡智、意識、根源・・神、・・・
何と表現しようとそれだ。
それを「実感」することが、人の唯一の責務といえようか。
神と同調する言葉そして想念は、実際非常に高振動であり、
実感を込めて意識内面で繰り返せば、こころの歪を洗い落とす効果があるだろう。
これは実に・・高周波洗浄である。(笑)
以下は全て、同じ謂いの言霊(ことだま)表現だ。
I AM THAT I am.
われ・そして全て、神の化身なり!
・・
Oh! MY GOD!
本日も拙い記事をご覧いただきまして、誠に有難うございました。