出来得れば、この世界に次元降下して人間として実体化している多くの人々が、
自分が肉体でしかない・・という自縛観念を外すことが望まれる。
わたしは死んだら終わり何もない、一時の偶然の産物でしかないという、漠然とした信念であるならば、
I AM THAT I am.
<わたしは・・わたしである・・ところのものである>という意識原理によって、
つまり、自らを自らでイメージして「自己創造」するという自己認識原理によって、
多次元宇宙における完全な魂の進化プロセスによって「次元間転移」が行われ、
「死んだら終わり・・何もない」という支配観念の世界、
小さく低い認識レベルの世界に、再び生まれ変わることになる。
それは魂の成長に好適な・・、ある時代の、ある地域の、ある環境への下生ということ。
この地球のこの次元に何度も生まれてくるのはそういう理由だ。
どういう意味でも、「自らが望み、選択して」来ているのだし、
決して誰かの強制でも指図でもない。
いつも、それぞれの・・<わたし>・・意識・・が決めるのだ。
「おいおい、もう良いだろう、お腹いっぱいだよ・・」という人もいるはずで、
確かに、過ぎたるは、及ばざるがごとしということもあり、
実際そういう見極めは、・・・魂で既に行っているのである。
多次元での生まれ変わりも、魂の自己創造と言える。
誰も皆、幾多の人生で、その都度「自分を創り」そして演じている。
不都合とか好き嫌いとか、全く苦労でとんでもないとか、
その都度の表面意識の想いはいかようであっても、
輪廻転生での、様々な時代や環境によって、魂は様々な「人格を創る」ものだ。
前世の記憶とも呼ばれるそれ、
そしてそれは、常に「今」の瞬間の記憶の中にある。
そう、我々に在るのは・・常に・・今である。
本来は、時間も空間も魂・意識にとっては、実在などしておらず、遊び道具のようなものなのだ。
そうではないか。
多次元での生まれ変わりも、魂の自己創造と言える。
誰も皆、幾多の人生で、その都度「自分を創り」そして演じている。
そうであればこそ、この地球さえも生まれ変わりを行なうということが、理解できるだろう。
地球も巨大で壮大ではあるが「意識生命体」であり、人間と同じように生まれ変わり、次元相転移を行なうのである。
地球が単なる土の塊だという観念は、まさに人間が単なる有機物であるとするのと同じ観念、
低い次元に固縛、固定するマトリクス観念なのである。
・・
しかしながら、どこか実に腹立たしいことは、
今の退化した社会や世界に流布され、定着されている社会通念があまりにも唯物的であり、
目先の物質環境以外、自己の何たるか・・に気づいていない意識生命体が多く、
まるで無意識の子供のままで、毎回毎回、外の世界という幻想の波間に人生を流されていたということであろうか。
いや、しかしながら、そういう無意識的「わたし」から、意識的「わたし」に移行する、
その魂の「目覚めのプロセス」を、
非常に粗野な精神の集団や、虚栄と無知の蔓延る集合世界のなかで行うという、
そういう実に、あり得ない、有り難い経験が出来たことは、
あなたやわたしたちにとって、実に得難い学びであったのである。
これをご覧の方々も、堪え難きを・・耐え・・忍び難きを・・忍び、
ここで実に素晴らしい進化をされたのだ。
とはいえ、体の成長ではなく、魂の成長である。
実に・・オー、マイゴッド!と言うほかない。
今までのそれは、いわゆるこの3次元マトリクス世界の在り方であったと言えよう。
しかし、今までのそういう地球という「魂の学校」も変化や進化の流れにあり、
言わば、人間知では測れない、壮大な宇宙レベルのプログラムによって、
今・・造り替えが起きている。
地球も生まれ変わりたいと望み、それが行われているのが今・・とも言えるだろう。
様々な地上や周囲環境の異変の顕在化は、よく陣痛とも言われるもので、
いままで、そしてこれからという時間感覚の中で起きている事はそれだ。
時空のあらゆるものが、ゆっくりから次第に加速され、
これ以上は・・という、時間感覚が一瞬ゼロになったような時点を通って、
あらゆるものがグレンと刷新・転換されるその中で、
魂達が、いまだ我を忘れた状態で、その肉体自我だけを死守すべく、
右往左往することがあるならば、実際問題それは、実に面白くないはずだ。
人それぞれだから、自由でいいよ・・とはよく言われることだが、
地球という回り舞台が大回転するその時期に、
例えば、在籍する学校が造り替えられるその時には、
そういうことは言ってられないわけで、
知った人、目覚めた人からその準備をするはずだろう。
古い学校のシステムから自らを外さなければならず、
例えの話、卒業するか一時帰休するかということになるだろう。
頑として気付かず知らずの魂達は、何が一体起きたかもわからぬ間に、
急激な建て替えの時空の流れに流されることもあるということに・・・
気付かず知らずながら・・、いや、潜在意識的にでも気付いているかもしれない。
卒業問題、人間とは何か、わたしとは何か、それが問われているのだ。
我々は本来の全体であるわたしへの帰還の道、魂の大道を歩いている。
いつまでも、自己中、偶然、漠然、言われるがまま、好きだ嫌いだ、この野郎!・・逆らうやつは殺せ、支配せよ・・富を生めよ増やせよ・・・、
そんな3次元的でシリアスなお遊戯から卒業すべき時が来たのである。
今世界では、ここでその体験をしたいという霊的幼児たちの、最後の駆け込み需要によって、
本邦最終回の大騒ぎ、今世界での騒乱の渦が急激に起きて来ているのだが、
どういう形であれ、古い役目の創造物は、陽電子と陰電子のように、対消滅で空(くう)に消えてゆくのだろう。
現状のままの流れならば・・・、古い世界は直線時間感覚で、あと5年も持つかどうか・・。
そういう稀有なステージに遭遇して、俺が、私が、銭・金・物が・・が有効であるはずもない。
それらすべてを超えているところの<自己>を思い出すこと以外は・・・。
本日も拙い記事をご覧いただきまして、誠に有難うございました。
自分が肉体でしかない・・という自縛観念を外すことが望まれる。
わたしは死んだら終わり何もない、一時の偶然の産物でしかないという、漠然とした信念であるならば、
I AM THAT I am.
<わたしは・・わたしである・・ところのものである>という意識原理によって、
つまり、自らを自らでイメージして「自己創造」するという自己認識原理によって、
多次元宇宙における完全な魂の進化プロセスによって「次元間転移」が行われ、
「死んだら終わり・・何もない」という支配観念の世界、
小さく低い認識レベルの世界に、再び生まれ変わることになる。
それは魂の成長に好適な・・、ある時代の、ある地域の、ある環境への下生ということ。
この地球のこの次元に何度も生まれてくるのはそういう理由だ。
どういう意味でも、「自らが望み、選択して」来ているのだし、
決して誰かの強制でも指図でもない。
いつも、それぞれの・・<わたし>・・意識・・が決めるのだ。
「おいおい、もう良いだろう、お腹いっぱいだよ・・」という人もいるはずで、
確かに、過ぎたるは、及ばざるがごとしということもあり、
実際そういう見極めは、・・・魂で既に行っているのである。
多次元での生まれ変わりも、魂の自己創造と言える。
誰も皆、幾多の人生で、その都度「自分を創り」そして演じている。
不都合とか好き嫌いとか、全く苦労でとんでもないとか、
その都度の表面意識の想いはいかようであっても、
輪廻転生での、様々な時代や環境によって、魂は様々な「人格を創る」ものだ。
前世の記憶とも呼ばれるそれ、
そしてそれは、常に「今」の瞬間の記憶の中にある。
そう、我々に在るのは・・常に・・今である。
本来は、時間も空間も魂・意識にとっては、実在などしておらず、遊び道具のようなものなのだ。
そうではないか。
多次元での生まれ変わりも、魂の自己創造と言える。
誰も皆、幾多の人生で、その都度「自分を創り」そして演じている。
そうであればこそ、この地球さえも生まれ変わりを行なうということが、理解できるだろう。
地球も巨大で壮大ではあるが「意識生命体」であり、人間と同じように生まれ変わり、次元相転移を行なうのである。
地球が単なる土の塊だという観念は、まさに人間が単なる有機物であるとするのと同じ観念、
低い次元に固縛、固定するマトリクス観念なのである。
・・
しかしながら、どこか実に腹立たしいことは、
今の退化した社会や世界に流布され、定着されている社会通念があまりにも唯物的であり、
目先の物質環境以外、自己の何たるか・・に気づいていない意識生命体が多く、
まるで無意識の子供のままで、毎回毎回、外の世界という幻想の波間に人生を流されていたということであろうか。
いや、しかしながら、そういう無意識的「わたし」から、意識的「わたし」に移行する、
その魂の「目覚めのプロセス」を、
非常に粗野な精神の集団や、虚栄と無知の蔓延る集合世界のなかで行うという、
そういう実に、あり得ない、有り難い経験が出来たことは、
あなたやわたしたちにとって、実に得難い学びであったのである。
これをご覧の方々も、堪え難きを・・耐え・・忍び難きを・・忍び、
ここで実に素晴らしい進化をされたのだ。
とはいえ、体の成長ではなく、魂の成長である。
実に・・オー、マイゴッド!と言うほかない。
今までのそれは、いわゆるこの3次元マトリクス世界の在り方であったと言えよう。
しかし、今までのそういう地球という「魂の学校」も変化や進化の流れにあり、
言わば、人間知では測れない、壮大な宇宙レベルのプログラムによって、
今・・造り替えが起きている。
地球も生まれ変わりたいと望み、それが行われているのが今・・とも言えるだろう。
様々な地上や周囲環境の異変の顕在化は、よく陣痛とも言われるもので、
いままで、そしてこれからという時間感覚の中で起きている事はそれだ。
時空のあらゆるものが、ゆっくりから次第に加速され、
これ以上は・・という、時間感覚が一瞬ゼロになったような時点を通って、
あらゆるものがグレンと刷新・転換されるその中で、
魂達が、いまだ我を忘れた状態で、その肉体自我だけを死守すべく、
右往左往することがあるならば、実際問題それは、実に面白くないはずだ。
人それぞれだから、自由でいいよ・・とはよく言われることだが、
地球という回り舞台が大回転するその時期に、
例えば、在籍する学校が造り替えられるその時には、
そういうことは言ってられないわけで、
知った人、目覚めた人からその準備をするはずだろう。
古い学校のシステムから自らを外さなければならず、
例えの話、卒業するか一時帰休するかということになるだろう。
頑として気付かず知らずの魂達は、何が一体起きたかもわからぬ間に、
急激な建て替えの時空の流れに流されることもあるということに・・・
気付かず知らずながら・・、いや、潜在意識的にでも気付いているかもしれない。
卒業問題、人間とは何か、わたしとは何か、それが問われているのだ。
我々は本来の全体であるわたしへの帰還の道、魂の大道を歩いている。
いつまでも、自己中、偶然、漠然、言われるがまま、好きだ嫌いだ、この野郎!・・逆らうやつは殺せ、支配せよ・・富を生めよ増やせよ・・・、
そんな3次元的でシリアスなお遊戯から卒業すべき時が来たのである。
今世界では、ここでその体験をしたいという霊的幼児たちの、最後の駆け込み需要によって、
本邦最終回の大騒ぎ、今世界での騒乱の渦が急激に起きて来ているのだが、
どういう形であれ、古い役目の創造物は、陽電子と陰電子のように、対消滅で空(くう)に消えてゆくのだろう。
現状のままの流れならば・・・、古い世界は直線時間感覚で、あと5年も持つかどうか・・。
そういう稀有なステージに遭遇して、俺が、私が、銭・金・物が・・が有効であるはずもない。
それらすべてを超えているところの<自己>を思い出すこと以外は・・・。
本日も拙い記事をご覧いただきまして、誠に有難うございました。