あなたは何か?
人間とは何か?
このテーマに関して、人がどう思っているのか、理解しているのか、
実に、極めて重要な、魂への問いかけ、「魂」のこなすべき問題集のようなものであり、
これこそが何をおいても理解・感得すべき、人生の最大のテーマ・問題である。
この世界で生きている為の諸物も、ままよそれなりに必要ではあるが、
今はもう、それは主ではなく、何のためのこの世の生活なのか、
そして、
真の現実・・・今・・生きて在る・・わたしとは何か、という問いかけが喫緊のテーマなのだ。
これこそが、真の現実というものだ。
先進的な予感とはいえ、アメリカがロシアが、どうしたこうした、世界戦争への序曲だとか、超管理世界が出てくるとか云々、不都合極まりない流れの加速、それは
一気に外に出てくる人類意識の蓄積された歪の、
その一大崩壊現象にすぎす、
そう、それは単なる、爆発して砕けちる、3次元世界での打ち上げ花火の、
その光陰で出来た枝葉でしかない。
だから・・・それがどうしたのだ。
在るがまま・・には、恐怖も期待もない。
そうだろう。
意識を真に・・向けるべきは、・・・それぞれの「わたし」にある!
「わたしは誰? どこから来て、どこに行くの?」
そういう問いがあるとすれば、それ、そこに既に答えがあるではないか。
<わたし>は・・
誰でもなく、魂、意識と呼ばれる。
時間とか空間とか、何時、どこからどこへという事象を、
超えた存在であるというのが、その1つの「答え」。
偉くもなく、卑しくもなく、
何にでも自己投影して人格を演じることのできる、
男や女、人種や時代、あるいは地球に限らぬ多世界に出没する、
神の個別投影像、
本来は、何者でもない・・者とでも言えよう。
それを言うならば、
「わたしは・・わたしである・・」なのだ。
「I am THAT I am」
理解可能であれば、実に御目出度いことなのだ。
「おめでたい」意味が違う事に気付けるだろうか。
・・・
問いを発することの中に、既に答えが含まれている・・
だから、問いかけは、既にある答えを感じるように意識を向けることなのだ。
・・・
文明世界は今まで、自然の汚染とセットになった物量で溢れてきたものの、
ここにいる多くの魂が、自らを問わず語らずの状態、無知と闇の中にいたようなもの。
難しい表現をすれば、
現在社会は、この世界での魂の経験と英知を見出すための霊的努力、
肝心なことへの、問いと答えの生活の間に、
様々な価値観念、概念、情報、主義主張を挿入して時間を遅らせ、
そのエネルギーを使って物質文明を興してきたともいえる。
しかし、そうした物質オンリーでの便利さは、すなわち幸福ではなかった・・ということだ。
それぞれが、気付くか気づかないかは別として、
事ここに及び、誰も幸せを感じないような文明となっていることを、
多くの人々がわかっているからには、例えすぐに消え去っても誰も後悔する必要もない。
そうだろう?
気付いている人も、どこか未だ執着や未練、恐怖があるのであれば、
こころの中を残された時間を使って精査すべきと思われる。
何に執着しているか?、何が怖いのか?
何が幸せなのか?
勇気を出して、世界や他人でなく・・自分のこころの中を見詰め、調べるのだ。
外の世界の、何か意味ありそうで何もない、消費と快楽だけのお祭り騒ぎは、
もうすぐ、ゴミや枯葉の散在する場所、祭りの後の廃墟となってしまうだろう。
これは、今までの人類歴史の、必然ではなかったか。
・・・
わたしは、個人我としての「私」ではなく、
時間空間を超えた様式で、
無数の「私」となって自己表現、想像、創造を楽しんでいる・・根源のことだ。
もと・は・ひとつ、これがあらゆるところに、ときに現れていることである。
例えば、生まれ変わりを理解することは、それがその様式のことだとわかるだろう。
地球という次元世界に限らず、過去生は様々あり、来世も様々あるだろう。
なぜならば、すべての元にある・・永遠の・・今・・があるからだ。
今・・在ることを出来るだけ、意識的に感じること、
これが魂の・・常在の意識的実践課題なのである。
「今でしょ!」という言葉が、「今が買い時、加入時」等と言う宣伝に使われてしまっているが、
「今」とは、空虚な時間軸のゼロ点、ではなく、
意識体としての<わたし>が・・・在る・・事実のこと・・
今とは・・それなのだ。
人生で、何はなくとも、今我あり、いつでもどこでも「わたし」が在った。
そうだろう。
何が有っても、無くても・・在るのが・・・今・・わたしである。
神意識・・・とは、全てを観ているそれであり、
人にあっては「わたし」意識となって投影されている。
今までの地球では、生まれ変わり・死に変わりの・・間の記憶が断絶するほど、
わたしが個々人の「私」としての意識であったのだが、
アセンション・次元上昇という名の魂の卒業イベントによって、
次なる魂の表現型、さらに大きい「わたし」の表現型へのステップが行われる。
それが今だ。
・・
個人としてのわたしは、実に無数にある。
個人としてのあなたも、実に無数にあるのだ。
そのすべての共通点は、何かと言えば・・「わたし」という意識、
時間空間を超えた「わたし」意識、
在りて・在るもの・・・である。
例えば、それがかつてモーゼの出会った者、旧約で記録されている者。
すべては、ひとつの根源・わたし・意識が、無数に展開している。
全ての中の、たった一つのものであっても、
それは一つという形で現れている、全部の「ひとつ」なのである。
あらゆる事象・事物はそれなのだ。
一は多なり、
色は空(くう)なり、空(くう)は色なり。
今、この時期には、長年のいや長い転生での様々な感情の歪が噴出しているのだ。
それを静かに観てとり、それを感謝の念とともに、空(くう)に返還すべき時なのである。
個々も、国も、世界も、そして巨大なる地球生命圏もそうだ。
こころすべきは、・・・そう、
慟哭や思い入れや、胸の感情の爆発があってもいい・・、
追いすがることなく、執着もすることなく、
それを解放(ときはな)すことなのだ。
今こそ、解き放つべし・・・!
本日も拙い記事をご覧いただきまして、誠に有難うございました。
人間とは何か?
このテーマに関して、人がどう思っているのか、理解しているのか、
実に、極めて重要な、魂への問いかけ、「魂」のこなすべき問題集のようなものであり、
これこそが何をおいても理解・感得すべき、人生の最大のテーマ・問題である。
この世界で生きている為の諸物も、ままよそれなりに必要ではあるが、
今はもう、それは主ではなく、何のためのこの世の生活なのか、
そして、
真の現実・・・今・・生きて在る・・わたしとは何か、という問いかけが喫緊のテーマなのだ。
これこそが、真の現実というものだ。
先進的な予感とはいえ、アメリカがロシアが、どうしたこうした、世界戦争への序曲だとか、超管理世界が出てくるとか云々、不都合極まりない流れの加速、それは
一気に外に出てくる人類意識の蓄積された歪の、
その一大崩壊現象にすぎす、
そう、それは単なる、爆発して砕けちる、3次元世界での打ち上げ花火の、
その光陰で出来た枝葉でしかない。
だから・・・それがどうしたのだ。
在るがまま・・には、恐怖も期待もない。
そうだろう。
意識を真に・・向けるべきは、・・・それぞれの「わたし」にある!
「わたしは誰? どこから来て、どこに行くの?」
そういう問いがあるとすれば、それ、そこに既に答えがあるではないか。
<わたし>は・・
誰でもなく、魂、意識と呼ばれる。
時間とか空間とか、何時、どこからどこへという事象を、
超えた存在であるというのが、その1つの「答え」。
偉くもなく、卑しくもなく、
何にでも自己投影して人格を演じることのできる、
男や女、人種や時代、あるいは地球に限らぬ多世界に出没する、
神の個別投影像、
本来は、何者でもない・・者とでも言えよう。
それを言うならば、
「わたしは・・わたしである・・」なのだ。
「I am THAT I am」
理解可能であれば、実に御目出度いことなのだ。
「おめでたい」意味が違う事に気付けるだろうか。
・・・
問いを発することの中に、既に答えが含まれている・・
だから、問いかけは、既にある答えを感じるように意識を向けることなのだ。
・・・
文明世界は今まで、自然の汚染とセットになった物量で溢れてきたものの、
ここにいる多くの魂が、自らを問わず語らずの状態、無知と闇の中にいたようなもの。
難しい表現をすれば、
現在社会は、この世界での魂の経験と英知を見出すための霊的努力、
肝心なことへの、問いと答えの生活の間に、
様々な価値観念、概念、情報、主義主張を挿入して時間を遅らせ、
そのエネルギーを使って物質文明を興してきたともいえる。
しかし、そうした物質オンリーでの便利さは、すなわち幸福ではなかった・・ということだ。
それぞれが、気付くか気づかないかは別として、
事ここに及び、誰も幸せを感じないような文明となっていることを、
多くの人々がわかっているからには、例えすぐに消え去っても誰も後悔する必要もない。
そうだろう?
気付いている人も、どこか未だ執着や未練、恐怖があるのであれば、
こころの中を残された時間を使って精査すべきと思われる。
何に執着しているか?、何が怖いのか?
何が幸せなのか?
勇気を出して、世界や他人でなく・・自分のこころの中を見詰め、調べるのだ。
外の世界の、何か意味ありそうで何もない、消費と快楽だけのお祭り騒ぎは、
もうすぐ、ゴミや枯葉の散在する場所、祭りの後の廃墟となってしまうだろう。
これは、今までの人類歴史の、必然ではなかったか。
・・・
わたしは、個人我としての「私」ではなく、
時間空間を超えた様式で、
無数の「私」となって自己表現、想像、創造を楽しんでいる・・根源のことだ。
もと・は・ひとつ、これがあらゆるところに、ときに現れていることである。
例えば、生まれ変わりを理解することは、それがその様式のことだとわかるだろう。
地球という次元世界に限らず、過去生は様々あり、来世も様々あるだろう。
なぜならば、すべての元にある・・永遠の・・今・・があるからだ。
今・・在ることを出来るだけ、意識的に感じること、
これが魂の・・常在の意識的実践課題なのである。
「今でしょ!」という言葉が、「今が買い時、加入時」等と言う宣伝に使われてしまっているが、
「今」とは、空虚な時間軸のゼロ点、ではなく、
意識体としての<わたし>が・・・在る・・事実のこと・・
今とは・・それなのだ。
人生で、何はなくとも、今我あり、いつでもどこでも「わたし」が在った。
そうだろう。
何が有っても、無くても・・在るのが・・・今・・わたしである。
神意識・・・とは、全てを観ているそれであり、
人にあっては「わたし」意識となって投影されている。
今までの地球では、生まれ変わり・死に変わりの・・間の記憶が断絶するほど、
わたしが個々人の「私」としての意識であったのだが、
アセンション・次元上昇という名の魂の卒業イベントによって、
次なる魂の表現型、さらに大きい「わたし」の表現型へのステップが行われる。
それが今だ。
・・
個人としてのわたしは、実に無数にある。
個人としてのあなたも、実に無数にあるのだ。
そのすべての共通点は、何かと言えば・・「わたし」という意識、
時間空間を超えた「わたし」意識、
在りて・在るもの・・・である。
例えば、それがかつてモーゼの出会った者、旧約で記録されている者。
すべては、ひとつの根源・わたし・意識が、無数に展開している。
全ての中の、たった一つのものであっても、
それは一つという形で現れている、全部の「ひとつ」なのである。
あらゆる事象・事物はそれなのだ。
一は多なり、
色は空(くう)なり、空(くう)は色なり。
今、この時期には、長年のいや長い転生での様々な感情の歪が噴出しているのだ。
それを静かに観てとり、それを感謝の念とともに、空(くう)に返還すべき時なのである。
個々も、国も、世界も、そして巨大なる地球生命圏もそうだ。
こころすべきは、・・・そう、
慟哭や思い入れや、胸の感情の爆発があってもいい・・、
追いすがることなく、執着もすることなく、
それを解放(ときはな)すことなのだ。
今こそ、解き放つべし・・・!
本日も拙い記事をご覧いただきまして、誠に有難うございました。