気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

わたしとはなにか (6)在りて在るもの

2015-10-04 10:45:41 | 新たなる地平線
あなたは何か?

人間とは何か?

このテーマに関して、人がどう思っているのか、理解しているのか、

実に、極めて重要な、魂への問いかけ、「魂」のこなすべき問題集のようなものであり、

これこそが何をおいても理解・感得すべき、人生の最大のテーマ・問題である。


この世界で生きている為の諸物も、ままよそれなりに必要ではあるが、

今はもう、それは主ではなく、何のためのこの世の生活なのか、

そして、

真の現実・・・今・・生きて在る・・わたしとは何か、という問いかけが喫緊のテーマなのだ。

これこそが、真の現実というものだ。



先進的な予感とはいえ、アメリカがロシアが、どうしたこうした、世界戦争への序曲だとか、超管理世界が出てくるとか云々、不都合極まりない流れの加速、それは

一気に外に出てくる人類意識の蓄積された歪の、

その一大崩壊現象にすぎす、

そう、それは単なる、爆発して砕けちる、3次元世界での打ち上げ花火の、

その光陰で出来た枝葉でしかない。


だから・・・それがどうしたのだ。

在るがまま・・には、恐怖も期待もない。

そうだろう。


意識を真に・・向けるべきは、・・・それぞれの「わたし」にある!


「わたしは誰? どこから来て、どこに行くの?」

そういう問いがあるとすれば、それ、そこに既に答えがあるではないか。


<わたし>は・・

誰でもなく、魂、意識と呼ばれる。

時間とか空間とか、何時、どこからどこへという事象を、

超えた存在であるというのが、その1つの「答え」。


偉くもなく、卑しくもなく、

何にでも自己投影して人格を演じることのできる、

男や女、人種や時代、あるいは地球に限らぬ多世界に出没する、

神の個別投影像、

本来は、何者でもない・・者とでも言えよう。

それを言うならば、

わたしは・・わたしである・・」なのだ。

I am THAT I am

理解可能であれば、実に御目出度いことなのだ。

「おめでたい」意味が違う事に気付けるだろうか。

・・・

問いを発することの中に、既に答えが含まれている・・

だから、問いかけは、既にある答えを感じるように意識を向けることなのだ。

・・・
文明世界は今まで、自然の汚染とセットになった物量で溢れてきたものの、

ここにいる多くの魂が、自らを問わず語らずの状態、無知と闇の中にいたようなもの。

難しい表現をすれば、

現在社会は、この世界での魂の経験と英知を見出すための霊的努力、

肝心なことへの、問いと答えの生活の間に、

様々な価値観念、概念、情報、主義主張を挿入して時間を遅らせ、

そのエネルギーを使って物質文明を興してきたともいえる。

しかし、そうした物質オンリーでの便利さは、すなわち幸福ではなかった・・ということだ。




それぞれが、気付くか気づかないかは別として、

事ここに及び、誰も幸せを感じないような文明となっていることを、

多くの人々がわかっているからには、例えすぐに消え去っても誰も後悔する必要もない。

そうだろう?

気付いている人も、どこか未だ執着や未練、恐怖があるのであれば、

こころの中を残された時間を使って精査すべきと思われる。

何に執着しているか?、何が怖いのか?

何が幸せなのか?

勇気を出して、世界や他人でなく・・自分のこころの中を見詰め、調べるのだ。


外の世界の、何か意味ありそうで何もない、消費と快楽だけのお祭り騒ぎは、

もうすぐ、ゴミや枯葉の散在する場所、祭りの後の廃墟となってしまうだろう。

これは、今までの人類歴史の、必然ではなかったか。

・・・

わたしは、個人我としての「私」ではなく、

時間空間を超えた様式で、

無数の「私」となって自己表現、想像、創造を楽しんでいる・・根源のことだ。

もと・・ひとつ、これがあらゆるところに、ときに現れていることである。

例えば、生まれ変わりを理解することは、それがその様式のことだとわかるだろう。

地球という次元世界に限らず、過去生は様々あり、来世も様々あるだろう。

なぜならば、すべての元にある・・永遠の・・今・・があるからだ。

今・・在ることを出来るだけ、意識的に感じること、

これが魂の・・常在の意識的実践課題なのである。

「今でしょ!」という言葉が、「今が買い時、加入時」等と言う宣伝に使われてしまっているが、

「今」とは、空虚な時間軸のゼロ点、ではなく、

意識体としての<わたし>が・・・在る・・事実のこと・・

今とは・・それなのだ。

人生で、何はなくとも、今我あり、いつでもどこでも「わたし」が在った。

そうだろう。

何が有っても、無くても・・在るのが・・・今・・わたしである。


神意識・・・とは、全てを観ているそれであり、

人にあっては「わたし」意識となって投影されている。



今までの地球では、生まれ変わり・死に変わりの・・間の記憶が断絶するほど、

わたしが個々人の「私」としての意識であったのだが、

アセンション・次元上昇という名の魂の卒業イベントによって、

次なる魂の表現型、さらに大きい「わたし」の表現型へのステップが行われる。

それが今だ。

・・

個人としてのわたしは、実に無数にある。

個人としてのあなたも、実に無数にあるのだ。

そのすべての共通点は、何かと言えば・・「わたし」という意識、

時間空間を超えた「わたし」意識、

在りて・在るもの・・・である。


例えば、それがかつてモーゼの出会った者、旧約で記録されている者。

すべては、ひとつの根源・わたし・意識が、無数に展開している。

全ての中の、たった一つのものであっても、

それは一つという形で現れている、全部の「ひとつ」なのである。

あらゆる事象・事物はそれなのだ。

一は多なり、

色は空(くう)なり、空(くう)は色なり。

今、この時期には、長年のいや長い転生での様々な感情の歪が噴出しているのだ。

それを静かに観てとり、それを感謝の念とともに、空(くう)に返還すべき時なのである。

個々も、国も、世界も、そして巨大なる地球生命圏もそうだ。


こころすべきは、・・・そう、

慟哭や思い入れや、胸の感情の爆発があってもいい・・、

追いすがることなく、執着もすることなく、

それを解放(ときはな)すことなのだ。


今こそ、解き放つべし・・・!






本日も拙い記事をご覧いただきまして、誠に有難うございました。