この世は幻想である。
なにをバカな・・・・という人が多いかもしれない。
幻想と言っても、何かぼんやりと霞んで見えることではなく、しっかりした感のある虚構の世界である。
しっかりした感を作り上げるものが物質と呼ばれている、いわゆる「固い物」である。
固い物があるからこそ、現状を維持できるわけである。
しかし、我々の常識レベル、通常観念で固く感じる物は、どんどんミクロに分解してゆくと、何もなくなってしまう。
そこに在るのは目に見えない・・・もの、それをエネルギーと呼んでいる。
エネルギー自体は数字に換算することが出来る・・と科学では想定しているが、
しかしながら、誰もそれを見た者はいないのだ。
物質はエネルギーで出来ており、そのエネルギーは見えないものであれば、
物質も本質的には見えないものから出来ている、⇒ 見えないものである。
そうだろう?
でも見えている・・・ように感じている・・・。
見えないものなのにも関わらず、ある観点からは・・・あなたはそれを、見えるように感じているわけである。
「そうだ、俺も見えるぞ、見える、・・・
そうそう、わたしもそうだわ、世界は物だらけだよ、ねーあなたも見えるでしょう?
あなたもそれに従いなさいよ!」 というわけである。
そういう観点が集合して、常識観念が出来上がっているのである。
国や地域や、村や、世界組織、法体系にしてもその類の「観念体系」なのである。
多くの人々が、その幻想世界で、あーだこうだと騒いでいるのだ。
その波動的物質幻想世界を壊すことが出来るもの、核兵器等を持ちだしてまで、
あーだ、こうだと言い張っている極めて幼い霊的幼児たちを見よ。
ある一定レベルで、その幻想世界の仕組みを理解できない者たちが往々にして、核で滅んでしまうのは、問題を理解できなかったということを示している。
物資レベルを越えなかった者たちの拙い演技とはいえ、とんでもない幕引きでもあるのだ。
でも今回はそれが出来ないだろう。
物質はエネルギーで出来ており、そのエネルギーは見えないものであれば、
物質も本質的には見えないものから出来ているところの、・・・・見えないものである。
また、エネルギーは波であり、有ると無いとの境を振動しているもの。
世界は、・・・有る~無いの間を振動している「波」が創り上げるものであるため、
森羅万象は変幻自在、万有変化しており、有るように見えて、実は無いのである。
また、無いように見えて実は有るのであるから、人間の小さな思考にとっては実に、ややこしいことになる。
どうして無いのか?、ずっと有ってほしい?・・・そうやって、銭・金・物を集めることになる。
地位や名誉、権勢、権力・・・それを集めることになる。
しかしながら、諸行無常、それらは続くはずもないわけだ。
物質はエネルギーで出来ており、そのエネルギーは見えないものであれば、
物質も本質的には見えないものから出来ているところの、・・・・見えないものである。
また、エネルギーは波であり、有ると無いとの境を振動しているもの。
世界は、・・・有る~無いの間を振動している「波」が創り上げるものであるため、
森羅万象は変幻自在、万有変化しており、有るように見えて、実は無いのである。れこそ、思考、選択次第で、気づけばあっという間に消え去るものである。
人生も権力も地位も名誉も同じことである。
違うだろうか?
あなたもわたし達も、そういうことを何十回と経験してきたのではなかったか。
・・・・
電磁波、光の磁場と電場の交互伝搬のように、
世界は、・・・有る~無いの間を振動している「波」が創り上げるものであるため、
森羅万象は変幻自在、万有変化しており、有るように見えて、実は無いのである。
それが、この世界はリアルな幻想という面白い仕組みの話である。
せっかく頭の固い西洋の科学者たちが、律儀に突き止めた真実、全ては量子でありかつ波動であるという発見を無駄にしてはならないだろうう。
この世はマーヤ(幻想)の遊びであるという東洋の英知と、その正反対の方向から1つ1つ肉薄してきた物質的精神追究のコラボレーションが既に成ったのである。
そういう思想のレベルでなく、これが事実である、また幻想である。
そう、この世、この惑星も、リアルに見える、1つまとまりの幻想世界である。
夢を楽しくするのも、そうでなくするのも、それぞれの「わたし」次第ということが、
もう、解(わか)って・・・しまったのだ。
だから、くよくよしたり、マジになって苦しんだり、そんなくだらない遊びはもういらないのだ。
どんなときにも、朗らかに在ること、
そして時々でもいい、毎日でもいい、
こころの底から、大笑いに笑うことが、いわゆるこれからの・・正しい行為なのである。
本日も拙い記事をご覧いただきまして、誠に有難うございました。