気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

あなたは何か?

2011-09-20 07:28:40 | 覚醒意識

探求者とは自分自身を探している人だ

 

 「私は誰か?」以外のすべての質問を放棄しなさい

 

結局、あなたが確信できる唯一の事実とは

 

あなたは在るということだけだ

 

「私は在る」は確かだ

 

「私はこれだ」は確かではない

 

真実のあなたとは何なのか

 

それを見いだすために努めなさい

 

 

あなたが何なのかを知るために 

 

あなたが何ではないかを知りなさい

 

あなたでないものをすべて発見しなさい

 

身体、感情、思考、時間、空間、あれやこれ・・・

 

具象であれ、抽象であれ

 

あなたに知覚できるものはあなたではない

 

知覚するという行為そのものが

 

あなたの知覚するものが

 

あなたではないことを示している

 

 

マインドのレベルにおいては

 

あなたは否定的言語によってしか描写できない

 

ということをより明確に理解するほど

 

あなたの探求はより早く終焉を迎える

 

そしてあなたが無限の存在であることを悟るのだ

 

(シュリー・ニサルガダッタ・マハラジ)

・・・・・・・

 

 

古今東西の多くの覚者は、その限られた言葉の表現は様々に異なっていても、皆同じメッセージを発してきた。

 

学問にも無縁で、インドの片田舎に生まれたマハラジは、煙草の行商人をして家族を養う生活をしていたといわれている。どこにでもいる人、それも地位も何も持たない無学の人だったようだ。

 

ある時、友人を通じて出合った師(グル)の「あなたは至高の存在である」という言葉を信じ、唯一の真実である「私は在る」に意識を集中する訓練と、それを持続する静かな熱意を通じて36歳で覚醒したと言われている。

 

覚醒とは、古来からいわれる「悟り」とも言えるかもしれない。

 

また、

 

覚醒とは、自らに目覚め、自らの本来の無限性につながることだとも言えるだろう。

 

あるいは「常にそうであったこと」に気づくことだろう。

 

これは他人事でなく、例外なく、あなたもわたしも、そうなのである。

  

 

マハラジの話は、少し間違えば、よくある宗教の世界に足を取られてしまいそうな、どこにでもあるものであるが、

 

マハラジの魂自体が既に熟しており、真っ当な出会いと、真っ当なこころと、真っ当な行為によって3年の修業によって覚醒したと言われている。

 

修行は苦行でも、瞑想でも、マントラ、読経でもなく、「わたしは在る」という今の瞬間の唯一の感覚に意識をフォーカスしたのだった。

 

現実生活のために、一般には身体に悪いと言われる煙草の行商をし、生活や家族の世話をやきながら、

 

本来誰でもこの次元世界で通るべき、覚醒・悟りの道をいともたやすく通りぬけてみせ、その見本を示したところに、まさに見事と言わざるを得ないような偉大さがあるではないか。

 

マハラジという個別化した意識は、この混濁した世界に自らを投入し、多分、大いなる援けを受けながら、予定通りに、本来の大いなる意識に立ち帰ることを、見事成し遂げたという事が言えるだろう。

  

「わたし」を探す旅は、どこか遠くに行くことでも、未来の時間に旅することでもない。

 

ましてや世界を作り変えることで見つかるものではない。

 

すべては常に、「今」あなた自身に在るのだ。

 

古来から残る珠玉の言葉、

  

「汝自身を知れ」 に対する素直な反応、

 

「わたし」は何か?

 

ここに、大いなる本来のあなたへ帰還するための扉があるのだ。

 

「あなた」は、

 

あなたという身体、思考、感情、時間・空間認識という小さな<覗き穴>から、この次元世界を観ているところの、

 

本来、大いなる無限の存在であるということに気づくだろうか。

 

わたしが「無限」である等とは、まともに考えれば、眼もくらむようなものであるが、事実は小説よりも奇なりである。

 

I am that <I am>

 

常に自らを、自らたらしめるところの存在が「あなた」である。

 

より自由でより自在なのが、もっとも容易なあなたの本来の姿であり、

 

より楽しく、より嬉しいのが、もっとも容易なあなたの本来の姿である。

 

自らの観念の縛りを、自らで吹き飛ばせ!

 

苦しみというこころのおもちゃは、もう不要なのだ。

 

恐れという身の傘も、もう要らないのだ。

 

・・・

それを自らで宣言し、それを具象化させよ。

 

人の顔色を伺うような依存心や、世間の嘘騒ぎから抜け出す時である。

 

I am that <I am>

 

他によらず、

常に自らを、

自らたらしめるところの存在が「あなた」である!

  

Photo

 

本日も拙い記事をご覧いただきまして、誠に有難うございました。