気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

すべては「ひとつ」という意味 (1)

2011-09-04 09:50:29 | 覚醒意識

あなたは、「あなたは・・あなただ・・」と感じているだろう。

 

人は皆、「わたしは・・・わたしだ・・」と感じているはずだ。

 

時折忘れていても、すぐにそこには還ってこれるはずだ。

 

それは、自分自身への「意識的な気づき」である。

 

誰にでもある普遍的な 「わたし」 への気づきである。

 

 

大きくは宇宙が顕現するための、いわば神の目覚め、神の自らへの気づきと同じあり方である。

 

考えられる限り無限大のこの顕現されていると見える宇宙も、それを観る者があってこそ顕現している。

 

そうだ。

 

観察物が先ではなく、それを認知、知覚するところの「観察する意識」が先なのである。

 

意識 ~ エネルギー ~ 顕現(物質形態)  であるということ。

 

高名な宇宙物理学的思索であるビックバン理論も、素粒子論的要素を含めて、一段と高い理論に統合されることだろう。

 

宇宙は単に凝縮されたエネルギーの大爆発、あるいは爆発的時空間の拡大ではないだろう。

 

それを観るものがまず存在しなくてはならない。

 

それを観るものは・・・

 

もともと何者ないでもない存在でなければならない・・・

 

言葉では、無限・・・としか言いようがないもの。

 

一なるもの・・神・・創造主・・  言い方は何でも良いだろう。

 

そして・・もう一つだけ言わなければならないのは、

 

それは、今は遠い感があるかもしれない・・・・

 

あなた」  なのでもある!

  

 

そこに「物・対象」があっても、「知覚」が無ければ、存在は認知されない。

 

いや、「それ」が意識に浮かぶそれまでは、そこには何も存在しないのだ。

 

 

 

例えば地球人類すべてが、知らないもの、見えないもの、知覚しえないものは、その世界においては 「存在しない」 と同義である。

 

誰かが新たに発見しそれを大勢の人々が認識して初めて、その存在が明らかになる。

 

後でならば、もともとあったのに気付かなかっただけだと言うだろう。

 

しかしながらそれを認識するそれまでは、何も存在していないと同義である。

 

後になって、「あー存在していたのだった」 とは思っても、

 

それは、知覚認識された、・・後で言う事であり、

 

知覚認識されない間は、当該する対象は存在などしていないのだ。

 

あなたの世界にある無限に様々な物事も、あなたが見ようとしない限り、そこには 「存在しない」のである

 

見ようとしない状況を称して霊的に眠っていると言う。

  

しかしながら、あなたは他者を信じることで、その他者の言う事を自己で咀嚼し、同じような認識をもつことで、他者を介して、あなたには存在しなかったものを存在域に新たに持ち来たらすこともできるのだ。

 

良くも悪くも、このことが行われているのが現実ではないか?

 

洗脳もマインドコントロールもそして支配も、これをネガティブに利用しているだけなのだ。

 

しかしながら、今はもうポジティブに利用する時に至ったのだ。

 

これを集合意識の目覚め、夜明けと言ってもいいだろうか。

 

未だ暗いままだが、確実に夜は明けたのだ。

 

盲信でも依存でもない意識のスタンスにおいて、他者と信じあうことによる、知覚の拡大、認識の増大、意識レベルの拡張は、集合意識の集合意識たる所以の働きであり、なぜ人間が主に集団で生きるのかを示す本来的な意味を示すものだろう。

 

植物・動物も含め、個は個としてありながら、集合意識というあり方を通じて、飛躍的な進化、あるいは発見を促す為の基本的なあり方なのである。

現象世界での重合と離反は、無限の周波数帯域を有する、大いなる意識の波動の共鳴や反発であり、その無限の組み合わせによって様々な創造が行われる。

 

そうして全ての全てが波動として、あるいは情報として、あるいは思考や感情としても・・「ひとつ」に繋がっているのである。

 

この在り方は、高次の意識レベル、魂レベルでも同じことであり、あなたの「魂」と呼ばれる部分・・・それだけで無限の可能性を包含している、謂わば「個としての創造主」も、

 

すなわち、

転生の主体でもある、魂としての「あなた」も、更に広大な集合意識を構成しているのだ。

 

言い換えれば、

 

今の我々の個人としての生命形態、すなわち物質次元の存在形態を含む、

 

さらに高次の存在形態である「魂」のレベルにおいても、集合意識を構成していると言えるのである。

 

簡単に言えば、魂レベルでも、個々別々の様相を呈しながらも、一段と広い集合形態を有する、魂の集合意識があるということである。

 

R・モンローやヘミシンク等においては、そのいわゆる魂の集合のことを、I there  (そちらのわたし) と言っている。

  

霊的な方面からは、守護霊、スピリチュアルガイド、守護天使、魂の霊団、・・などと呼ばれている。

 

あなたの肉体存在としての個は、人類という集合意識を構成しているように、言われるところの高次元での魂も、決して単独ではないということである。

 

もっと単純に言えば、好き嫌いは別として肉体同士に多くの仲間がいるように、「魂」レベルでも、更に広大な次元範囲での仲間、或いは兄弟・姉妹がいるということである。

 

これをさらに単純に言えば、数限りない転生、前世の記憶体などは、あなたの魂レベルでの兄弟姉妹ともいえるだろう。

 

兄弟・姉妹、・・・なるほど、私たちもあなたもある場合は、男であり、また女であったわけだ。

多くの人々は、未だこの外の世界に自分の視野を縛られ、無限に繋がっている内面に気づけぬ分だけ、「自分とは何か?」というテーマを忘れている状態かもしれない。

 

あなたとは何か?

 

性急なその答えではなく、

 

・・・あなたとは何か?というテーマ自体

 

「あなた」は思いだしただろうか。

 

・・・・・

(つづく)

 

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本日も拙い記事をご覧いただきまして、誠に有難うございました。