●あなたは生きているのか?それとも、生かされているのか?
人は毎日身体のことに関与しながら、それをいかに安楽に維持するべきかを考え、行動しているのが本当のところだろう。
人は皆それぞれで一生懸命生きていると考えているだろうが、真実は、自然、人々、宇宙すべてに生かされているということなのだが、それを知っているのだろうか。
あなたは知っているに違いない。
人は、太陽、光、空気、水、土が無ければ生きることは出来ない。
他の人々もいなければ、人は生きることは出来ない。
逆に、人がいなければ生きていけない生命は、
一体どこにあるのか?
ペットも植物も、自然があれば生きていける。
動物もペットも人間に優しくすること、
言葉以外のメッセージを人に伝える為に、
そこにいるのだ。
人間が、生きいてる意味を忘れては、
生きてはいられないことを知るべきだろう。
生命が皆仲間であることを、知らないで、
観念の世界で様々な価値感を作り上げ、
これでもかというほどの汚物を流し続けているのは、
一体、誰なのだろう。
それも永遠に続けることが出来ないことすらも、
・・・気づかないのかもしれない・・・。
身体を維持する努力も結構たいへんな時代ではあるが、しかしながら人間の努力、それは自己のみを生かすことに過ぎず、逆に、太陽、光、空気、水、土は他を生かすべくそこにある。
我々は自分の幸せを求めているが、太陽、光、空気、水、土は、その我々を生かしてくれている。
我々の身体の求める食物も、自ら嫌うその排泄物も、すべて自然によって生成、浄化させてもらっている。
様々な自然の生命たち、それらが自己主張や言葉をしゃべらないからといって、その有り難さに気づかずに、それを当たり前のように搾取、汚染してきたのが、実は我々人類なのではないか。
一概には言えないが、西洋文明とはそのような傾向があるだろう。
やれ、わたしがどうだとか、アイツがどうだとか、どこの会社が、政治家が、国が、組織がどうだとか、何をどうこう主張しても、大騒ぎに騒いでいても、
それは、地球、大自然、宇宙という舞台があればこそなのだ。
我々は森羅万象すべてに生かされている・・・
それは理想論でも、なんでもなく、事実である。
・・
人類は、もらうばかりを体験してきたようだ。
・・・・それに気づきもせず。
インカ、マヤ、インディオ、ヒンズー等の古代民族の末裔達は、驕り高ぶる意識的存在達の陥りやすい過ちへの回顧と伝承を苦労をしながらも伝えてきた。
彼らは1万年以上前の文明の遣り残しを、この数千年の時間絵巻のなかにおいて、その務めを全うしたといえるだろう。
これからのことは、多分、別の時空で、また同じようなことが為されるかもしれない。
それはそうと、わたし達や、あなたは、どうするのか?
確かに、
決めるのは、いつもおのれ自身である。
行くも来るも、いつもおのれ自身である。
しかしながら、わたしが「今在る」事実に気づき、それを忘れないことだ。
常に「今在り」続けるのが、永遠の存在である「わたし」や「あなた」なのだから。
また、
それを感じることが出来るのは、知覚でもなく、肉体でもなく、こころ・マインドでもなく、
今、という瞬間の奇跡のおかげである。
本日も拙い記事をご覧頂きまして、誠に有難うございました。