科学的な手法によって、自分の体や世界に意識的にズームインすると、
それらは、ほとんどが空間であり、
その空(くう)の間に、無数の微細な波動・エネルギーがあり、
様々な振動・回転運動が行われているということが理解できるだろう。
我々の後生大事な身体、環境、世界、そして宇宙も同じである。
世界は波動でできた、幻影、仮想現実、ホログラフィック宇宙といわれる所以である。
時々鑑賞する、2次元平面の映画も基本は全く同じ仕組みである。
支配層がようやく真実をディスククローズし、
世間の皆がそうだそうだと言い出すのを待つ必要などあるわけもない。
わたしたちは、すでに事実認識ができるのである。
・・・
すべては虚空のなかにあり、
あらゆる諸現象・物事は、空(くう)より生じては滅するそれ、
”波動”で出来ているということだ。
したがって「わたしは何か?」・・というならば、
わたしはこの体である・・と相変わらず主張したとしても、
実のところは、わたしは・・空(くう)であり、
また、そこに”生じては・滅する”性質を帯びた「波動」である
・・ということになる。
そうではないか?
残念ながら?、仮想、・・そう、それこそが真実である。
絶対的な物質価値や権威など、どこにもないのである。
あなたはまだ、この世の厳しい現実?とやらに、おろおろしているのだろうか?
---
2500年前にお釈迦様に諭されたとされる、
舎利子(シャーリープトラ)も肝をつぶしたに相違ない。(笑)
いやある意味では、
物質・便利さ、快楽を追及する現代人ほどよくわかるかもしれない。
とはいえ、・・今はもう、
むなしい感情を胸に抱く必要もないし、
自堕落ややけくそになる必要もないし、
人生をいい加減にやり過ごす必要もない。
身体の安定、快楽、快感の追及に身をやつし、
物欲・性欲・権勢欲に必死になる必要もなければ、
髪を振り乱して何かに追いすがる必要もない。
その幻影世界を、幻影として見破りながら、
この次元の映し出す映画を鑑賞するように、
できるだけ楽しく、面白く味わうことが
その務めでもあると理解すべきなのである。
人々の周りの後生大事な物質形のすべては、
はかなき夢まぼろしのような・・物、
まったく「下天は夢幻のごとくなり」・・だ。
人生とはこの世界で作られた幻影の身体が・・、
その世界との波動共鳴が続く間だけのものだ。
----

空(くう)に生じる波動エネルギーが、
素粒子、分子・物質という具合に重合し、
それは、無限小から無限大まで展開するフラワーオブライフのように、
無数の波動の組み合わせが、これまた無限に生じている。
そして、それが多重の振動帯域、多次元宇宙を構成している。
わたしたち・・という、個別化された普遍意識(魂)は、いま、
その1つの周波数帯域に・・それもかなり小さく閉じられた領域にいる。
それを「地球」と言っている。
我々の生きている間に繰り返し目覚めるこの世界、
朝、目が覚めて起き出す、いつもの等身大?のこの世界は、
その物質身体に”波動共鳴”している世界であり、
我々が物質と呼ぶ、最も粗大な波動表現の世界なのである。
そして、この世の多くの人は、
その等身大の世界だけを・・実在する世界と”思って”いるわけだ。
偏向情報で作られた、世間や常識観念という物質偏重のカテゴリー世界だ。
またこの世界は、閉ざされた観念体系の世界、監獄惑星などとも呼ばれる。

しかしながら、この世界で、幾千年の幻影の時間が過ぎてゆこうと、
気づかず知らず観念の濁流に身を任せ、
同じ時空間で生まれては死ぬを繰り返す輪廻転生を過ごしたとしても、
実のところは、この世界は、
観念で執拗に作られた幻影世界であると”気づく”までの間である。
誰もが固執するその物質的身体の、
空(くう)における占有率は・・ほぼゼロに近い。
笑うに笑えない有り様なのである。
そして思考や想念も、あなたが知覚できるものであり、
やはり波動エネルギーであることに変わりはない。
あなたは体の具合だけではなく、目に見える街の景色や、
他の人の行為や姿だけでなく、
自分の思考や感情、想念、思いにも・・”気づいて”いるだろう。
そう、あなたは宇宙や物質、世界や人々に気づくと同時に、
思考や想念にも気づいている。
思考、想念、感情・・それもまた「波動」である。
わたしの身体は、広大無辺な”虚空”の中のエネルギー波動だ。
そして本質のわたしとは・・すべての波動が生じて滅するところの根源
無限の可能性である・・空(くう)であると言える。
誰もが往々にして感じてしまうところの、
空(くう)は何もなく空っぽ、虚無、無・・という思考は、
この世的物質偏重観念でしかない。
無とは、それ・・無いのである(笑)
何度も言うが、
すべては波動、それは空(くう)より生じ、空(くう)に滅する。
あなたもわたしも・・
あなたの身体も、そして思考・想念も・・”それ”である。
宇宙や身体や想念という波動を無数に展開・投影するそれ、
本質のわたしが、空(くう)であれば、
それは・・・ミクロからマクロ、宇宙の・・、
あらゆるところ、あらゆる時に・・偏在する気づき、意識であり、
定義不能、無限の可能性、あらゆる叡智の源である。
あなたもわたしも、十分に気付かず知らずかもしれないが、
いま・・在る・・ことが、その証拠である。
I AM THAT I AM
わたしは・・在る・・ことそのもの。