善行とは

 「神は、ひとりひとりに、その人の行ないに従って報いをお与えになります。
 忍耐をもって善を行ない、栄光と誉れと不滅のものとを求める者には、永遠のいのちを与え、党派心を持ち、真理に従わないで不義に従う者には、怒りと憤りを下されるのです。
 患難と苦悩とは、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、悪を行なうすべての者の上に下り、栄光と誉れと平和は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、善を行なうすべての者の上にあります。
 神にはえこひいきなどはないからです。」(ローマ2:6-11)

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 「善を行なう」とは、どういう事だろう。
 善、とは何に照らして判断されるのだろう。律法だろうか。

 「善を行なう」とは、いわゆる行ないによる義とは似て非なるものである。
 何故かと言うと、善行の最たるものは、神が遣わした御子イエスを信じるというわざだからだ。
 そのわざを行うには、神の恵みがどうしても欠かせない。
 そうすると、イエスを信じる信仰、また、そうありたいと神の恵みを信じる信仰、このような信仰による義が、すなわち神にとっての善なのではないだろうか。

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