罪と死

 「そういうわけで、ちょうどひとりの人によって罪が世界にはいり、罪によって死がはいり、こうして死が全人類に広がったのと同様に、――それというのも全人類が罪を犯したからです。」(ローマ5:12)

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 ここでいう「ひとりの人」は、アダムのこと。
 最初の人アダムは、罪を犯してしまう。
 その罪によって、神は人は死ぬものとしてしまう。

 「あなたは、顔に汗を流して糧を得、ついに、あなたは土に帰る。あなたはそこから取られたのだから。あなたはちりだから、ちりに帰らなければならない。」(創3:19)

 アダムの罪の肉とその結果である死は、このアダムの子孫である全人類に広がった。
 だから人は、その肉の存在そのものが罪深い。
 私たちは、律法に照らしてその罪深さを知ることはできる。
 だが律法は、その罪深さを救うものではない。秩序体系なのだ。

 この罪深さから人を救うのが、キリストの十字架と復活への信仰である。

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