悔い改めへの導き

 「それとも、神の慈愛があなたを悔い改めに導くことも知らないで、その豊かな慈愛と忍耐と寛容とを軽んじているのですか。」(ローマ2:4)

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 神がその人を、悔い改めへと導かれるのである。
 その人が悔い改めるのではない。
 アダムの肉が自力でどうにかなる、そんな生やさしいものではないからこそ、キリストが十字架で肉を処罰して死に、よみがえられた。
 同様に、これこれこうすれば悔い改めに至る、というような方法論もまた、存在しない。
 ただ神の恵みによって、その神がその人を悔い改めへと導かれるのである。

 そうであるためには、神の慈愛や寛容を信じ続けるという下地が欠かせないだろう。
 それがあれば、時至って復活のイエスに出会うこともあるかもしれない。

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