不敬虔な者を義と認めてくださる方

 「働く者のばあいに、その報酬は恵みでなくて、当然支払うべきものとみなされます。
 何の働きもない者が、不敬虔な者を義と認めてくださる方を信じるなら、その信仰が義とみなされるのです。」(ローマ4:4-5)

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 人間は誰一人、神の義という事柄についてなんの働きもしていない存在である。
 どの人も神の目には不義に映る、そんな不敬虔な存在にすぎない。

 そのような「何の働きもない者が、不敬虔な者を義と認めてくださる方を信じる」ならば、それはただ神の恵みによってである。
 私たちの救いというのは、「不敬虔な者を義と認めてくださる方を信じる」ということに要約される。
 信じるためには、自分が不敬虔であること、罪人であることがわかっていることが大前提としてある。
 そんな罪人がキリストの故に神に認められると信じることができるのならば、そのことによって「義とみなされる」。

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