約束の子ども

 「しかし、神のみことばが無効になったわけではありません。なぜなら、イスラエルから出る者がみな、イスラエルなのではなく、アブラハムから出たからといって、すべてが子どもなのではなく、「イサクから出る者があなたの子孫と呼ばれる。」のだからです。
 すなわち、肉の子どもがそのまま神の子どもではなく、約束の子どもが子孫とみなされるのです。」(ローマ9:6-8)

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 「イスラエル」というのは、いわば約束された民。
 だが、「イスラエルから出る者がみな、イスラエルなのではな」いという。
 約束は、どの人にも与えられているわけではないもののようだ。

 ところで私たちはみな、「肉の子ども」だ。
 だが、中には「約束の子ども」へと変じて「子孫とみなされる」人々が、いる。
 ほんじつも世界中で2,3人、このメタモルフォーゼに預かった人がいると思う。

 ところでイエスは、処女降誕によってこの世に来られた。
 これほど「肉の子ども」らしくない人がいるだろうか。
 このお方こそ、「約束の子ども」、その頭領だ。

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