イエス・キリストの十字架、復活、そして「いのち」にあずかるということについて
平成隠れキリシタン
初めから聞いたこと
「あなたがたは、初めから聞いたことを、自分たちのうちにとどまらせなさい。もし初めから聞いたことがとどまっているなら、あなたがたも御子および御父のうちにとどまるのです。
それがキリストご自身の私たちにお与えになった約束であって、永遠のいのちです。
私は、あなたがたを惑わそうとする人たちについて以上のことを書いて来ました。
あなたがたのばあいは、キリストから受けた注ぎの油があなたがたのうちにとどまっています。それで、だれからも教えを受ける必要がありません。彼の油がすべてのことについてあなたがたを教えるように、――その教えは真理であって偽りではありません。――また、その油があなたがたに教えたとおりに、あなたがたはキリストのうちにとどまるのです。」(1ヨハネ2:24-27)
---
旧約時代、神は預言者を通して次のように仰った。
「わたしがきよい水をあなたがたの上に振りかけるそのとき、あなたがたはすべての汚れからきよめられる。わたしはすべての偶像の汚れからあなたがたをきよめ、あなたがたに新しい心を与え、あなたがたのうちに新しい霊を授ける。わたしはあなたがたのからだから石の心を取り除き、あなたがたに肉の心を与える。」(エゼキエル36:25-26)
「新しい心」、「からだから石の心を取り除き、あなたがたに肉の心を与える」、こういったものが「いのち」、「永遠のいのち」だ。
キリストは十字架と復活とによって、その約束を確固たるものとし、また、その約束へと至る道を切り開いた。
この約束と道の存在とが、「初めから聞いたこと」だ。
ところが、「あなたがたを惑わそうとする人たち」というのが、おおぜいいる。
例えばこの世だって、その大きな一つだ。
「キリストから受けた注ぎの油」が注がれたならば、いっさいが了解され、石の心は肉の心に蘇るだろう。
そのために、さしあたり「初めから聞いたこと」を再確認してみる。
そして聖書を、読む。
どのような立場で書物を読むかによって、その書物の意味は全く異なってくるだろう。だから立場「初めから聞いたこと」の確認は、とても大切だ。
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それがキリストご自身の私たちにお与えになった約束であって、永遠のいのちです。
私は、あなたがたを惑わそうとする人たちについて以上のことを書いて来ました。
あなたがたのばあいは、キリストから受けた注ぎの油があなたがたのうちにとどまっています。それで、だれからも教えを受ける必要がありません。彼の油がすべてのことについてあなたがたを教えるように、――その教えは真理であって偽りではありません。――また、その油があなたがたに教えたとおりに、あなたがたはキリストのうちにとどまるのです。」(1ヨハネ2:24-27)
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旧約時代、神は預言者を通して次のように仰った。
「わたしがきよい水をあなたがたの上に振りかけるそのとき、あなたがたはすべての汚れからきよめられる。わたしはすべての偶像の汚れからあなたがたをきよめ、あなたがたに新しい心を与え、あなたがたのうちに新しい霊を授ける。わたしはあなたがたのからだから石の心を取り除き、あなたがたに肉の心を与える。」(エゼキエル36:25-26)
「新しい心」、「からだから石の心を取り除き、あなたがたに肉の心を与える」、こういったものが「いのち」、「永遠のいのち」だ。
キリストは十字架と復活とによって、その約束を確固たるものとし、また、その約束へと至る道を切り開いた。
この約束と道の存在とが、「初めから聞いたこと」だ。
ところが、「あなたがたを惑わそうとする人たち」というのが、おおぜいいる。
例えばこの世だって、その大きな一つだ。
「キリストから受けた注ぎの油」が注がれたならば、いっさいが了解され、石の心は肉の心に蘇るだろう。
そのために、さしあたり「初めから聞いたこと」を再確認してみる。
そして聖書を、読む。
どのような立場で書物を読むかによって、その書物の意味は全く異なってくるだろう。だから立場「初めから聞いたこと」の確認は、とても大切だ。
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