いちにちいちにち

 「きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。信仰の薄い人たち。
 そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。
 だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。
 そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。
 だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。」(マタイ6:30-34)

---

 食べる、飲む、着るために、すなわち生活してゆくためには、もっぱら働く。
 だが単に生活のためだけに働くのであれば、その労働には実がなく、むなしい。
 実にむなしい。

 「だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい」。
 神の国とその義を考慮して、働いてゆく。
 なんのことはない、まずは目の前のことを誠実にやってゆけばよい。
 いちにちいちにち、たんたんと。
 将来必要なものは全て、神がご存じだ。「あすのための心配は無用」な所以だ。

---
 よろしければクリック下さい。
にほんブログ村 哲学ブログ キリスト教・クリスチャンへ ブログランキングへ

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )