学問

 「しかし、祭りもすでに中ごろになったとき、イエスは宮に上って教え始められた。
 ユダヤ人たちは驚いて言った。「この人は正規に学んだことがないのに、どうして学問があるのか。」
 そこでイエスは彼らに答えて言われた。「わたしの教えは、わたしのものではなく、わたしを遣わした方のものです。」(ヨハネ7:14-16)

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 イエスのみことばはまだまだ続くのだが、ここでぶった切って、いいのだろうか…。

 ユダヤ人は、イエスのみことばに驚いた。
 何に驚いたのか。
 「イエスのことば」に「学問がある」ことに。

 ところで私も一度、ひっくりかって驚きました。
(このブログのどこかに、その足跡がのこっています。)
 多分、「二度目」はないでしょう。
 イエスのみことばは、御自身仰るとおりそのまま神のみことばで、この「ことば」が真に空腹を満たすパンであり、真に喉を潤す水です。
 しかも、なくなったり枯れたりしません。

 「ユダヤ人」は、そういうものを「学問」としてとらえてしまった。
 そう捉える人にとっては、「ことば」は単に消えゆく言語群にすぎない。

(ちなみに、ここで書かれている「ユダヤ人」というのは、人種としてのそれではない。)
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