主のすばらしさ

 「彼らが主を仰ぎ見ると、彼らは輝いた。
 「彼らの顔をはずかしめないでください。」
 この悩む者が呼ばわったとき、
 主は聞かれた。
 こうして、彼らはすべての苦しみから救われた。
 主の使いは主を恐れる者の回りに陣を張り、
 彼らを助け出される。
 主のすばらしさを味わい、これを見つめよ。
 幸いなことよ。彼に身を避ける者は。」(詩34:5-8)

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 ぱらぱらと詩篇をめくってみたら、上の聖句が目に留まった。
 何度も何度も読み直した。

 初めて教会というところに行ったのは、1999年10月の第4日曜だったはずだ。
 その前の週、第3日曜、私は父を亡くした。
 次の第4日曜に教会に行ったのはいわば消去法にすぎず、「家の宗教?」である浄土真宗の寺が自宅から遠かったのに比して、教会は、たまたますぐ近くにあったから、たったこれだけの理由でしかない。

 聖書というものを購入したのは、もう少ししてからのことだ。

 時を経て今週日曜、こんどは私は母を亡くしたことを知った。
(事件性がなかったことは、不幸中の幸いだった。)
 この間、8年。
 聖書8年。

 今現在、教会には行っていない。
 けれども、静かに頷くことができるのは、上の聖句にある「主のすばらしさ」だ。

 聖書を開いた途端に化学反応が発生するというものでもないと思うが、このような機会を得てふと気付くと、うんと成長でき、またうんと健やかになれた。
 「寺だ教会だ」と慌てふためいていた1999年から比べると。

 悩みは尽きない。
 その都度、呼ばわる。
 主は幾度も幾度も、苦しみから救ってくださった。
 そして、主の御力によって苦しみをくぐり抜けるごとに、薄皮が一枚ずつはがれていったような気がする。
 これからも、何枚もの薄皮を、主が1枚ずつはがしてゆくのだろう。

 私は、この主をほめたたえます。
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