わたしはある

 「モーセは神に申し上げた。「今、私はイスラエル人のところに行きます。私が彼らに『あなたがたの父祖の神が、私をあなたがたのもとに遣わされました。』と言えば、彼らは、『その名は何ですか。』と私に聞くでしょう。私は、何と答えたらよいのでしょうか。」
 神はモーセに仰せられた。「わたしは、『わたしはある。』という者である。」また仰せられた。「あなたはイスラエル人にこう告げなければならない。『わたしはあるという方が、私をあなたがたのところに遣わされた。』と。」(出エジプト3:13-14)

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 私はこのブログでLeviを名乗っています。もちろん本名もあります。
 誰もが名前を持っています。
 一方、神のお名前は、「わたしはある」。
 これ以上ないほど存在感のあるお名前……こう書くのは失礼でしょうか。
 「私は存在する」、あるいは「存在する」。
 このようなネーミングの人は、(本名では)いないでしょう。

 「存在する」、神の存在はとこしえからとこしえまで絶対的なものです。
 ですが、どの人も、この地上に「存在」しています、ほんの短い期間ですが(参/1ペテロ1:17)。
 人というものはマルやバツ、あるいは8割方O.K.とか、そういうものとは違うのではないでしょうか。
 「この点はマルでこの点はバツ」というのも、どうでしょうね?
 ただ「存在する」、あるがまま。
 どの人も、まずはそうではないでしょうか。
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