リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

どうせ他人事

2023-04-22 14:23:16 | 断片
 こんにちは。久しぶりに暗くて空気が冷たい。でも湿気が少なくて、洗濯物が乾いてうれしい。明日は北海道以外は晴れだってさ。平常勤務の人はよかったですね。あちこち花盛りですよ。わたしは多分、遠く行かない。
 期限が連休までだっていうんで、結局無料コロナワクチン受けてしまった。5回目。だんだん副作用も弱くなって、もう慣れて効かないんじゃないかね。
 花粉症も鼻水化しないまま季節が過ぎてしまいました。うれしいって言えばうれしいけど、、ちょっと淋しさも。老化なんだろうねえ、、

 もう、たけのこ食べた? 出盛りじゃない? この辺じゃ誰も買わないからか年寄り用の貧弱なのしかなくて、隣町に買いに行ったら大きいのはいいけど韓国産の皮ブカブカの芽の青くなったやつが980円だって。人をバカにして。この辺の小さな450円のにしました。
 形ばかりの若竹煮とタケノコご飯、まあ縁起物みたいなもんで。
 考えてみたら国産水煮590円でよかったのかも。味は良かったけどね。

 さて、どうでもいい件。
 朝日新聞に神戸出身のタレント系が「”ひちひちよんじゅうく”は関西弁だった」と自虐?していました。
 前も言いましたが、7は「ひち」に決まっております。と、これはうちの片親が九州のせいか? とも思っておりましたが、そうでないことに思い至りました。昭和30年代の東京目黒区では授業で「ひちひちしじゅうく」と教わりました。そのときの金子先生がどこ出身か知りませんが、標準弁でしたが(小3以降は鹿児島の竹之内先生)。
 ほんとに7をシチと(昔)発音した県民なんて、どこかにいたのかねえ、学習院初等科だけじゃないかい?

 他人事でどうでもいい件。
 「チャットGPT、横須賀市が初導入」(共同通信)
 だって。いいじゃん、つまんねえ定型文や上っ面の議会答弁文しか書かないんだから縦横無尽だね。民間も使ったらいい。サラリーマンに起こる苦労の何割かはくだらない文章作成だからね(それ以外は「苦労」ではなくて、やりがい)。それが数秒で書けてしまう。なんて効率化!
 一方、「ChatGPTへの対応を表明した国内の大学一覧【2023年4月21日更新】Pogo / gmoriki
 ちゅうサイトがあって、要するにどの大学も「利用可、注意して使え」といっている。
 あ、ぜんぜんだめ。どこもかしこも同じ。チャットGPTで作った文章と思われる。
 人間てさあ、ある事項を自家薬籠中の物にするには、ひたすら自分の頭の中でころがして使うしかないの。教授ならわかるでしょ。わかんない? あ、今、ハサミとノリの切り貼り人生なのね。
 論外。うそでもダメって言えよ。だめじゃなきゃ学生は本気で使うぞ。卒業証書くれるんだから。
 
 でさ、他方、文科省のやつら
 「受験生の思考力や表現力を測るため、文科省は私立大に対して記述式の導入拡大を求める。」
「私大入試、記述式4割のみ 22年春入学、文科省調査」(共同通信)
 なんていうんだぜ。 
 ああ、もう、ばかばかばか。
 導入なんかいらねえ、そんなもん。
 国語の項目選択試験で十分。もちろん、理科や数学の試験じゃ思考力や表現力もわかるはずはないけどね。国語は記憶できないから選択問題だけでわかるんだよ。配点多くしてね。
 うそじゃないよ、理工学、統計学の出現数式なんて、もう何年か経てばAIが作って、AIが解くんだぜ。アタマ使う必要ないから、機械でもできるのだよ。エンジニアはそのハザマにある「思考」を担当するだけ。国語論理のみが必須になるのだ。(それより大学に、チャットGPTは思考力がなくなるからやめろ、っていえよ。といってもお上大事な人間たちは、来月には「チャットGPT 文科省でもやる」とかいうのさ。うんと軽蔑してやってください)。
 
 ともかくその結論として、日本人はみんな思考力なんかいらない。ここに登場した人物たちのように、そんな程度で暮らせてるんだから、継続すればいい。わたしには他人事。
 
 ただ、思考力はいらないから、思考力もないくせに上にこびへつらう民度だけはなんとかしないと私の孫たちが死んでしまう。
 「「敵基地攻撃、際限のない撃ち合いに」柳沢協二・元官房副長官補が語る 「国民に被害及ぶ恐れ」伝える必要」(これは去年の東京新聞)
 この元防衛官僚が人が21日の衆院財務金融委員会で参考人発言したって、赤旗が。
 伝えたって無駄だ、けど言わないよりましだ。
 
 これも他人事。
 K派があまりにも無原則なのでひいきにしたい北井分派氏、しかしどっちもどっちだね。
 氏のブログによると「かのツインタワーの崩壊のときに、黒田寛一が、ムスリムを支持せよ、と指示したのは、今日の中央官僚が既存のものに依存するというように自分の感覚と思惟を働かせたのと同じ構造だったのだ。私は、このことに気づかず、彼の指示に従った。私は、おのれの身が切られる思いである。黒田寛一その人が、自分の内在的超克の論理を裏切り、既存のものへの依存におちいったのだ。」と反省している。他人は無視して自己の内面をのみ重視しろ、と。
 しかしね、そんなこといったら誰とも共闘なんぞできやしないぞ。まあK派らしいが。
 共闘の合言葉は、国家ではなく「人民」。おお!こんなことを「マルキスト」に教えなければならないとは!
 行動が人民的であれば、であるときに限って、これを支持するのは当然なことだ。「イスラム」が人民的であったかどうかはしりゃしないけどね。別の大きな勢力だからって、そのことだけで友であることを拒否してはいけない。
 K派もいつも(表面的には)唯我独尊だったわけじゃない。というより、60年前から、ソ連や中国が悪いのは親玉だけ、彼らは社会主義勢力、の認識だったしね(と対馬忠行が怒っていた)。もともと彼らには国家は崇める対象、この警戒心のなさはどうにかならんのかね。

コメント
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